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お前は一生砂糖水を売り続けるのか?という問いについて

ペプシコのジョン・スカリーを引き抜くときにジョブズが言った「お前は一生砂糖水を売り続けるのか?それとも我々と一緒に世界を変えたいのか?」という台詞は、単に気が利いているだけではなく、ある程度以上の年齢になると間違いなく自分自身へ刺さる問いになってくるところがあって良い。


砂糖水の喩えが秀逸なのは、ある企業の偉大さとかくだらなさというのは結局のところ、待遇とか、技術力とか、市場に占めるシェアとか、会社のカルチャーがユニークであるとか、そういった目に見えるような指標では測れないしそもそも本質的に関係がないという事実を示していることだ。

ペプシコ社はスカリーに対して相応の待遇や権限を与えていたわけだし、今に至るまで米国でのシェア1位をキープしつつ企業価値も60倍以上に伸ばしている文句のない優良企業なわけだけれども、一方で「計算機がもつポテンシャルはもっと万人に開かれているべきではないか?」というような世界でその会社以外に誰も持っていなかったようなユニーク問いを持った会社でもない。

また、その反対に、Apple社の成功というのも、そういった待遇や社内の文化づくりを工夫したから優秀な人々が集まってその人達のシナジーによって達成されたという単純な話ではなく、「パーソナル・コンピューターは万人のための製品なのに、なぜ人々一般にとって受け入れがたいデザインをしたものばかりなのか?」とか「なぜMP3プレイヤーの市場にはゴミみたいなデザインの製品しかないのか?」という同業他社が抱いていなかった問いを抱いていたということに起因している。

Apple社をはじめて訪れたジョナサン・アイブがカルト的な雰囲気に若干引きつつも入社し、社内の権力闘争に嫌気がさしても辞めることを思いとどまり、結果的にiMacとiPodとiPadとiPhoneとiOSアプリのフラットデザインという一つだけでも歴史に残るような偉業を複数やり遂げたのも、結局のところ、現実の組織や人間がどんなに腐っていても「デザインに全く興味がないエンジニアの発言権がつよすぎるアメリカの情報機器産業の開発プロセスは根本的に間違ってる」という問題意識が正しくて、かつそれを共有している仲間がそこ以外のどこにも存在しなかったからだ。

ジョナサン・アイブの物語は、人間は才能が九割という才能こそが本質であるという議論もその反対に天才とは結果論でしかないという懐疑論も両方間違っていて、天才というのは結局ある能力を持った人間に正しい問いが与えられることではじめて観測可能になる事象なのであり、また偉大な企業の偉大さというのはその企業が抱いている問いのユニークさと筋の良さなのであるということを明らかにしている。

天才に課題を与えるのが経営者であり指導者であろう。

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