「うかうかと半世紀生きてしまったものの…」 エッセイ♯2 「30年以上ぶりに再開した卓球」

中二の娘のニンタマに
「ママ、卓球やり始めたのっていつだっけ?」
と聞いてみた。
厳密には高校時代に部活でやっていた卓球を30年以上ぶりに再開したので、いつ再開したのかを聞いたのだ。
何故娘に聞いたのかというと、自分の記憶に自信がないからだ。
なんとなくまだ、再開したばかりで下手くそのつもりでいたのだが、よくよく考えてみると去年も一昨年もやっていた。
あれ?時間の感覚が若いころと違うから、最近のような気がするけど、もしかしたら私が高校時代に部活でやっていた期間をもう、超えているのかもしれない。
高1、高2、高3の夏・・・と、私が卓球をやっていた期間は2年と3か月くらいなのだ。
その頃には3回戦、4回戦くらいまでは進める選手になっていた記憶があるのだが、今の自分がそのころを超えているとはとても思えない。若いころは週2回の部活以外に、朝練、昼練と毎日卓球をし、なんなら合宿もあった。今は週1か週2で細々と続けているだけなので、やはり上達は遅い。
「ママさぁ、2019年くらいから卓球やってたっけ?」
「いや、そのころはやってないよ。2021年くらいからじゃない?」
2021年って言ったら、ばっちりコロナ禍で、つい最近のような気がしてしまうが、確かに卓球を再開しようと市のワンコインレッスンを受け始めた頃から、マスクをしていた気がする。
そして、なんとかとある卓球クラブに拾ってもらった時期を手帳で調べてみると、2021年の4月だった。
 
そうか…わりと最近だな…と思いつつ、部活動よりも長年やっているのに、全然上達していないことに愕然とする。
 
とはいえ、卓球クラブでは練習に参加した当初から
「基礎はできてるよね」
「うまい、うまい」
「やっぱ、若い時にやってた人は違うよね」
と、言ってくれる先輩もいた。
 
確かに、ワンコインレッスンに参加している時に一知り合ったご婦人などは、フォア打ちが10回続けばいい方だった。そういう方に比べれば、普通にフォア打ちは30回、40回は続けることもできたし、一応下回転で打つツッツキもなんとなくはできていたが、全然狙いは定まらないし、予想外のところに来た球には全く対応できなかった。
 
半年ほど通ったころ、
「足ができてきたね」
「体が動くようになったよ」
「うまくなった」
と言われたりもした。
 
しかし、やはり強い球を打たれたら、固まって何もできないし、いつも足はもつれていた。私は下回転をかける守備型のカットマンなのだが、カット練習をしても、最初の10球くらいは全く入らない。
 
先輩方からは「重心がおかしい」「手だけで打っている」「力が入りすぎだ」「なんでそんなにぐにゃぐにゃしているんだ」「膝が固い」「体重移動していない」などと、毎回注意を受けている。
 
それでも、1年ほど通っていると
「うまくなったねぇ~、最初はめちゃくちゃでどうなることかと思ったけど、やっぱり練習してるからだね」
と、言われるようになった。
そう言ったのは、最初から「基礎ができてる」とか「うまいうまい」って言っていた人だった。
 
そして、その人に最近こう言われた。
「うまくなったねぇ~去年くらいまでは変なあやつり人形みたいだったけど、ちゃんとカットマンに見えるようになって来たよ」
 
あやつり人形みたいな卓球ってどういうのだろうか…。
しかし、これは何も卓球に限ることではない。
 
スキーをしていても、
「お前は後傾だ」「いや、前傾だ」「違うな、前傾で後傾だな」「なんでそんなにぐにゃぐにゃしてるんだ」
などと先輩やコーチに言われて来た。
 
ダンスなどをやった時も、
「首が埋まっている」「膝が曲がりすぎ」「肘も曲がりすぎ」「なんでそんなにぐにゃぐにゃしてるの?グラグラだよ」
などと言われる。
 
何をしていても「ぐにゃぐにゃしている」は絶対に言われる。
 
分析するに、体幹が弱すぎるのだろう。
そして、言われたことをとりあえず、無理やり形だけで強引にやろうとする律儀さなのか、誤魔化しなのか分からないことを頑張ってしまうため、珍妙な印象を与えてしまうのだと思う。
 
とはいえ、全然悲観はしていない。
股関節や座骨神経痛に脅かされずに続けることができさえすれば、もうそれで御の字なのだ。
 
変な話、試合で全然勝てなくても、技術が上達しなくても、毎回謎に何かが上達しているような気がする。
錯覚なのかもしれないが、実力以外の何かが鍛錬されている実感があるのだ。
毎回、練習の度に何かの悟りを開いたかのような感動と驚きがあるのだ。
 
高校時代にやっていたころとは、多分大分毛色の違う面白さを感じている。動けない身体になって来たからこそ、広がる世界もあるのだなと思う。
 
とはいえ、ずっと夢見ていることがある。
とりあえず、何のスポーツをしても「ぐにゃぐにゃしている」と、言われない人になってみたい。
 
もはやぐにゃぐにゃしているのが、私…と、アイデンティティのようになっている感もあるのだが、人生のひと時だけでも、そうじゃない自分になってみたい。
 
今ならまだ間に合う気がするのだけど。

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