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ジョン・デューイのプラグマティズム。:『プラグマティズム入門講義』(仲正昌樹著)を読んで(後篇)

先日は本書の前半であるウィリアム・ジェイムズを扱いました。今回は後半戦としてジョン・デューイの部分をまとめます。ジェイムズは英国経験論を徹底する道を取ったと述べましたが、デューイもまた日常における経験に重きを置いています。

西洋哲学の系譜への批判

デューイは、西洋哲学がイデア的な理念型と現象的世界とを二分法的に切り分け、哲学の射程範囲を前者に置き、後者を実証科学に委ねていると批判しています。つまり、現実や実践に焦点を当てていない西洋哲学は、検証可能な領域に手をつけず保身的であると指摘しているのです。

そこでデューイが主張しているのは、認識と行為との関係性を転換することです。

行為を基に経験を意味づける

従来の西洋哲学においては、私たちの意識が先にあり、その意識によって何をなすべきかという行為が生じるという意識→行為という因果関係を前提にしていたとデューイは捉えています。しかし、その両者の関係性を真逆に捉えるべきだと言うのです。

私たちは、日常においてまず行為をしていて、それが何らかの理由で中断したり一区切りがついた時にその行為の意味合いを考えます。つまり中心にあるのは行為であり、行為→意識という順番で経験に意味が付与されるとデューイは考えたのです。

理性・理想・理論から経験・実在・実践へ

デューイが行ったのは、理性vs.経験、理想vs.実在、理論vs.実践という二項対立というものの見方およびそれぞれの前者を重視するという伝統的な西洋哲学への批判でした。

こうした状況においてデューイは、ソクラテスをはじめとした古代ギリシア時代において哲学が果たそうとしてきた役割に立ち返るべきであると主張します。つまり、二項対立のうちの後者に焦点を置き、日常における私たちの現実世界に重きを置くべきであるとしたのです。


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