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寝苦しい夜は必ず同じ夢を見るという壮大な独り言な件

熱帯夜で寝苦しい夜、あるいは咳喘息で咳き込んでよく寝られない夜とか、いつの間にやら変な体勢になって息苦しくなっているとか、寝られない夜が多々ある。そんな夜に限って見る夢がある。

必ずと言っていいほど同じ夢。しかもよくない方の夢。必ず同じ人達に無視されたりいじめられたり人間的に否定される夢なのだ。

ある日私は楽器を吹いていた…そう、吹いていた。もう何年も吹いていない楽器を吹く夢なのだが必ず同じ人が出てきてその私の行く手を阻む。私が楽器を吹いていると必ず否定してくる。なぜあなたがそこにいる?とかなんとか言われて。私も夢なのに何故だか今は吹いていない楽器を吹いているから場違いなのだが、本当は楽しく吹きたいのに吹けないから途中で帰る夢。

必ずそこで気がつく。なんだやっぱり夢かって・・・。

私楽器しばらく吹いていないのに吹いてるからおかしい、吹いてないから吹けるはずがないのに。いま吹けるのはホラくらいなのだが。(笑)

私はとあるアマチュアの楽団で楽器を吹いていた。だけど夫の体調不良と人間関係に疲れて退団してしまった。もしかしたら、うまくやっていければもっと続けていたかった。しかしその反面、もう自分の居場所がないところにいられないとも思った。そこには10年以上いて、娘っこが産まれても続けることが出来て、おばあちゃんになっても吹きたいくらいには楽器も好きだった。人づきあいの苦手な私に最初に居場所を作ってくれた大好きな空間だった。でもいつしか分かり合えなくなってしまった人がたくさんいて、私自身まで否定されるようになり、それから自分の渾身の音を出せた演奏会を境に楽器自体吹くのをやめてしまった。

最初は程のいい燃え尽き症候群だと思ったが、もうそういう思いをしたくなくて自分に蓋をしてしまった。

その頃夫が体調を崩したり、娘っこがバスケを始めて送迎などで忙しくなってしまってそれからぱったり楽器の蓋すら開けていない。あれだけ好きだった楽器をやめてしまったのは自分でも驚きだ。

でも、やめてみたら、家族と向き合う時間ができた。楽器が出来なくなったらどうなるんだろうと随分葛藤もしたがやめてしまってからは何やら心がすっきりしていろんなことに向き合うこともできた。

楽器以外にも趣味があったので(推し活とかライブ観戦とかドラマ鑑賞とか)家族のことと自分の好きなことに時間が取れるとこに正直ほっとした部分もある。

でも時々言われる。
「折角やってたのにもったいない、もうやらないの?」

何処の世界にもこの言葉を言われる人がいる。私の音が好きだと言ってくれる人もいた。私も言ってしまったことがあるのだが、この【折角】というのは他人のエゴであって当の本人は全然その言葉が刺さらないことがある。言われた時私は全く刺さらなかったその時には吹きたいと思っていなかったし。そして言ってみて私も痛感した。折角という言葉は虚無なんだということを。

自分がやりたいと思わなければその世界線には戻れない、自分が戻りたいと思っていても何かの障害で戻れない事も然り。

またやってみたいとは思うこともあるのだが、私は燃え尽き症候群と人間関係のトラブルでトラウマになっているのでもうその世界には戻れないかもしれない。恐怖ですらある。

って書いてみて初めて実感することになるとは・・・。ちょっと涙出てきた。

ただの夢の話だったのにこんなに膨らんでしまうとは、壮大な独り言が過ぎたと反省(苦笑)

自分にとって何かためていたものがあるのだろう。あの夢を見なくなったら戻れるのだろうか?って多分それは私のエゴかもしれない。

あの夢はきっとこれからも見続けることになるのだろう。もう戻ってくるなという暗示かもしれないし、私は今を生きて見据えて大好きな人たちと一緒に楽しいことをしていたい。

ちょっと愚痴のような感じになってしまったのでこの辺で。お見苦しい文章をみていただいてありがとうございます。次はぢの手術話でも書こうかと思います(笑)←

これも私の生きた証、すなわち生きざまなので、いいことも悪いことも発信はしていきたい・・・と。




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