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実写『リトル・マーメイド』

欧米では黒人のご機嫌を損ねるようなことを言うと人種差別主義者扱いされるため、黒人の言うことを否定できない風潮がある。
ぶっちゃけ、1990年代以降、欧米エンタメ界はその呪いに縛られたままだが、2016年秋の大統領選挙でドナルド・トランプが当選して以来、その思想は過度にエスカレートしている。映画のアカデミー賞にしろ、音楽のグラミー賞にしろ、演劇のトニー賞にしろ、黒人の演者やスタッフ、黒人差別問題を扱った作品を評価しなくてはいけない雰囲気になっている。

でも、冷静に考えて欲しい。

米国の大都市の大企業を舞台にした映画で

⚫︎黒人の主要キャラが少ない白人俳優主演の白人監督作品
⚫︎ほとんどのキャラが黒人の黒人俳優主演の黒人監督作品

欧州の中世を舞台にした映画で

⚫︎王族の側近が白人俳優の作品
⚫︎王族の側近が黒人俳優の作品

どちらにリアリティがあるかは言うまでもないことだと思う。

また、コミックや小説を映画化した作品や過去に映像化されているものをリメイク・リブートした作品で、オリジナルでは白人のキャラが黒人に変更されるケースも目立っている。

黒人キャラを白人が演じたらブーブー文句を言うのに、逆ならいいのかと思うのが普通だ。

でも、欧米エンタメ界ではそれを言うと人種差別主義者扱いされてしまう。

コロナ禍に入り、ディズニーが配信を重視する戦略を取るようになり、日本ではディズニー映画は本体の作品のみならず、ピクサー、マーベル、20世紀スタジオ(旧フォックス)など、どのレーベルでも苦戦を強いられるようになった。コロナ禍になってから公開されたディズニー配給作品で興収30億円を超えたのは「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」(42.9億円)だけだ。これだって、世界基準で見れば大コケと言っていい数字だ。何しろ前作は日本では興収159億円だからね。

しかし、韓国や中国などアジアの近隣国・地域ではディズニー映画の劇場での存在感はそこまで落ちてはいなかった。

ところが、本作は韓国、中国、香港、台湾、どの市場でも興行成績ランキングで初登場首位を逃している。

そのデータを見る限りでは、東アジアの国や地域の人たちは主人公が黒人になった「リトル・マーメイド」を受け入れることができなかったと言えるのではないかと思う。

本作のキャスティングが発表されて以来、日本でも映画ファンやネット民などが黒人アリエルに対してありえないと批判してきたが、その考えは東アジア人共通のようだ。

その一方で、米国では特大ヒットとなっているし、普段、ディズニーの実写映画を評価しない批評家連中も絶賛している。

個人的には、本作や、「ブラックパンサー」シリーズ、「クリード」シリーズ、一連のジョーダン・ピール監督作品などの米国での興行成績を見ていると、黒人マーケットというものが存在し、白人やアジア人などの動員が少なくても特大ヒットになれるようになっているのではないかという気もする。
90年代、米国の音楽チャート、特にシングルチャートはラップやヒップホップ・ソウルなど黒人音楽だらけになったが、それと同じような現象が今、映画の興行成績で起きているように思えてならない。

そんなわけで全く期待せずに本作を見た。

黒人アリエルに関しては最初は違和感あったし、やっぱり、暗い深海の場面だと黒人俳優がどこにいるか分からなくなるのはどうしようもないから、そもそもがキャスティングミスだと思った。
また、作中で赤毛と何度か言及されていたが、全然、赤毛に見えなかった。

でも、見ているうちに可愛いく思えてくるから不思議だ。最初はいくらポリコレで黒人を使わざるを得ないとしても、もう少し可愛い娘を使えよとか言われていたのにね。

また、アリエルのお目付け役のセバスチャンが安っぽいハリボテ、親友のフランダーがただの魚にしか見えないのも見ているうちに慣れた。まぁ、フランダーがオリジナルのアニメーション版より印象が薄いようには感じたけれどね。

それから、王子がイケメンではないとまでは言わないが、冴えないというか地味なのはどうなのよと思ったが、これも見ているうちにハンサムに見えてきた。ただ、王子を養子という設定にし、父親の国王は不在、国家元首の女王は黒人としたのは改悪だと思う。黒人や女性のご機嫌取りをしたいのかも知れないがそれはやってはダメでしょ。それをやるなら現代とか近未来を舞台にすべきでは。

その一方でオリジナル版のイメージそのままのキャラもいる。

悪役アースラは人種も見た目もそのままだ。

王子の愛犬マックスはちょっと色味が違うが、オリジナルの雰囲気は残っている。

また、アリエルの父であるトリトン王は演じる俳優がスペイン人と若干、ポリコレ仕様になっているが雰囲気はオリジナルのままだ。ちょっと背丈が海の王にしては小さく見えるが…。

というか個人的には人種的なものよりも音楽面の改変の方がどうなんだろうかと思った。

オリジナルでは冒頭に流れる短いミュージカルナンバー“海の底で”は本作ではしばらく待たないと流れない。

また、オリジナルでは“海の底で”のすぐ後に登場する“トリトンの娘たち”は本作ではカットされいる。後半に登場するコミカルな“レ・ポワゾン”もカットされている。
ミュージカルナンバー以外のスコアでも個人的にはアリエルが宮殿周辺を移動する際に流れる“ツアー・オブ・キングダム”という曲が好きだが、これも聞くことができない。

また、“アンダー・ザ・シー”はちゃんと定位置で使われてはいるが、絵面がオリジナルよりしょぼくなっているのはどういうことなのよって思う。それから、“キス・ザ・ガール”でセバスチャンが王子の耳元で“ハー・ネーム・イズ・アリエル”と囁くところもカットされている。王子が自らの考えで名前を当てたようにしたいという気持ちは分からないでもないが、なんだかなという気がする。

ところで“哀れな人々”のシーンで字幕にか“不幸な者たち”と出てきたが、そこは“哀れな人々”でしょって思う。楽曲の邦題を理解せずに字幕翻訳しているのか?

それから、映画用に追加した曲がどれもパッとしない。王子が歌う曲は、イギリスかアイルランドの90年代のボーイズ・グループが歌うバラードみたいだしね。風景がなおさら、そう思わせてくれる。

そして追加したミュージカルパートで一番ダメなのが声を失ってからのアリエルが歌うシーンがあるところかな。勿論、心の声という設定であることは誰でも分かるけれど、アリエルの声を観客に聞かせてしまうのは声を失ったという設定を台無しにしていると思う。

そうそう!アリエルと言えば、“パート・オブ・ユア・ワールド”でアリエルが岩に手をつき身を乗り出す場面が有名だけれど、それは二次元だから成立するのであって、実写でやったらギャグにしかならないよね。

ちなみに、オリジナルのアニメーション版は自分にとっては最も好きなディズニー映画だ(ディズニー本体のアニメーション作品のみならず、実写作品やピクサー、マーベル、ディズニー傘下になってからの旧フォックス作品、ルーカス作品、かつてのタッチストーンなどの作品も含む)。なので、どうしても辛口になってしまうんだよね…。

《追記》
ところでグランドシネマサンシャインのIMAXってそんなに言われているほど大スクリーンではないよね。2列目だったが視界に全て入っていたし。というか、音響システムがイマイチでは?時々、ノイズが入っていたぞ。コレで通常料金より遥かに高い2700円も取るのはぼったくりだね。それに予告やお知らせの上映中にちょいちょい画面が黒味になってしまうのはどうかと思った。アニメやネット民受けする映画の上映が多いから、グランドシネマサンシャインは過剰にマンセーされているが、結構、映写・音響システムは悪いと思う。時々、映像がカクカクしている時あるしね。

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