#01 命の実感値について

すべての命は等しく、大切である。すべての命は愛されるべきであり、尊重されるべきだ。

しかし、実感としてはどうだろう。

大切な誰かの命と、この夏何度も見かけた蝉の命。
空をはばたく鳥と、その眼下で咲く花。

その命は、等しいのだろうか。
実感として、等しいと思えるのだろうか。


初めて自分用に買った花が枯れたとき、悲しくて寂しくて、新しい花を迎える気にはなれなかった。
祖母を亡くしたときは一週間以上高熱が続き、愛犬を亡くしたときには一周忌まで気持ちが上向かなかったわたしにとっては、軽傷なのかもしれない。

それでも、あのときの花の命が愛犬のそれよりも軽いだなんて、わたしには言えない。


命の実感値は、やはり違う。
膝にとまった蚊は振り払ってしまうし、玄関前で力尽きた蝉の生に想いを馳せることは少ない。

それでも、「等しい」と言い続けたいと思う。
忌引きの認められる日数が違っても、喪ったときに悲しむ期間が異なっても、それは命の重さを量る基準にはならない。

人を叩くことと、動物に小石を投げることと、植物を抜いてしまうこと。
その行動に差はないと思う。

人も動物も植物も、すべて等しく大切な存在なんだと、そう思い続けたい。

命の値なんて、人が決められるようなものではないのだから。


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ひらやまさんのエッセイを読んでいて「書いてみたいなぁ」と思ったので書いてみました。
シンプルに書くって、難しいけど、楽しいですね。

また、書いてみようと思います。

2019.08.17.Sat

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