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とある、やさしくて、強くて、すてきな人の話

cotreeのひらやまさんが書いたnote「手紙|拝啓、社会人1年目の私へ。」を読んだんです。
すごいな、やさしいな、強いな、丁寧だな、すてきだな。とそんなことを思いながら読み進めていたら、いつの間にか視界が滲んで、いろいろな考えが頭の中を巡りました。
その、思考の履歴というか、わたしが感じたことや考えたことを箇条書きしてひらやまさんに送り付けてしまったところ、「この内容、というか感じたこと、noteにまとめてほしいなとか思ったw」と言われたので、こうしてnoteにまとめることにしました。

前書き

そういう経緯で書いたので、このnoteは、読書感想文であり、ファンレターであり、単なるわたしの日記帳でもあります。
それを踏まえて、お読みいただけたら幸いです。

ちなみに、ひらやまさんのnoteの内容をめちゃくちゃ引用しているので(そりゃそうだ)、まだの方はぜひ、そちらを先に。
でないと、わたしの言っている意味が分からないかもしれません(笑)

「え? この人むっちゃやさしくない?? やばない??」

過去の自分に宛てた手紙、あるいは若輩者・後輩たちへ言葉を贈る時には、圧倒的に、失敗や後悔に焦点を当てる人が多いように感じます。
かくいうわたしも、学校の課題などで幾度となく過去の自分へ手紙を出しましたが、その多くが「これは気を付けるんだぞ」「これはしないほうがいい」といったものでした。

すでにお読みいただいた方はご承知かと思いますが、今回わたしが感想文(笑)を書くnoteは、「26歳のひらやまさん」が「社会人1年目の頃のひらやまさん」に宛てた手紙です。

ひらやまさんが書いた手紙を拝見してまずすごいと思ったのは、「社会人1年目のひらやまさんの良かったところ」に目を向けている点でした。

もらった言葉をもれなくノートにメモしていましたね。さらに同じミスは繰り返さないように、学んだことを次に活かせるように、気をつけていましたね。

そのPDCAを回す習慣は、仕事をする上でとても重要です。ぜひ継続してみてください。必死に継続するうちに気づけば遠い所まで連れて行ってくれるから。
成長している苦しい期間は、成長を自覚することは難しかったですね。

それでも、日々後悔することがないようにやり切る努力を続けていましたね。それは本当に素晴らしいことです。ぜひ継続してください。
挑戦に寛容で常に前向きな姿勢がもたらしてくれる機会と成長は、ゆくゆくの自分を助けます。どれだけ迷っても悩んでもいいので、その真摯な姿勢は大切にしてください。

いやっ、もうっ…………、愛情!!!愛情が!!!あります!!!!

明確に言葉として「素晴らしい」と伝えている部分ももちろんすてきなのですが、それ以外の部分でも、ひらやまさんはずっと「してください」「してほしい」という表現をしていました。

決して「しないで」「するべき」とは言わないんです。(正確に言えば、“自信がない自分を否定しないであげてほしい。何もない中で必死に努力しているから。”の一文だけ、この表現が使われています。でもこの一文にこそ、ひらやまさんの愛情とやさしさが、100000%込められているように思えるのです。)

人は間違える生き物で、日々成長していく生き物だから、過去を見たらほとんどの人は「あの時、あんなこと言わなければ」とか、「もっと違うやり方をしていたら」とか考えると思います。わたしもそうです。

でも、ひらやまさんからの手紙には、そういう気持ちが見えないんです。ひらやまさんはひらやまさんで、いろいろ思うところはあるのでしょうが、少なくとも手紙の中では、過去の自分や、過去の自分のした選択をきちんと尊重している。仮にそれが今考えれば決して良い手だとは言えなかったとしても、「あなたはあなたなりに頑張っていたんだよね」というメッセージを、この手紙の端々から感じるのです。
ひらやまさんは、(その決して良い手だとは言えない選択も含めて)当時の自分が懸命に考えた末に行動していたことを理解しているのだと思います。

過去の自分は、今の自分と連続した存在でありながら、独立した存在のようでもあります。
過去のわたしは確かにわたしだけれど、きっと今のわたしとは違う思考回路を持っていて、同じ場に立ったとしても、違う選択をするかもしれない。そういうことを、ひらやまさんは考えているのではないのかな。違うかな。

あの手紙からは、過去の自分を、まるで他者かのように尊重し、敬うひらやまさんの姿勢が見えた気がしました。

フェアで、やさしくて、愛情深いひらやまさん

ひらやまさんは、やさしい人です。あの手紙を読めば、誰だって分かるはず。そしてそれと同時に、大変フェアな人でもあります。

良いところの裏には、だいたい悪いところがあります。でもわたしたちは過去を振り返る時、悪い部分に蓋をして良い部分だけを見て悦に浸ったり、逆のことをして後悔の念に侵されたりします。わたしだけでしょうか。

その点で、ひらやまさんはすごくフェアなんです。

例えば、さっき引用したものですが、次の文章。

成長している苦しい期間は、成長を自覚することは難しかったですね。

それでも、日々後悔することがないようにやり切る努力を続けていましたね。それは本当に素晴らしいことです。ぜひ継続してください。

めっちゃやさしい~~~って思うじゃないですか。
きちんと努力を見てくれてる~~~、成長が実感できない中でもがく苦しみを知ってくれてる~~~、尊い~~~~ってなるじゃないですか。わたしはなりました。

そして、その後には、こう続きます。

ただ、身体を壊して倒れてしまうことは、周りの人に心配も迷惑もかけてしまいます。やさしい周りの人はあなたには直接言うことはありませんが、色々なことを思うでしょう。

分かりますか、この奥深さが。一見、厳しい意見のようにも思えるけれど、めちゃくちゃやさしくて、なんかもう「ああ~~~愛されている~~~~」って感じじゃないですか。ですよね。

そして、何よりも自分が一番苦しいのです。やりきれなかった悔しさ、間違えてしまった後悔を抱えることになります。

あああああ~~~~~~、またやさしい~~~~~~~。やさしい上にやさしくされて更にやさしい言葉をかけてもらっちゃったらもうどうすればいいんですか。泣けばいいんですかって感じですよ。

現状がなかなか変わらないことに焦りを感じながらももがき続けている人がいたら、誰だって応援したくなるはず。
でも「がんばって」と思うと同時に「きちんと休めてるのかな」「倒れちゃわないかな」って心配になるのではありませんか。
そして、本人がしゃがみこんだ時にはそっと背中をさすろうと、あるいは温かい飲み物を差し入れようとするのではありませんか。
いろんなことを思いながらも、「でも、一番つらいのは本人だから」と、ただただ隣で背中をさすり続けるのではありませんか。

そういういろいろなものを、ひらやまさんは全部、包み隠さず伝えようとしているのだと思います。
変に味方するのではなく、変に敵になるのでもなく、変にお師匠様になるのでもなく。ただフェアに、他者として、同時に自分自身として、メッセージを伝えているのだと思います。

なんてやさしい人なんだ。
なんて愛情深いんだ。
なんてすごい人なんだ、ひらやまさんという人間は。もうほんと、すごいよ、あなたは。

2つのものをどちらも大切にしようとして、3つ目が犠牲になってしまう時

わたしがこの手紙を読んで一番共感したのが、下記の部分です。

ディレクションをしていたとき、クライアントと発注先の間に挟まれてしまい、どちらの言い分も大切にしすぎて、自分の意見がなくなっていましたね。

大変だとは思いますが、関係者全員が共通して目指せるゴールを模索するというPMにおける一番大切なことを学べる機会なので、諦めないで乗り切ってください。

似ている、と言うとおこがましいかもしれませんが、わたしにも似たような経験があります。

双方のバランスをとろうという時に、どちらの言い分も大切にしすぎて自分の意見がなくなってしまうこと。
そして、同じような状況で、今度は自分の意見を推しすぎて周りの言い分を大切にできなかったこともありました。

このあたりは随分苦労したところで、今でも油断すると、すぐどっちかに寄りかかりそうになります。
それでも少しずつバランスを保てるようになってきたのは(バランスとれてる…よね…?)、そういう立場を何度も経験したからなんですよね。何回も何回も、いろんな場所でやらせてもらって、少しずつ、本当に少しずつ「関係者全員が共通して目指せるゴール」を見つける方法を探っていった。
ひらやまさんの言葉を借りるなら、"諦めないで乗り切って"きたからこそ、今の、多少器用になった自分がいるんだと思います。

だからひらやまさんの手紙を読んだ時、なんだか勝手に自己投影してしまって、「大丈夫だぞ、頑張れ」って激励してもらったような、「ここまでよく来たな」って認めてもらえたような気がしたんです。

ここまでよくやってきたね。大丈夫だぞ、この調子で頑張れ、わたし。
って、自分で自分に言うのは気恥ずかしいけれど。ひらやまさんの手紙を読みながら、自然と思うことができました。

2つの立場の間に立つ時に限らず、人生には「2つのものをどちらも大切にしようとして、3つ目が犠牲になってしまう時」がたくさんあると思います。
2つのものを右手と左手で守ったらもう手は空いていなくて、3つ目がゴロゴロと転がり落ちていってしまうような感覚でしょうか。

その時、自分の手を増やすことはできないし、無理やり片手で2つ守ろうとしても、いつかこぼしてしまうでしょう。
だからそういう時は、両手だけでどうにかしようとするのではなく、別の誰かに協力を仰いだり、器を持ってきてそこに3つとも入れたり、何か工夫をする必要があるのかなと思っています。

伝わらないですかね。まあ要は、「目の前のことで一生懸命になっている時ほど、周りに目を向けて、今の自分にとってどれがベスト・ベターな選択なのかをよく考えたいな」ってことです。どうですか、ひらやまさん。

ちゃんと見る。ちゃんと向き合う。

ひらやまさんは、この手紙の中で「自分をさらけ出すことができないこと」について、こう振り返っています。

自分をさらけ出すことができないことは、良い点でも悪い点でもありましたね。

わたしはこの一文を読んで、最初、少し驚きました。
「自分をさらけ出せない」というのを、悩みや、コンプレックス、負い目として話す人はいたけれど、良い部分として話す人はいなかったから。
でも、ひらやまさんの考える「自分をさらけ出せないことの良い点」を知って納得しました。

“できないとわかっていても「できます」と言ってから、考えて、できるようになったことがたくさんあること。”
"限界だとわかっていても「やります」といったから、たくさんの機会に恵まれたこと。”

「すごい……」って呟いていました。画面のこっち側で。
確かに、自分をさらけ出せないからこそ、達成できた部分もあるのかもしれません。機会に恵まれ、成長に繋がったのかもしれません。

“ただ、その強さは弱さでもありましたね。”とひらやまさんは続けます。

体にも精神にも、負荷は大きくかかっていたこと。
抜き方や休息の仕方をよく知らないまま、倒れるまで努力してしまったこと。

んんんっっ、わかりみが深い……!!!!!
自分をさらけ出せないと、心身への負担が蓄積し、どこかに支障が出るまで動き続けてしまいかねません。

でも、そのリスクと弊害を理解した上で、ひらやまさんは“良い点でも悪い点でもありました”と言っているのです。
これ、すごくないですか。

“自分をさらけ出すことができない”という、一見すると「いやー、自分、あの時若かったわー、良くなかった」で片づけそうなことも、ちゃんと良い面と悪い面の両方を見て、両方を言葉にできているんですよ。
しかもそのどちらもが、他者が見た時にちゃんと納得できる内容なんですよ。すごくないですか。

なぜ、こんなにも無自覚に愛情深いのか

このnoteを書く前にひらやまさんに送り付けた箇条書きの感想まがいのもの(笑)の中に、「ひらやまさんは愛情深いなぁ」みたいなことを書いたんです。

わたしとしては、言わずもがなというか、わざわざ言葉にするまでもないというか、「ま、いつも感じることなんですけどね」ってくらいに思っていたんですが。
当のひらやまさんからは、「よく言われるけど自覚がない」という返答がありました。

…………えっ??
正直、こんなにnoteやツイートから愛情をあふれさせている人に「自覚がない」と言われちゃうと、もうどう伝えればいいのか困ってしまうのですが(笑)、今回の手紙を読む中で感じた「ひらやまさんの愛情深いポイント」を、厳選して4つご紹介したいと思います。

①変に取り繕わずに、ただ純粋に、「心配しているよ」を伝える

自分を労わる時間も大切なのに、常に成長するために負荷をかけ続けることが正義のように感じていましたね。

そのまま続けると身体を壊すことになるので、どこかで自分にやさしくあげてほしいです。壊したことがないとわからないかもしれないけど、身体的にも精神的にも崩れるということは、本当につらいから。

この一節を読んだ時、思い当たる節がいくつかあった(成長のための負荷をかけ続けるのが正義だと思っていた)わたしは思わず涙ぐんでしまったのですが、ひらやまさんが持っている愛情の深さ、器の大きさは、こんなところに表れているんじゃないのかな、と思います。

手紙を読むと、「社会人1年目のひらやまさん」がたくさんの危うさを抱えていることに気付きます。
いつか大きく成長できるそうでいて、いつかその身体と心を壊してしまいそうで。危うさは、時に猛々しく、時に儚く、この手紙のそこかしこにちりばめられています。

そんなひらやまさんに対して、「26歳のひらやまさん」は、諭すわけでも、励ますわけでも、叱るわけでもありません。ただただ純粋に、心配しているのです。
「あなたのことが大切なんだよ」というメッセージを、真摯に伝えようとしているのです。

それは、今のひらやまさんが、周りの人たちからのそういうメッセージに、たくさんのものを受け取ってきたからなんだろうなぁ、と思います。
だから、ひらやまさんの言葉はとても多角的で冷静なのかもしれません。「前に突き進もうとするだけでは得られないものもあるけれど、前に突き進もうとすることが生み出すものもある」と知っているから、「止まって」でも「落ち着いて」でもなく、"どこかで自分にやさしくあげてほしい"というフレーズが出てくるのではないでしょうか。

加えて。
ひらやまさんの手紙からは、相手のことを心の底から心配しているのが伝わってきます。どうか元気でいてほしい。どうか幸せでいてほしい。どうか笑顔でいてほしい。
でもひらやまさんは、手紙の中で「心配している」という言葉は、一度も使っていないのです。
そもそも「心配」さえ、使われたのは一度だけで、それも"身体を壊して倒れてしまうことは、周りの人に心配も迷惑もかけてしまいます"という、あくまで他者の感情についての話です。

心配してもらえるのはとても幸福なことだけれど、心配が大きくなるに連れて、だんだんと負担も増えていってしまうものです。
「自分は信頼されていないのだろうか……」「心配をかけてしまって申し訳ない……」「心配をかけないように、ますます頑張らないと!」と思ったことが、一度や二度はあるのではないでしょうか。わたしには、たくさんあります。

まるで、お母さんが、転びそうによたよたと歩いていく子どもの背中を見守るかのように。「そこの小石が危ないよ!」とか「もっとゆっくり歩きな!」といった声をかけたくなるのをグッと堪えて、「気を付けて、いってらっしゃい」という一言にとどめるように。
ひらやまさんは、社会人1年目のひらやまさんを、周りの人たちを、見守っているのだと思います。

②不安であることを許し、不安な気持ちごと大切にする。

成長してゆく中にも不安を感じていましたね。

自分の内側が空っぽのような感覚があり、それを見たくないから目の前のことに脅迫的にのめり込んだかもしれないですね。

その不安は、そのままでもいいです。

“不安は、そのままでもいい”というフレーズを、わたしは初めて聞きました。
わたしにとって「不安」は、少ないほうがよく、人生の負担で、足を竦ませ歩みを遅くするもので、なるべく軽くするために工夫するべき存在でした。
でも、そうではなかった。
その不安があったからこそ、出会えた人や、できた経験、知れた感情があるのです。

その結果、得られた友人がいて、尊敬する上司ができて、大切なメンバーとも出会えて、得られた経験やスキルがあります。

不安は、そのままでもいい。
この言葉は、社会人1年目のひらやまさんに対して、一筋の光となるのではないでしょうか。不安を感じながらも、成長せねばと焦っていた彼のからまりそうな足を、確実に一歩前へと進ませるのではないでしょうか。
そして、当時のひらやまさんと同じような状況にいる、あるいは過去、その場にいた人にとっても、この言葉は、ふっと心の荷物を降ろすきっかけとなるのかもしれません。例えば、わたしのような。

③本当に大切にしたいことを、真剣に伝え続ける。
冒頭のほうで述べたことと重なりますが、ひらやまさんは手紙の中で、終始控えめな表現をしています。
「こうするのをオススメするよ」という温度感はとても心地よく、愛あるメッセージは心にぬくもりを与えてくれます。

しかし、「心と身体を大切にすること」と「行動し続けること」に関しては、ひらやまさんは少し違った温度で伝えようとしています。

身体を整える習慣を身につけることをおすすめします。よく食べてよく運動してよく寝て。メンテナンスを習慣にするとともに、体や気持ちの変化に敏感になってあげてください。
どんな状態でどんな気持ちであれ、目の前のことに集中して真摯に向き合えた経験はこの先の人生を支えてくれます。

だからどうか、現状否定して斜に構えて何も行動を起こさない人にならないようにしてください。

“だからどうか”と添えるくらい、真剣に伝えているのです。
この2つは、どうか大切にしてほしいと。どうか、心と身体を犠牲にせずに、また、行動しない人間にはならないでほしいと。

きっとこの2つは、今のひらやまさんの生き方や考え方に対して、とても大きな影響を与えているのでしょう。
そのどちらもが、自身の成長につながる要素であることも、ひらやまさんのやさしさを感じさせます。

④“弱い自分を受け入れてあげてほしい”と言える。

どうか弱い自分を受け入れてあげてほしい。苦手な部分と弱い部分に向き合ってほしい。できない自分も含めて、自分なのだから。

"弱い自分を受け入れてあげてほしい"、"自分にやさしくしてあげてほしい"という言葉のやさしさよ。
この言葉がストンとわたしの心に落ちたのは、他でもないひらやまさん自身が、自分の弱い部分を受け入れて、自分にやさしくしているからだと思うのです。
そんなひらやまさんだからこそ、ストレートにこの2つを言うことができ、わたしたち読者は、素直に受け取れるのではないでしょうか。

強さ×やさしさ×愛情

ひらやまさんは手紙の最後に、こんなことを書いています。

“「自分の人生に責任を持てるのは、自分だけ。」”

この言葉がすきです。

”自分の人生に責任を持てるのは、自分だけ。”という、厳しくも強い言葉に対して、“すき”というやさしく愛情深い言葉を合わせているところが、なんともひらやまさんらしいなぁと思いました。
ひらやまさんがどう考え、どう生きてきたのか、この部分だけでも十二分に伝わってきます。

わたしがひらやまさんを一言で表すなら、「強さ×やさしさ×愛情」です。
わたしは、ひらやまさんほど強く、やさしく、そして愛情を持った(かつそれに無自覚である)人を知りません。

それから、最後に。

どんな状態でどんな気持ちであれ、目の前のことに集中して真摯に向き合えた経験はこの先の人生を支えてくれます。

社会人1年目の頃にした経験や得た知見、抱いた感情は、今の「強さ×やさしさ×愛情」のひらやまさんに、ものすごく影響を及ぼしているのでしょう。
だからこそ、“経験はこの先の人生を支えてくれます”という言葉が出てくるのだと思います。

社会人、1年目。
成長を感じることや、新しいことにチャレンジする機会もあったでしょう。そしてそれと同時に、悔しい思いをすることや、自分の力不足を意識する瞬間だってあったでしょう。
きっと、平坦な道ではなかったはずです。

でも、今のひらやまさんが、弱さを大切にしようとできる人で、やさしく在ろうとする人で、いろんな想いを他者に届けられる人で、過去の自分を尊重できる人なのは、その平坦ではない道があったからこそなのでしょう。

ひらやまさんが最後を

どうせ無理すると思うけど、ほどほどにね。生きてさえいれば、なんとでもなるから。

と結べるのは、その平坦ではない道を時にがむしゃらに、時に冷静に、時に誰かと支え合いながら、歩んできたからだと思うのです。

すてきなひらやまさん。
今のあなたには言わずもがなでしょうが、ほどほどに休憩しながら、これからもやっていってくださいね。
心から、応援しています。

このファンレターを書くにあたって

TOP画像に設定されているのは、ひらやまさんが実際に受け取ったお手紙なのだそう。その一文が、「愛してるぜ!」なのも、ひらやまさんがどれだけすてきな人に囲まれているか、そんなひらやまさんはどれだけすてきな人が、伝わってくるというものです。もう、本当ね、たまらないよね。(笑)

今回、こうして、ひらやまさんが書いた手紙に対してのファンレター(になるのだろうか)を書くにあたって、一度ひらやまさんにお手紙を書いてみることにしました。まだ贈ってはいないけれど。
書いていて、あらためて、ひらやまさんの言葉や行動に励まされていたことに気付きました。ありがとう、ひらやまさん。

すでにお分かりかと思いますが、今回のTOP画像は、このnoteを書くにあたって用意した、リアル・ひらやまさんへのお手紙の一部です。
誰かのためにペンを執るのは久々で、とてもすてきな時間となりました。

これは、cotree advent note 45日目です。

お誘いしてくださったひらやまさんと、すてきなnoteを毎日届けてくれているチームcotreeの皆さまに感謝を込めて。


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