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憎いあいつを倒す為に、私は…力をつけた

・・・憎い。

あいつが、憎い。

私から大切なものを奪った、あいつが憎い。
私の大切なものを奪っておいて、のうのうと生きているあいつが憎い。
私から奪ったものを愛でる、あいつが憎い。

あいつを私は許さない。
あいつを私は必ず・・・やる。

私の決意は固い。

しかし、私の決意を実行するには、圧倒的に足りないものがある。

私は、弱い。
私は、力を持っていない。

あいつをやるには、武器がない。
あいつをやるには、体力がない。
あいつをやるには、知恵がない。
あいつをやるには、運がない。

まず、力をつけなければ、私は返り討ちに合うだけだ。

こぶしを握る力を持つために、私は努力を始めた。

こぶしすら握れぬ貧弱な体を、毎日毎日奮い立たせて、顔をあげた。
こぶしすら握れぬ貧弱な体は、毎日毎日、前を向いた。
こぶしすら握れぬ貧弱な体が、毎日毎日…先を見つめた。

やがて、私はこぶしを握ることができるようになった。

私のこぶしは、憎しみを確かに握るようになった。
私のこぶしは、憎しみを確かに握りつぶすようになった。
私のこぶしは、憎しみを握りつぶして、野望を掴むようになった。

こぶしを握ることができるようになった私は、闘うための力を願うようになった。

憎いあいつを叩き潰すために、闘える体を作らなければならない。
憎いあいつを叩き潰すために、闘える技量を身につけなければならない。
憎いあいつを叩き潰すために、闘い切るだけの持久力を持たなければならない。

今私があいつを叩きのめそうとしたところで、運動部所属暦12年の体力自慢に勝てるはずがない。

憎いあいつを叩き潰すために、闘える体を作り続けなければならない。
憎いあいつを叩き潰すために、闘える技量を身につけ続けなければならない。
憎いあいつを叩き潰すために、闘い切るだけの持久力を持ち続けなければならない。

毎日毎日体力づくりを欠かさない私は、こぶしで板を割る事ができるようになった。

私のこぶしは、武器として使えるようになったのだ。
私の体は、すばやく状況を確認して動作に変えることができるようになったのだ。
私は、闘い切ることができる持久力を身につけることができたのだ。

私から大切なものを奪ったあいつは、ただのうのうと暮らし続けて、衰えていた。

私が長く自分を鍛えていた間、憎いあいつはただ老いていったのだ。

自慢のはちきれんばかりの豊満な肉体はしぼみ。
自慢の輝かんばかりの笑顔はしわがより。
自慢の振り回さんばかりの行動力はなりを潜め。

私は、こんな貧弱なやつを叩き潰すために前を向き続けていたのかと、打ちのめされた。
私は、こんな惨めなやつを叩き潰すためにこぶしを握り続けていたのかと、意気消沈した。
私は、こんなつまらないやつを叩き潰すために力を蓄えたのかと、失意の底に落ちた。

憎いあいつは、私から大切なものを奪ったことすら忘れて、少女のような笑顔を私に向けた。
憎いあいつは、私から大切なものを奪って、大切なものが大切なものであることすら忘れて、少女のように無邪気な笑顔を私に向けた。

憎いあいつは、何もかも忘れて、ただただ笑顔を振りまいている。
憎いあいつは、何もかも忘れて、ただただ貧弱な姿をさらしている。
憎いあいつは、何もかも忘れて、ただただ、陽だまりでぬくもりに身を委ねている。

私は、憎いあいつを叩きのめすつもりで握っていたこぶしを、ただただ、胸の前で…震わせることしか、できなかった。

……私は結局、憎いあいつを叩きのめすことは、できなかったのだ。

私は結局、大切なものを奪われて、それを奪い返す事も無く、ただその状況を受け入れただけの存在だったのだ。
私は結局、自分の悔しさを自分の中に持ち続けて、憎しみを顕にし闘うことができなかった…ただの意気地無しだったのだ。

私は憎しみの発散先を失ってしまった。

私はもはや、憎いあいつに手を下すことはできない。

憎いあいつは、どう見ても弱者で、庇護されるべき存在になってしまった。

私が、憎いあいつのせいで心を病んだ事実があったとしても。
私が、憎いあいつのせいで荒んだ生活を送るようになった事実があったとしても。
私が、憎いあいつのせいで人を一切信じることができなくなった事実があったとしても。

私は、憎いあいつをはじめて憎いと思ったときに、手を出すべきだったのだ。

負けてもいい…何ならぶちのめされておけばよかったのだ。

私が憎いあいつにぶちのめされて、私がこの身を害されていたならば、私は完全に弱い存在のまま強い存在に倒されることとなったのだ。

……私はただ、奪われただけだ。

奪われた後、もうすでに終了している事象に対して…惨めったらしく、未練がましく、何もできずにいる自分が許せなかっただけなのだ。

勝手に闘うことを目標に掲げ、勝手に1人で努力をし、勝手に力をつけて。

…叩き潰すと誓った、憎いあいつの潰すに値しない貧弱ぶりを目の当たりにし、何もかも投げ出したくなった。

憎いあいつを叩きのめすことは容易だろう。

私は、同年代の中で一二を争えるほどに、体力に自信があるのだ。
私は、同年代から目を剥かれるほどに、重労働を日々こなしているのだ。
私は、同年代とは思えないという評価をもらうほどに、軽やかで力強い行動力を持っているのだ。

だが。

憎いあいつを叩きのめして、事情を知らない司法機関が私を捕縛するなど、あってはならないことだ。
憎いあいつを叩きのめして、事情を知らないまわりの者が私を攻め立てるなど、あってはならないことだ。
憎いあいつを叩きのめして、事情を知るかつての関係者達ですら、私を迫害し始めるなど、あってはならないことだ。

私は悪くない。

悪いのは、憎いあいつ、ただ1人。

悪いやつは、悪さを追及されること無く、ただ幸せそうに笑っている。

私は、憎いあいつに大切なものを奪われてから、一度だって幸せなど感じたことは無かったのに。
私は、憎いあいつに大切なものを奪われてから、一度だって心から笑ったことは無かったのに。

いらいらする。

とても、とても…いらいらする。

早くすべてを忘れてしまいたい。

私も、憎いあいつのように、すべて忘れてしまえたなら。

私は、憎いあいつをうらやましく思ってしまったことに、激しく動揺した。

憎いあいつのことを、私が。
憎いあいつがいたから、私は。

私は、あいつが憎い。
私は、あいつが憎くて仕方がない。

私はどうして、あいつと関わってしまったんだろう。
私はどうして、あいつから離れられないんだろう。

いらいらする。

とても、とても…いらいらする。

私はイラつく気持ちを落ち着けるため、長年愛用しているパンチングポールを殴りつけた。
自分の身長と同じ高さの、空気で膨らませるタイプのパンチングポールは…憎いあいつの鳩尾に一発決めることを誓って購入したものだ。

ばすん、ばすん、ばしん!!!

長年打ち込み慣れたパンチングポールに、私のこぶしがきっちり入る。
起き上がりこぼしの要領で、小気味よくパンチングポールが跳ね返ってくる。

何度もパンチを埋め込み、最後はキックで締めようと足を振り上げ、下ろした瞬間。

ば、ばしゅぅうう…!!!

パンチングポールは、突如裂けて、ただのビニール片になった。

……私は、怒りを打ち込む先すら、なくすことになってしまったのだ。

いらいらする。

とても、とても…いらいらする。

この気持ちを発散させるには。

…私は、ジョギングに出かけることにした。

走って全身の血液を廻せば、少しは気が紛れるかもしれない。
走って全身の筋肉を動かせば、少しは気が晴れるかもしれない。

走って心地よい疲労感を得れば、少しは深く眠れるようになるかもしれない。

早朝、まだ薄暗い中、ジョギングへと繰り出した。

新鮮な空気は私を優しく包み込み、自然と走る足も早くなる。

少しくらい、オーバーワークのほうが、きっといい疲労感がつくはず。

そう思った私は徐々にスピードを上げ、公園のジョギングコースを軽快に進む。

走るスピードが上がるにつれ、気分が高揚してきた。

とても、とても心地がよくて…つい。

私は追い風に乗って、ジョギングのスピードを上げた。

私についてこれるものは…いない。

たっ、たっ、たっ・・・。

小気味よい、足音が、早朝の公園に響く。

ご、ごぉっ・・・!!!

ずいぶん強い風が一瞬、吹いた。

私は、追い風だと思って、その風に乗っかることにしたのだ。

風と共に、私は走る速度をさらに上げた。

早く走ることがこんなにも気持ちいいなんて、知らなかった。

私は、信じられないくらいのスピードで公園内を走り始めた。

ぐんぐんスピードは増してゆき、公園内をジョギングしていたランナー達を何人も追い抜いていった。


私はそのうち、風さえも追い抜かして、猛スピードで公園内を駆け巡るようになった。


…私は、とてもすっきりとしていた。

…ああ、走るのって、本当に気持ちがいい。

あまりにも気持ちがよくて、つい、笑って、しまったのだ。


「ふふ、ははは、あはは…!」


いつの間にか…憎しみの詰まった体を脱ぎ捨てていた私は、満面の笑みを浮かべたまま。


……空に向かって、猛スピードで、駆け上がった。



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