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あなたのあの椅子、どうしましたか。

「捨てられた椅子に座るシリーズ写真展」

二○一七年六月に始まった“捨てられた椅子に座ってみる”というこのアクティビティ。足掛け五年の歳月を経て1,000脚の椅子に座ることを達成。それを記念する展示イベントが「捨てられた椅子に座るシリーズ写真展」だ。

1,000脚の椅子に座ってきたのは、
クリエイターで俳優のスミマサノリさんだ。

コロナ禍明けには、チェアリングをしたいなぁと思っていた私は、
この展示を知るやいなや申し込んだ。

雨のIID世田谷ものづくり学校。ビニール傘をラックに収め、手指を消毒するとそこはもう展示スペースだった。

エントランスの壁一面に貼り巡らされた1,000脚の軌跡

L字の壁一面にはられた写真たち。
いやはや、よくもこんなにたくさんの椅子が捨てられたものだ。五年間で1,000脚。一年間で200脚。一か月17脚弱。二日に一回ほど、スミさんは粗大ごみのシールが貼られた椅子に座ってきた勘定になる。同じ服装で写っている写真もあるので、一日に複数脚の椅子に座ったこともあるのだろう。それにしてもその数に驚かざるを得ない。

写っているのは、ミラノで座った一脚の椅子を除いて、国内で粗大ごみとして捨てられた椅子たちらしい。粗大ごみだということは、収集の予約がしてあるわけで、それがゴミ置き場や路上にあるのは僅かな時間しかない。

それゆえ、スミさんが椅子に出合うのはある種の“出合い頭”みたいなものなのだ。ちょっとした用事があってあとで座りに来ようなどと思っても、それは、見かけた野良猫をあとで触りに来ようとするようなもので、必ずといっていいほど、そこには野良椅子の気配すらないことになる。

スミさんによれば、この活動が周囲に認知されるに従って、捨てられた椅子を見つけた友人たちが写真を撮って教えてくれるようになったと言う。とはいっても間に合うかどうかはわからない。多くの人がこの無益だがなにか引っかかるスミさんのアクティビティに関わりたいのではないか。

捨てられた椅子に座り続けた五年間に、スミさんは五十代になり、上の娘さんは成人したそうだ。写真そのものも、寄りのものが多かったのが、引き気味の写真が増えていっている。捨てられた状況がわかったほうが遥かに面白いからだ。

軌跡のコーディネイト 872脚目の邂逅

不思議なことに、椅子たちの色とスミさんの服装の色がシンクロしているものがある。
「そうなんですよ。もう縁を感じてしまうというか」
どんなに縁を感じても、これらの椅子は一脚たりとも自分のものにはしていないという。
「そんなことをしたら、かみさんに怒られます」とスミ氏は太い声で笑った。

しかしこれはもう社会学である。いやアートでもある。
スミさんの単純なアクティビティの集積は、私たちの中にさざなみを起こす。
“私もこんな椅子をもってた!”
“なんで?まだ使えそうなのに”
“これいい感じだよね”
翻って、今、自分はどんな椅子に座っているのか。
その前に座っていた椅子はどうしたのか。
そもそも日本人はいつから椅子に座っているのか。

私たちは椅子と無縁ではないのだ。

中央・黒い帽子と服がスミさん

この写真の面白さは、もちろん俳優としてその場をつくりあげてしまっているスミさんの力もあるだろう。しかし、死(処分)を目前にした椅子たちに(もちろんリサイクルに回るものもあるに違いない)、刹那、命を与える行為にスミさん自身が彩られていった感もある。

スミさんが自らピックアップした椅子たちの解説がペーパーに載っていた。
私はそれを見ずに会場で気になったカットを写真に収めた。
その正解のない答え合わせをこれから楽しむところだ。

捨てられた椅子に座るシリーズ写真展
2022年4月14日(木)〜4月18日(月)
IID世田谷ものづくり学校 エントランス
入場無料(事前予約制)
11時〜19時(最終日、〜16時)
記念すべき1,000脚目
ウイスキーが飲みたくなる間接照明の魔力
この無防備なソファで寛いでしまうところがすごい
まるで自分の部屋のよう
こういう場所のほうが異物感を感じないのはなぜか。
どこか哲学的。
換気十分な食卓といった風情
このシンクロ感もすばらしい
これもファミマまで、ブルーのラインでつながっている

追伸
キリ番の1,000脚目以外、スミさんがピックアップした椅子たちと重なるものはなかった。なぜか残念(笑)

さらに追伸
ところで、スミさんの取り組みは、チェアリングとは真反対のものだった。チェアリングは椅子を開かれた場所に持ち出す行為だ。
スミさんのアクティビティは、椅子は動かない。自らがその場に出くわす行為だと言える。

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