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ドーナツ

「ねぇ、ドーナツたべない?」

ドーナツ?確かに最近食べてない。穴の空いたあの形がなんとも食欲をそそるんだよなぁ

「ううん、穴の空いてないやつ。中にクリーム詰まってるのあるじゃん?」

残念ながら僕はピンと来なかった。画像検索したらマラサダドーナツというらしい。ここの間まで最近流行ってたんだよ〜と言われ、もう一度見返してみる。これはミスドのエンゼルクリームに似てるが、全然違うらしい。流行に疎い僕は全く知らなかったけど、そこまで言うなら食べてみようと、昼過ぎながら一緒に出かけることにした。
春先にしては暑い気候でも、車に乗ってしまえばあっという間に着く。他愛のない話をしながら着いたその店はかつての流行を忘れられないかのような派手な装飾と文言に包まれていた。

「賞味期限30秒らしいよ!早く食べよ?」

手にしたドーナツはふわふわで、中のクリームが溢れんばかりに詰まっていた。なるほど、これは賞味期限30秒も頷ける。思い切ってかぶりついた。口いっぱいに生地とクリームがなだれ込んで来て、思わずむせてしまった。がっつきすぎだよと笑われたが、僕にはそれくらい衝撃的な美味さだったのだ。そう言った声の持ち主も口の周りを真っ白に染めながら笑っていた。

帰り道、ネットで見かけたものがどれほど美味しかったのか、近くにあったことがとても嬉しかったことを熱意を持って伝えられた。運転の都合上、助手席を見ることはできなかったがさぞかし嬉しかったのだろう。家に着くまで口が閉じることはなかった。

僕らは冬過ぎに別れることとなった。1人残された部屋はがらんと広く、自分の家ながらなんとも居心地の悪さを感じていた。
数週間後、あのドーナツ屋に行ってみることにした。あの時に食べた味を無性に欲しくなったのだ。
無音が耐えられず、普段聞かないラジオをつけて車をまわす。今の流行り歌とそれにまつわる視聴者の他愛のないエピソードが読み上げられていた。

あのドーナツ屋に着いた。
初めて来た日と変わらぬ装飾はなぜか薄暗く、正面入口に小さな紙で移転する旨が書き記されていた。
振り上げた拳ではないが、この舌と気持ちをどうしようかしばらく考えあぐね、近くのミスドに行くことにした。

マラサダドーナツはもちろん、それに近いエンゼルクリームもなく、仕方なくその日は普通のドーナツを数個買って席に着いた。
頬張りながら あれ、こんな味だっけと思った瞬間、さまざまな感情が吹き出し涙が溢れて来た。

そっか、僕はドーナツが食べたかったんじゃない。味なんかどうでも良かった。あの日、あの瞬間の喜びをもう一度味わいたかったんだ。
たっぷり詰まったクリームにはカロリーなんかじゃなくて、淡い恋心と沢山のエゴが入ってた。
見ないように蓋をしてきた数週間前の想いとやっと向き合えたんだ。

ぼぅっと座ってる僕の心は、手にしたドーナツのようにぽっかり穴が空いたままだった。

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