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「片袖の魚」

マイノリティを描いた作品はマイノリティの出自を持つ者が演じるべきだという議論が欧米では盛んだ。

黒人役は黒人が、アジア人役はアジア人が、障害者役は障害者が、LGBTQ役はLGBTQが演じるべきだという考えだ。

でも、この考えを極端に解釈すれば、犯罪者役は現役の犯罪者もしくは、過去に犯罪行為を働いた者しか演じられないことになるし、さらにいえば、宇宙人役は宇宙人が、ゾンビ役はゾンビが演じなくてはならなくなる。そんなのは不可能だ。

また、アニメや演劇というのは全員日本人キャストでも海外を舞台にした外国人キャラクターによる話を描くことができるが、この“思想”が国際的な取り決めになってしまったら、日本向けに日本語で台詞が発せられるアニメや演劇でも、たどたどしい日本語の外国人キャストで演じなくてはならなくなる。

それから、過去には女性のフリをした男性を主人公にした「トッツィー」や「ミセス・ダウト」といった傑作が作られたが、こういう作品の主人公も、実際に男装・女装の両方を日常的に行っている人しか演じてはいけないということになってしまう。

そして、作中では女装とかトランスジェンダーなどとは一切言及されないが、おそらく生まれながらの女性なんだろうと推測される「ヘアスプレー」でジョン・トラボルタが演じた母親役も、こういうキャスティングはNGということになるのだろう。女性の役は女性が演じなくてはいけないとなるのだろうから。

この母親は大柄な体格だが、最近はルッキズム批判も強まっているから、そういう視点で考慮すれば、特殊メイクやCGで太らせるのではなく、実際に太っている役者を起用しろということにもなるのだと思う。

その一方で、本来は白人の役を黒人が演じたり、本来は男性の役を女性が演じるのはOKというダブルスタンダードもある。

正直言って、こうした偏ったポリコレは好きになれない。

日本でも、日本アカデミーで最優秀作品賞を受賞した「ミッドナイトスワン」に関しても、主人公を元アイドルの男性が演じていることに対して疑問の声があがった。

もっとも、この作品に対する批判は、実際のトランスジェンダーが演じているか否かではなく、この作品の監督がネトウヨ思想全開のAV監督、村西とおるを美化した「全裸監督」を手がけていたことにあると個人的には思っている。
だから、マイノリティに対する描写が偏見を含めたステレオタイプなものと批判されたのではないだろうか?

ところで、日本ではリベラル的な主張を全面的に押し出している活動家やメディアでもLGBTといまだに言っているのは何故?
海外ではLGBTQもしくは、LGBT+など、LGBTの後にさらに文字がプラスされた呼び方が一般的なのにね。
つまり、日本で“LGBTに人権を!”などと主張している人の多くは、自民党や自民党的な考えの人たちを批判するために、LGBTQを利用しているに過ぎないんだよね。
Qとか+を無視しているのは、自身の性的認識が定かでない人などには権利を主張する資格はないって言っているようなものだからね。

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というわけで、実際にトランスジェンダーであり、モデルとしても活躍しているイシヅカユウが主演を務めた本作を鑑賞した。

トランスジェンダーというと、反権力的なイメージがあるせいか、今の日本政府の主張する通りにカナ表記なのに姓→名の順になっているのは違和感があるな。

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あと、こういうことを言うと、これまた差別扱いされてしまうのかもしれないが、イシヅカユウはモデル業をやっているのに、そばかすをそのままにしているのは、ルッキズム至上主義への抵抗みたいなものなのかな?

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作品自体は短編なので、正直言って物足りないと思うところもあった。
でも、トランスジェンダーとかに対する偏見やステレオタイプに満ちた描写もなかったし、LGBTQについて理解しているつもりの人間でも無意識に差別していることがあるという描写も自然にされていて良くできているとは思った。

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同窓会のような飲み会に主人公が参加した時に、同級生はトランスジェンダーの主人公を気持ち悪がったりはしないし、見た目が変わったことも受け入れていたのに、“そういえば、中学生時代にオネエみたいなところがあった”と発言してしまったのは、トランスジェンダーをテレビなどで見かけるオネエキャラの芸能人と混同している証拠だと思うし、主人公が取引先を訪問した際に、取引先の人から性別を聞かれるのもそうだと思う。

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また、主人公の勤務先には特に作中では何の説明もなかったものの、障害者も普通に働いているという風景が自然に描かれていたのは日本の映画やドラマでは珍しい描かれ方だと思った。

今回、イシヅカユウと監督の舞台挨拶というかトークショー付きの上映を見たが、その中で彼女が監督に“この台詞はおかしいみたい”な提案をしていたことが明かされていたので、トランスジェンダー描写に関しては、周囲の人間のリアクションも含めて限りなく現実に近いものになっていたのだとは思う。

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そして、トランスジェンダーの主人公を実際にトランスジェンダーであるイシヅカユウが演じたように、その障害者の同僚も実際に車椅子生活を送っている猪狩ともかが演じていた。

先述したように、○○の役は実際に○○の人が演じた方が自然だという考えのもと、キャスティングされたのだろうとは思う。

ところで、猪狩ともかが強風で飛んできた看板の下敷きとなり車椅子生活になったのは3年前なのに、安全対策を怠ったとして国を訴えたのが今年になってからということに関しては、ちょっと疑問を抱いた。退院して間もない頃に訴えていれば違和感はなかったんだけれどね。まぁ、コロナ禍になって、計画が色々と狂ったことから、色んなことに対して憤りを感じているのはよく分かるけれどね。

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あと、著作権問題というか、大人の事情というか、作中ではアニメとしか言及されていなかったが、「片袖の魚」というタイトルはもしかすると、片方のヒレが短い「ファインディング・ニモ」の主人公である海水魚カクレクマノミのニモから来ているのだろうか?

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そして、主人公がカクレクマノミを好きなのは、作中でも言及されているようにカクレクマノミが性別が変わる生態であることとトランスジェンダーを重ね合わせているのだと思う。

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それにしても、本作をK's cinemaで見たが、どうも、ここで見るのって苦手なんだよね。
何か、作品の関係者や知人など身内が観客に多いように見えて、一般の観客の居場所がないって感じがするんだよね。何というか、演者やスタッフがノルマで売り捌いたチケットで入場した知り合いばかりが訪れる小劇場で見る演劇に近い感じというのかな。
まぁ、そのおかげで舞台挨拶とかがあれば、登壇者が出入口で見送りしてくれるという他の映画館では体験できないサービスを堪能することもできるんだけれどね。

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《追記》
本作はスマホで撮影したということだが、スマホだけでこれだけのクオリティの作品を作れるというのは驚きだな!

《もう一つ追記》
トークショーを見て思ったが、作中で見るよりも生で見た方がイシヅカユウはキレイだし可愛いと思う。映画ではトランスジェンダーっぽく見えるように撮っていたのかな?そして、トークショーでの話し方や仕草を見ていると完全に女性だと思った。

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