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まさかの、3331 Arts Chiyoda閉館

「地域に開かれたアートセンター」を標榜していた3331 Arts Chiyodaが閉館するという。思いもよらぬアナウンスに接して、本当に驚いた。千代田区との契約が満了となるためだというが、なぜ更新されなかったのかはわからない。とにかく3331のこれまでを振り返る最後の大型特別企画展「3331によって、アートは『    』に変化した」が開催されていて、私がそのことに気づいたのは、最終日の二日前だった。

アーツ千代田3331特別企画展 3331によって、アートは「    」に変化した のウォールペインティング
最後の大型企画展 アーツ千代田3331の足跡がわかる

 3331の存在を知って行き始めたのは、「とびらプロジェクト」のメンバーになってからだ。しょっちゅう東京都美術館に集まっていたので、そこから歩いて行くようになった。
 最初は3331の全体像がよくわからなかった。ただ廃校となった小学校をリメイクして使用していることの、なんとも懐かしい心地よさだけは最初から感じていたと思う。トイレなどその最たるものだ(笑)。芝生の元校庭に楠。幅広の階段を上がっていくとウッドデッキがあり、建物右手に3331のロゴと入り口。右手にカフェがあり、正面はメインギャラリーだ。左手は展示が行われたり、セミナーがあったりのコミュニティスペース。ここは何も催事がなければ自由にくつろぐことができて、よくコンビニおにぎりなどを買ってきては頬張りながらのんびりしたものだ。一度、間違った催し物に参加してしまいそうになったのも懐かしい思い出である。

 ここでいくつかのギャラリーにも行くようになった。その中で今でも懇意にさせていただいているのは、オープンレター・ギャラリーだ(何年か前に移転済み)。カニエ・ナハさんと中島あかねさんの「準備している時が一番もりあがる」(2018)なんて、アートプロジェクトのようで何回か通ってしまった。バンビナート・ギャラリーアキバタマビ21もよく覗いた。

アーツ千代田3331の3階にあるアーツカウンシル東京のROOM302の入り口
コロナ前はよく顔を出していたアーツカウンシル東京の302号室

 しかし、やっぱり3331といえば、どうしたってアーツカウンシル東京のサテライトスペース(?)ROOM302だ。TARL(Tokyo Art Research Lab)のさまざまな「レクチャー」「ディスカッション」「スタディ」シリーズに顔を出した。これらは、アートプロジェクトを「つくる」ことに力点をおいた、新たな視点や技術を獲得するための「思考と技術と対話の学校」(終了してしまったらしい)の取り組みだ。私自身は、アートプロジェクトの担い手には、現時点ではなってはいないが、これらのシリーズに参加することで大いなる刺激を受けた。
 なかでも印象深いのは、“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもとに、さまざまスタディが展開された「東京プロジェクトスタディ」だ。
 私が参加したのは、2019年のスタディ3だったか。「‘Home’ in Tokyo 確かさと不確かさの間で生き抜く」というプロジェクトだった。これは東京における家族とはどのような輪郭をもったものなのか、映像エスノグラファーの大橋香奈さんをナビゲーターに一三人のメンバー(面接があった!)がその答えを探すべく、対象を見つけ映像を制作するという取り組みだった。スタディマネージャーはアーツカウンシル東京(当時)の上地里佳さん。贅沢な講師陣から事例や考え方を教わり、撮影や編集のあれやこれを学び、なんとかドキュメンタリーを形にしていった。
 私の映像作品は締切に間に合わず、なかなか完成しなかったが、そもそもパンデミックによって発表会そのものが開催されないで今まで来てしまっている。映像を撮らせてくれた若きアーティストの方には大変申し訳ない状況が続いているが、どこかのタイミングでお披露目したい。
 この仲間とはその後もSlackでゆるくつながっているが、ときどき思いもよらぬことが起きる。院生だったNさんから修士論文のインタビューイーとしてお声がけいただいたり、自転車でパンを買いに来たJさんに、通りの角で偶然会ったり。最近、Jさんの取り組みをときどき覗かせていただいたりはしているのだが、まさか道の角で出くわすなんて思わない。しかもそれは今回3331に行くまさにその道中だったりする。台湾出身のTさんは藝大の院で学んでいたと思ったら、いつのまにかTARLの人になっていて、「Multicultural Film Making ルーツが異なる他者と映画をつくる」なる映像制作のワークショップで監督を務めていたりする。その成果は、『ニュー・トーキョー・ツアー』というフィルムとなって東京都写真美術館で上映された。“Home in Tokyo”でもTさんの作品は出色の出来で、このフィルムも素晴らしい仕上がりだった。もちろん、上映の合間にTさんと再会を果たした。
 そんなこんなで、ROOM302を思い出すと次々に人の顔が頭に浮かぶ。そういえば、この日、ROOM302を覗きに行ったとき、とびラー同期の知人を見かけた。マスク越しだったので確証はなかったが、後日、やっぱり間違いなかったことがわかった。彼女も確か、年度違いでTARLのスタディに参加していたと思う。

そうそう、「3331によって、アートは『    』に変化した」の話だ。クロニクルをずっと追いかけていくと、AIR3331のレジデンシャル・アーティストとして来日していたマリー・ジュリア・ボランセさんのワークショップに私が参加した時の写真が貼り出されていた(行く前に知人が教えてくれていたので、その写真を探したというのが本当のところだ)。八名の参加者が彼女と一緒にブルーシートを纏って神田エリアを練り歩いたときの写真。当時の説明にはこうある。

「アーティストと参加者8名が一緒に歩くことによって全員のなかに生じるある種の一体感を、彼女はA.S.(Artificial Spirituality)と名付け、A.I.(人工知能)とは異なる、人工的な精神の在り方を探っていきます」
AIR3331 HPより引用

 これは不思議な体験だった。街に晒されている自分と一緒に晒されているメンバーとのグループ感と。とにかく当日はなんだかよくわからなかった。もちろん3331にも立ち寄っている。
このパフォーマンスは、今でもここで見ることができる。ご興味あれば。

https://www.mariejuliabollansee.be/artifical-walk-3-tokyo

 そうだ、家にあるブルーシートはこのとき持ち帰ったものだった。今、思い出した。

映像の中で3331について語る統括ディレクターの中村政人さん 階段の途中に立っている
3331の歴史と果たしてきた役割について語る統括ディレクターの中村政人さん

 この展覧会の中では、統括ディレクターである中村政人さんが3331について語る映像が良かった。その映像を見て、今更ながらだが、はじめて3331の名が“三本締め”からきていることを知った。神田の祭りにコマンドNとして(?)参加していたことから発想したらしい。三を三回足して九。そこにチョンと一を足すと「丸」になるという裏テーマも中村さんは披露していた。丸はつまり輪である。アートと街がつながるイメージ。出来事や物ごと、考えが循環するイメージだろうか。

「3331が一度クローズし、閉館したからこそ見えてくることを大事にしてほしいですよね」
「3331によって、アートは『    』に変化した」展の映像より

と中村さんは結んでいた。

 アートは、人と人、人と街、街と街の間をまるでシナプスのように行き交うのだろう。きっとそのアートシナプスを受け取るためには、自らが身体を動かし受け取りに行かなければいけない。そして、たとえシナプスをキャッチできたとしても、何が伝達されたのかわかるとは限らないのだ。そしてブラックマターのようにアートシナプスはすり抜けていってしまう。そしてまた次の受容体に出くわすのだ。

 さて、3331によって、アートは何に?どう?変化したのだろう。3331は、館のようにすました形ではなく、野に立つオルタナティブな清濁合わせあるような場としてあったと思う。アートはそこで市井に揉まれ、溶け出していったように思う。アートは変化したのか? わからない。

メイン展示 3331の活動の全貌が年表と写真で表現されている
3331クロニクル展示
階段の壁に書かれた黄色いペインティング 踊り場から2階まで
階段のウォールペインティングは、誰の作品だったか
階段の壁に書かれた青いペインティング 1階から踊り場まで
ペインティング中は足場が組まれて、何が生まれるのだろうと不思議に思ったことを思い出した
3331の屋上 ビルに囲まれ、網目状のフェンスで覆われている
屋上でも催し物がときどきあった
3331の採用されなかったロゴ案 手書き
3331のロゴ案
これからの3331の活動を記したペーパー 壁に貼られている
未来の設計図も掲げられていた


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