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私の手紙

 ……結婚が決まったので、おばあちゃんを式に招待することにした。

 おばあちゃんは私の父方の祖母。今は、遠く離れた場所に住んでいる。
 私が小さい時に、母はお父さんと別れてしまったので……、それ以来おばあちゃんとは一度も会った事がない。

 けれど、私は、夏休み、冬休み、年賀状と、年に三回、おばあちゃんに手紙を出していたので……思い入れが、あった。

 ―――ミキちゃん、絶対、絶対にお手紙、ちょうだいね……
 ―――うん、わかった……

 一緒に暮らさなくなった5歳の頃から、一生懸命文字を学んで……、手紙を、書いた。

 はじめは、本当に、一行、二行の文字を。漢字を知ってからは、しっかりと使うようにして。
 夏休みと冬休みは、ちょっとした小説並に長いものを送り、年賀状には願いをこめて詩を書いて出していた。
 老いて文字を書くのが辛くなったというおばあちゃんから手紙の返事がもらえなくなっても、二十歳になるまで手紙を出し続けた。

 ……おばあちゃんに手紙を出すことは、私の中で大切な儀式になっていたのだ。

 保育園でお友達ができたこと、小学校に入ったこと、バレンタインにチョコレートを作ったこと、彼氏ができたこと、生徒会長になったこと、彼氏との別れ、初めてのアルバイトでのエピソード、高校受験に失敗してしまったこと、大学受験でがんばったこと、論文がリジェクトされて落ち込んだこと、新しい指導者との出会い、これからの夢。

 ―――みき、もう…おばあちゃんにお手紙書くの、やめたら?
 ―――返事も出さない相手に、誠意を見せる必要はないんだよ?

 ―――でも、おばあちゃんと……、約束、したから

 母は、私がおばあちゃんに手紙を書くことをあまりよく思っていなかったようだった。
 育ての父も、とめるようなことはしなかったものの…手紙を書くことをあまりよく思っていないと感じることがあった。
 それでも私は……おばあちゃんとの約束が忘れられず、律儀に手紙を出し続けていたのだ。

 留学が決まって…本当に忙しくて、手紙を書けなくなって。
 なんで手紙をくれなかったのと責められるかもしれないと、年賀状すらだせなくなってしまって。

 それから、なんとなく、手紙を出す習慣が無くなって……早、5年。
 ……手紙を出さなくなった事を謝るチャンスが、欲しいとは思っていた。

 私は、長い、長い手紙とともに、招待状を送ることにしたのだ。
 おばあちゃんと長年やり取りした記憶があったから……出さなければいけないのだと思ったのだ。


「ミキちゃん、おめでとう。……立派になったねえ、おばあちゃんはうれしいよ!」

 久しぶりに会ったおばあちゃんは、ずいぶん小さくなっていた。

 ……昔はとても大きくて、怒られる時にとても怖かったのに。
 ……時の流れというものは、こんなにも。

 新婦控室に顔を出してくれたおばあちゃんに、にっこりと笑顔を向けて、お礼の言葉を、伝えようとすると。

「まあ…、面影が茂雄にそっくりだよ!さすが血だねえ!この肌のきめ細かさはあたしに似たんだね!鼻の低さは嫁さん似だけど!!太い腕だねえ、袖ありのドレスにすればよかったのに!!」

 車いすに座ってこちらを見る、…おばあちゃんの、言葉が、突き刺さった。

「ミキちゃん?フフ、おめでとうございます!へえ~それなりにきれいに育ってよかったね!!」

 私をのぞき込んだ白いスーツの中年女性は、私のお父さんの姉…叔母さんだった。
 私は、お父さんとおばあちゃんに招待状を出した。しかし、お父さんは欠席したいとのことだったので…叔母さんが出席する事になった。おばあちゃんは足腰に不安があるため、一人では県を跨いで結婚式に来ることができず…お父さんの代わりに出席する事になったのだ。

「ねえねえ、あれが旦那さん?なんかちょっとカッコ良すぎない?ミキちゃんはチビだから凸凹夫婦になっちゃうじゃない!!うちの圭子にお似合いな感じ!うわー、連れてこればよかったー!!!」
「写真たくさん撮ってあげたら?これからいくらでも仲良くなるチャンスがあるでしょう。でも…聞いたことのない大学出身だしねえ……」

 にやにやとしながら、旦那様を見る、おばあちゃんと、叔母さんの、……様子が。

 ……胸のあたりが、キュッとなった。

 ……この、感じ、は。

 何か言わなければいけない、そう思うのだけど、何も……言葉が、出て、来ない。

「あ!!ねえねえもしかしてさあ、生徒会の会長!?ほら、あの初恋の人!夜なべしてポスター書いて、似てないって笑われて落ち込んだ人!!背の高さしかあってないってバカにされたんだったよね!!結局破って捨てたけど人気抜群で受かって泣いたんでしょ!!あの無駄が実ったってこと?すごーい、計算高いね!!!さすがあのデブの血筋だわwww」

 なぜ、叔母さんが…その、事、を。

「あー、でもアンタみたいな飽きっぽい子にそんな純愛は無理か…晃司も呆れてたもん、こんなキモい女無理だわってwww…わかった!!バイト先で優しかった先輩なんでしょ!モテないから声かけてあげたって奴!!すぐに人を好きになるとかさあ、考え方が甘っちょろい母親そっくり!!茂雄もドン引きしてたし!顔に騙されてさ、肝心な事に気が付けない…」

「ちょっと文香、やめなさい!!ここは晴れの場だよ!!せっかくの旦那が気ィ悪くして破談なんかになってみな!茂雄の方に慰謝料とか請求が来たらどうすんだい?!ごめんねえ、ふふ、フフフ…」

 ……そっか。

 おばあちゃんは……私の、手紙を。

 私は、おばあちゃんにだけ、内緒で教えたつもりだったのだけど。
 おばあちゃんは、お父さんや叔母さん、いとこたちに見せていたんだ。

 私が一生懸命書いた手紙を見て、みんなで……笑っていたんだ。

 ……そうだ、この感じは。
 うんと小さい頃に、お母さんと二人で……。

 謝るお母さんと、大きな声で怒るおばあちゃん。
 謝る私と、ものさしを持って追いかけるおばあちゃん。

 何も言わないお母さんと、大笑いしているおばあちゃん。
 何も言わせてもらえない私と、ニヤニヤしているおばあちゃん。

 おばあちゃんがいいと言うまでやり直しさせられて。
 おばあちゃんが笑うまで何度もやり直しさせられて。
 おばあちゃんの気が済むまでずっとやり直しさせられて。

 ―――最初からこうしてりゃいいのに!頭の悪い子だよ!
 ―――そうそう、やればできるじゃない、頭のいい子だねえ!

 ―――あたしの言う事が正しいの!黙って言う事を聞くんだよ!
 ―――えらいねえ、さすがあたしの孫だよ!

 ―――子供のくせに逆らうんじゃないよ!
 ―――いう事を聞けたからおもちゃは捨てないであげるからね!

 おばあちゃんの言う事が絶対で、逆らえなかった、時代。

 ―――おばあちゃんの事を忘れないでね!!
 ―――おばあちゃんが一番ミキちゃんの事を思っているんだからね!
 ―――おばあちゃんはずっとミキちゃんの事を忘れないからね!
 ―――おばあちゃんをずっと大切にし続けるのよ!
 ―――おばあちゃんにずっと感謝し続けるのよ!

 別れ間際に、小銭の入った小さながま口と一緒に投げつけられた、命令、押しつけ、威嚇、傲慢、身勝手な言葉。

 ―――ミキちゃん、絶対、絶対にお手紙、ちょうだいね!!
 ―――二十歳になるまでは絶対に出すのよ?それが父親を捨てたアンタの義務なの!
 ―――書かなかったらどうなるか…、わかるわよね?

 ―――うん、わかった……

 緊張して書いた、初めての、手紙。
 緊張して開いた、おばあちゃんの、お返事。

 ―――もっと丁寧に書きなさい、茂雄はもっと上手な文字を書いていたのに!
 ―――漢字を調べながら書く事ぐらいできるでしょう?
 ―――ちゃんと内容のある文章を書けないの?
 ―――ただの日記なんか見たくない、もっと面白い事を書きなさい!

 おばあちゃんの喜びそうなことを探して。
 おばあちゃんに怒られないように何度も書き直して。

 おばあちゃんが会いに来ないように祈りながら。

 ―――おばあちゃんを大切にしないと罰が当たるよ!
 ―――結婚式には絶対におばあちゃんを呼んでね!!
 ―――呼ばなかったら一生恨んでやるからね!!!

 いつもいつも、同じような手紙の返事をもらうようになって。

 ―――元気そうで何よりです、またね!
 ―――返信用はがき同封してくれる?
 ―――もうはがき入れなくていいよ、ポストまで行くのがきついし!

 いつの間にか、……私は。

 ―――みき、お母さんね、おばあちゃんは呼ばない方がいいと思う
 ―――パパは…みきの意思を尊重するけど……気は進まない

 ―――でも、おばあちゃんと……約束、したから


「…今日はね、アンタに良いもん持ってきてあげたのよ!ほら、見てよこの小汚い束!ママがさあ、ずーっと取っといてあげたんだよ!すごくいいプレゼントでしょ?ちょっと虫湧いてるけど一生もんなんだからね!ありがたく受け取るよーに!!めっちゃ重かったのよ!!余った引き出物あったらさあ、余分にちょうだいね?」

 叔母さんに手渡された、くしゃくしゃのシミだらけのハンバーガーチェーンの紙袋に入った…手紙の、束。

「それにしてもうまいことやったねえ!さすがあたしの孫だよ!!気持ちの悪いポエムばっか書いてて、こんなんじゃ絶対に嫁の貰い手なんかいないって思ってたけど…。頭の悪い学校に行って俗世間を知ってこなれたのかい?茂雄みたいにメイダイ卒じゃないからどうなる事かと心配してたんだけどねえ!!低学歴もたまには役に立つねえ!25で結婚とかホント下半身が緩くてふふ、フフフ!」


 私は、手紙の束を抱きしめたまま。

 ……ポロリと、一粒、涙を。


「すみません!!ちょっとお化粧直しをするので!!……ご新婦様、こちらへ!!」


 介添え人のお姉さんに連れられて、移動をする事になった。


「感極まって泣いちゃうパターンかあ!すごーい、やっぱマリッジブルーってやつ?たしかあのデブもさあ、結婚式の日に泣いてたよね!やっぱ親子ってやつ?そっくり!茂雄がめっちゃ機嫌悪くなってさあ!やっぱ今日来なくて大正解だよね!こんなんじゃ先が思いやられるねえ、親と同じで五年で離婚すんじゃないの…そうだ、やばそうになったらさ、うちの雅恵に声かけてよ、あの子36にもなるのに独身でさあ……」
「弱いねえ…やっぱり庶民の血はうちの血を薄めるねえ…やだねえ、あんな人の遺伝子が……出来損ないはすぐにポコポコ子供を……跡継ぎも産めないくせに……茂雄もかわいそう……」


 ……聞きたくない言葉から、遠ざかっていく。

 ドアを開けると、お母さんと、育ての父親、妹たち、弟が……。


「あ、お姉ちゃん!!さっきね、キロ君が…って、え、何、どうしたの?!」
「みき?!どうしたんだ!!ママ!!ちょっと来て!!!」
「姉ちゃん?!どうしたんだよ!!ちょ、俺キロ君呼んでくる!!!」
「お、お姉ちゃん!!ちょっと待って、ハンカチ、ハンカチ!!!」

「みき……もしかして、……おばあちゃん?!」
「すみません!!私がタイミングを見誤ってしまって!!!」


「おかあ、さん‥‥‥。パパ‥‥‥、まゆ、淳、メイ……っ」


 ……ハプニングは、あったものの。


 私の大好きな人たちが、私を全力で守ってくれたから。
 私の大切な家族が、私を全力で守ってくれたから。
 私の旦那さんになる人が、私を全力で守ってくれたから。

 幸せな結婚式を、あげる事ができた。

 幸せな生活に、不要なものがあるのだと、知ることができた。
 自分に刻み込まれていた、おかしな思い込みを手放すことができた。

 おばあちゃんとは、縁を切った。

 新居は知らせず、電話もメールも着信拒否をした。


「その手紙、僕がもらってもいい?」


 ……あの手紙の束は、私の大切な人が、保管することになった。

 幼い私が、一番の仲良しと一緒に書いた手紙。
 子供の私が、戸惑う気持ちをしたためた手紙。
 恋を知った私が、大好きな人を思い浮かべて綴った手紙。


「美紀、見て!!ほら、このシール…僕があげたやつだよ!ビョックリマンチョコのヘッド!!」
「はは、このチョコレートのこと覚えてる!おいしくてさあ、今でも忘れられないんだもん」
「あのポスター、一緒にセロハンテープで復活させたんだよね!写真残ってるし!」
「はは、クラスが違ったのそんなにショックだったの?平気って強がって…もうそんなコトしちゃだめだよ!」
「美紀ってば男子校に願書出そうとするんだもん、びっくりだよもう!!」
「この頃だよね、一緒に暮らし始めたの…懐かしいな……」

 私の書いた手紙は、おばあちゃんに宛てたものではあったけれど。

 幼いころ、いつも私と遊んでくれた、お友達の横で書いたものだから。
 子供の頃、ずっと私と一緒にいてくれた、大好きな人の横で書いたものだから。
 青春時代、ぎゅっと抱きしめてくれた、大切な彼氏の横で書いたものだから。

 あの、手紙の束には……、私と夫の歴史がいっぱい詰まっている。

 古い手紙のあちらこちらにちりばめられた、私の気持ち。
 古い手紙のあちらこちらにあふれる、私の努力の軌跡。
 古い手紙のあちらこちらに伺える、私たちの物語。

 ……きっと、いつか。

 そんなこともあったよねと、笑い合えるような日が来るのだと。
 ひどい人もいたもんだよねと、笑って話せる日が来るのだと。

 そう信じて、一年、二年。

 気が付けば、三年、四年。

 いつの間にか、五年、六年‥‥‥。


「……おかあさん!!あのね、わたしもおてがみ…かきたい!!」

 年中さんになった娘が、最近手紙をもらってくるように、なった。
 ……文字を覚えたお友達が、かわいい手紙をたくさん渡してくれるんだよね。

「じゃあ、書いてみる?実はね…お母さん、良いもの持ってるんだ!!じゃーん!!」

 私は、内緒で用意しておいたかわいいカラーペンとミニ便箋、そして愛用しているプレート型の文字盤を娘の前に差し出した。
 お手紙をもらって大喜びしていたから、きっと自分も書きたいって言い出すと思って…近所の雑貨店で買ってきておいたんだ。

「うわぁ~、ありがとう!あのね、ゆいなね、しゅうくんと、みみちゃんと、あさひちゃんと、かえでちゃんにかくの!!あしたもあそぼうねって!!あとね、おとうさんにも、もうじきうまれてくるあかちゃんにもかきたい!でもかけるかな?かけないもじがあるの、どうしよう…」

「大丈夫だよ、見ながら書いたら何とかなる!ゆっくり書けばいいんだよ!お母さんも一緒に見ていてあげるから、ねっ!」

 ……一生懸命、一文字一文字色を変えて文字を書く娘を見ていたら……昔の事を、思い出してしまったみたい。

 ずっと忘れていたことを、ふわっと思い浮かべたら…次から次へと出来事があふれだしてきて。ちょっと意識が……過去に飛んじゃってた。

 記憶って不思議だなあ…そんなことを思いながら、一生懸命文字を書く娘を見守る。
 ……大丈夫、ちゃんと文字になってるよ。少しくらい形が悪くても、読みたいって気持ちがあれば文字はきちんと読めるものなんだよ。あなたの文字には、遊びたいという気持ちがあふれているもの。きっとあなたの手紙は、お友達に喜んでもらえるよ!

「……お母さんもね、結菜ぐらいの時に初めてお手紙書いたんだよ~」
「ええ?そうなの?!なにかいたの?おしえて!!」

 きらきらとした笑顔を、真っすぐ向ける娘を見た、私は。

 にっこりと笑って……、昔話を、はじめたのだった。


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