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009 八代亜紀『カクテル』(1991年)

作詩:阿久悠 作曲:川口真 編曲:若草恵

八代亜紀が亡くなった。
昨年の12月30日に急速進行性間質性肺炎で亡くなっていたということだ。

70年代から80年代にかけて、「なみだ恋」「おんな港町」「舟唄」「雨の慕情」ほか、誰もが知っていて、現代まで歌い継がれている大ヒット曲がいくつもある、演歌歌手の代表格の一人。
盟友である五木ひろしと共にシーンの最前線で活躍し、現在の演歌の下地を作ることに貢献した名歌手だ。

とんねるずは87年のヒット曲「迷惑でしょうが…」(作詞:秋元康)の中で、

"映りのよくないテレビから流れる八代亜紀の唄、口ずさんで
その後で"しあわせ"って奴にやっと気づいたけれど"

"前略 八代亜紀の歌っていうのは本当に哀しい訳で
特にこういう時に聴くと心にじーんとくるものがある訳で

と歌っているが、まさに八代亜紀の歌は哀しさを表現させたら天下一品だった。

一方で、派手なビジュアルとスタイルの良さ、いつも笑顔で天然とすらいわれる朗らかなキャラというギャップも魅力で、昔の歌唱映像を見ると、アイドルばりに野太い声の声援が飛んだりもする。
77年の紅白歌合戦では、五木ひろしと共にトリを務め、「おんな港町」を歌ったが、この時はワンショルダーの黒いドレスにティアラというゴージャスなもので、こういった姿もよく似合った。
長距離トラック乗りの間で絶大な人気があったことから、映画「トラック野郎・度胸一番星」(77年)に女トラッカー「紅弁天」として出演したことも有名だ。

歌い手としては、上手くて当たり前の演歌の世界の中でも最上位に位置する歌唱力と個性を持ち、ハスキーな声で少し上ずるように歌う泣き節という印象が強い。
しかし、本当の魅力は低域の響きにある。
声の倍音成分が非常に豊かなので、高音が耳に残る印象があるが、一方で、常に低音成分も豊かで、極端な言い方をすれば、ホーミーのように高い声と低い声が同時に発せられているような錯覚をするほど。
この声は唯一無二の個性だった。
また、70年代後半には驚くほど強烈な唸りやべらんめぇ調のコブシ回しも聴かせていた。

近年ではそのキャリアを振り返るような話がよく聞かれたこともあって、レコード歌手になる前はジュリー・ロンドンに憧れてジャズを歌っていたこともよく知られるようになった。
そういったルーツもあってか、本人には演歌(専門の)歌手という意識はなかったようで、ヒット歌手というのが適当だろうか。
実際、演歌をベースにしながらも、軽快なリズム・ナンバーもあったし、オリジナルのジャズ・ソングも歌っていた。
近年では小西康陽プロデュースのアルバムもあったし、マーティー・フリードマンとのコラボもあったりと、様々なアイデアに挑戦。
演歌歌手が他ジャンルとコラボする先駆的な存在でもあった。
その一端は、以前書いたこちらの記事でも紹介した。

前置きが長くなったが、今回紹介したいのは、個人的に八代亜紀でいちばん好きな曲だ。
90年代のCDの時代に入って2枚目に出たシングルで、前作「花(ブーケ)束」(90年)に続くポップス路線。
やはり前作に引き続きの起用となった阿久悠の歌詞は、八代亜紀のイメージでもある"女の哀しさ"を払拭する、女であることの"喜び"を歌ったもので、実はこちらの方が八代自身の性格に近いのではないかという気がする。

"女もなかなかよ その気になりさえすりゃ
選ぶのも捨てるのも いつだって女しだい"

演歌に登場する女は、男についていくか、酒場で一人泣いているか、ひとり北へ向かうか、そういったネガティブさがついて回ったものだが、ここで阿久が提案したのは、ポジティブな女性像であり、自分で掴み取ろうとする女性の姿だった。
阿久悠にとっては作詞することが減っていく時代ではあるが、そんな中でもかなり上位に位置する傑作だと思う。

作曲を担当した川口真はポップス系の歌手に楽曲を提供することが多かったが、演歌歌手に程よくポップさを滲ませた曲を提供するのも上手かった。
この「カクテル」はまさにそういうタイプの曲であり、演歌のリスナーにももポップスのリスナーにも程よい距離感で届く仕上がりだった。
川口の曲でいえば、ちあきなおみに提供した「円舞曲(ワルツ)」や「かなしみ模様」といったところに近いテイストだが、今回はメジャー・キーで、明るく希望を感じる仕上がりになっている。

編曲の若草恵も、こういった境界線的な作品で絶妙なバランス感覚を発揮する人だ。
91年という時代らしいシンセ主体のアレンジでありながら、派手すぎずほどよい落ち着きがあって、八代の歌唱表現に見事にマッチしている。
旧来の八代のファンからすれば、シンセや打ち込みのサウンドを嫌うことも想像できたが、それから30年以上経った今聴くと、そういったことも気にならないはずだ。

八代本人はこの曲をどう思っていたのだろう。
残念ながら本人に訊くことはもう叶わない。
ご冥福をお祈りします。


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