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大雪海のカイナ ほしのけんじゃ

今年1月期に放送されたアニメの劇場版がもう公開されるというのは驚きだ。
「ドラえもん」の最初の劇場版はテレビ放送開始から11ヵ月経っているし、「クレヨンしんちゃん」や「名探偵コナン」は1年3ヵ月も経っている。
長期間にわたって放送されるファミリー向けアニメと1クールしか放送されない(2期以降が作られたり、2クール放送の作品もあるが)深夜アニメを同じ土壌で語るのは違うのかも知れないが、それでもこのスピード感で公開されるのは異例だ。

つまり、テレビシリーズは劇場版に引っ張るための長い予告編だったということなのだろう。“続きは劇場で”商法で最初から企画されていたってことかな。

そんなわけで、テレビシリーズを1話も見たことがないのにこの劇場版を見てしまった。そして、いかにもNHK(Eテレ含む)で放送しそうな内容のアニメなのに、フジテレビ作品であることにもちょっと驚いた。



途中までは全くどんな設定の話なのか、どういう人間関係なのか、理解するのに苦労した。とりあえず、高橋李依の演技はうまいなと思ったくらいだった。つまり、本作単体で見られる作品ではなく完全にテレビシリーズの続きだった。

でも、何となく世界観がつかめてからは“よくある話じゃん!”と思った。

要は環境が破壊された世界で生き延びようとする人たちが利権を巡り争うという展開だ。それって、もろ、「風の谷のナウシカ」だし、巨神兵みたいなロボット(兵器?工具?)も出てくる。しかも、このロボットは人間とリンクして動くようなシステムらしいから、嫌でも「新世紀エヴァンゲリオン」を想起してしまう。というか、「エヴァ」自体、何らかの理由で環境が破壊された世界の話だしね。

とはいえ、テンプレを切り貼りしただけのよくある作品かと言うとそこまで酷くはない。

環境が破壊される前の世界に戻りたい勢力と、今の問題点を修正した上で新しい世界を作ろうという勢力がいるし、さらには、今の状況を打破するためには多少の犠牲は仕方ないと考える選民思想の者もいる。

これはコロナ禍に突入してから現在までの3年半以上の期間のリアルの社会にも共通していることだ。

全員がリアルで顔を合わせる必要のない会議はリモートでいいし、ちょっとしたメールや書類のやり取りならテレワークでいいよねという勢力もいれば、2020〜21年の頃に比べるとコロナに感染しても致命的な症状に至るケースは減ったのだから、コロナ前の仕事のやり方に戻せという勢力もいるし、高齢者なんてどうせ遅かれ早かれ死ぬんだからこうした人たちの治療は後回しでいいと主張する連中だっていた。

そう考えると、本作は「ナウシカ」や「エヴァ」を東日本大震災やコロナ禍を経験した世代の視点でアップデートした作品と言ってもいいのかも知れない。

ただ、「ナウシカ」に比べると、環境保護のメッセージは薄いんだけれどね。何なら、環境保護を訴える連中は危険だと考えるネトウヨ的思想がちょっと混じっているようにも思えた。

なので、欧米受けはそんなに良くないのではないかと思った。

それにしても、本作を手掛けたポリゴン・ピクチュアズは、セル作画っぽく見えるCGアニメーション技術、いわゆるセルルックで有名で、本作でもその技術を堪能することはできるけれど、CGに見えないCGなんていうガラパゴスな技術が発展するのは日本だけだよね。
結局、ネトウヨパワハラ老害思想の日本のアニオタが新しい技術を受け入れられず、機械を使って作業することを手抜きと思っているから、こういう技術が発展してしまうんだよね。
PCで映像編集したことある人ならプロでなくても分かると思うけれど、結構、レンダリングだなんだで時間がかかるし、途中で止まる恐れもあるから、その間、見張っていなくてはならないから、全然、拘束時間は減らないんだよね。何なら、アナログ編集よりも時間がかかる。勿論、これまで複数人でやっていた作業を1人でできるみたいない省力化はできるけれどね。

だから、無知な老害オタクに媚びる必要なんてなかったのに、連中に媚びたせいで日本のアニメは古臭いものと海外からは思われるようになってしまった(東アジアを除く)。「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の劇場版が米国でもヒットしたのは、コロナ禍におけるハリウッド作品の供給不足のおかげというのが大きかっただけだと思うしね。
日本作品でも「ドラゴンボール」など海外市場を意識した作品はCG作画中心になっているから、やっぱり、米国でダサいと思われないためには脱・手描きアニメにシフトするのは当然の動きなんだと思う。

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