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マヨネーズパン

 職場に向かう道に、コンビニがあった。

 朝七時半に通りかかると、毎回毎回、マヨネーズの焦げる美味しそうなにおいがする。

 たまに手作りしてしまうくらいマヨネーズが好きな私は、この場所が大好きだった。

 おそらく、マヨネーズを使ったメニューを店内で調理しているのだろう。

 毎日毎日、雨の日も風の日も、香ばしいにおいがコンビニ裏手の路地に漂っていた。それを、嬉々として体内に取り入れていた。

 …私は朝ごはんを食べない主義である。

 朝起きて、一杯の白湯を飲んで出勤していた。眠りこけていた胃袋を優しく白湯で揺り起こしてから家を出ると、早歩きで五分ほど移動しているうちに内臓が活性化してきて、ちょうどコンビニのあたりで騒ぎ始めた。

 この場所を通るたびに、おなかがぐうと鳴った。
 この場所を通るたびに、二日酔いが吹き飛んだ。
 この場所を通るたびに、つまらない失敗を忘れた。

 毎日新たな気持ちで仕事に向かうための、儀式のように…深呼吸を、ひとつ。

 気持ちを、体を、迷いをリセットしてくれる、大切な儀式となっていた。

 そんなある日、私は有給を取ることになった。

 いつものように白湯を飲んでから、近所の公園に出かけることにした。

 公園は毎日乗っている駅の向こう側にあるので、コンビニの横を通り過ぎることになる。

 ……いつものように、マヨネーズの焦げるにおいがした。

 私は深呼吸をしようと思い、ふと立ち止まって…店内に入ってみることにした。毎日私を虜にしている、あのニオイの持ち主に対面してみたいと思ったのだ。
 ニオイだけでこれほど私を魅了している商品だ。それはそれはうまい代物に違いない。

「いらっしゃいませー!」

 店内に入ると、ややくたびれた感じのおじさんが、明るく声を張り上げた。

 どこにでもあるような、ごく普通のコンビニだ。イートインコーナーの横に、手作りのお弁当やお惣菜が並ぶスペースがある。ここは店内で調理をするタイプのコンビニらしい。

 外ではあれほどマヨネーズの焦げたいいにおいがしているのに、店内はさほどおいしそうなにおいがしていないのが不思議だった。

 換気扇の力、恐れ入る…そんなことを思いながら、棚に並んでいるメニューを確認した。

 カツ丼、ホットドッグ、おにぎり、カツサンドにチャーシュー丼、オムライス…。

 ……おかしい。

 マヨネーズを使った、メニューがない。

 お弁当コーナーではなく、レジ横のホットスナックの陳列棚を見てもマヨネーズの片鱗すらうかがえない。ポテト、アメリカンドッグ、フランク、肉まん、唐揚げ各種、ポテトコロッケにかぼちゃコロッケ、メンチカツ……。

 確かにマヨネーズのにおいはしているのに、マヨネーズの白も、マヨネーズがこげた茶色もどこにも見当たらないのだ。

 これは…どういうことなんだろう。

 もしかしたら、作ってすぐに売り切れた?
 ひょっとしたら、荒熱を取るために冷やしているのかも。
 しばらく店内に留まってみたものの、マヨネーズの商品は出てこない。

 棚のPOPを確認する限り、今出ている商品以外に売切れてしまったものはなさそうだった。

 腑に落ちないまま、ドリンクだけ買って店を出た。

 それから、私は謎を解くために休みのたびにコンビニに行くようになった。

 なかなか真相がわからないまま、私はくたびれたおじさんと顔見知りになった。

 気軽に挨拶を交わしていくうちに、おじさんが同い年だということを知った。人手が足りずに年中無休で夜間勤務をしているせいで、若さもハリも失われて老け込んでいることを知った。

 店長である波崎さんがお笑い好きだということを知ったあたりから、毎朝軽口を叩き合うような仲になった。時に労り、時にツッコみ、時に滑り、時に凍りつき、時に笑いが止まらなくなり。

 そして、ついに……、マヨネーズのにおいの謎が、判明した。

「焼きマヨトーストは、俺のご褒美メシなんだよ!」

 波崎さんは、毎朝七時半に、朝食を取っていただけだったのだ。

 マヨネーズが好きなので、厨房の大型トースターを使ってマヨネーズエッグトーストを勝手に焼いて食べていたのだった。

 厨房には業務用の1キロマヨネーズが常備されており、ひと月以内に消費していたのだから恐れ入る。九時までの勤務なので、七時半にマヨネーズを補給して、あと残り1時間と気力をふりしぼっていたのだそうだ。

 確かにマヨネーズトーストはおいしいからなあ…毎日食べたくなるよね。

 一度ご馳走になってから、私は特製マヨネーズトーストの虜になってしまったから……、その気持ちは痛いほどよくわかったのだった。


「ばあちゃーん!あさごはん作ってー!!」

「あたしも!!二枚で!!!」

 旦那のマヨネーズトーストのレシピは、今でもしっかり私の中にある。

 娘にも、息子にも、孫にも教えたけれど…みんなパパの作るやつが一番おいしいって言ってたんだよね。

 ……今では、私が作るものが一番おいしくなってしまったのだけれど。

 いつまで…私はマヨネーズトーストを焼く事ができるかな?

 私が焼いても、旦那の焼いたマヨネーズトーストのにおいは出せないのよね。

 ……そろそろ、こげたマヨネーズのおいしそうなニオイを、また楽しみたいものだけど。

「まだパン残ってる?!俺の分もお願い!!」

「パパが食べたらおばあちゃんの分がなくなっちゃうじゃないの!!」

「僕ちょっと店に行って食パンとって来るよ!!」

「ちゃんとお金払いなさいよ?!バイト代から引くからね!!!」

 まだまだ、店が、子供達が、孫たちが心配で…私は旦那のもとには行けそうにない。

「ハイ、じゃあ半分に切ってあげるから、仲良くお食べ。何度でも焼いてあげるからね、じいちゃんのマヨネーズパン!」

 私は、ほんのりと焦げたマヨネーズが乗ったトーストに、サクサクと包丁を入れて…家族の前に差し出したのだった。

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