シナダ タカシ

元割烹料理人。郷土料理、お味噌汁に興味津々。日々思うことや、日々のリアルを主観と偏った…

シナダ タカシ

元割烹料理人。郷土料理、お味噌汁に興味津々。日々思うことや、日々のリアルを主観と偏った目利きで記録していきます。 「日本らしさを探求していく」Anbaiという会社の代表をしています。

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  • 徒然なるままに

    徒然なるままに、日々思うことを記します。

最近の記事

共感されたいというより、見守っていて欲しい。

とは言いつつ、 そりゃ共感されたら嬉しい。 冒頭から、論点が崩壊してしまった でも、共感されないといけない。っていうある種の同調圧力みたいなときってないだろうか? 僕は、自分が納得してやっていることであれば、 誰にも共感されなくてもいいと思って(やって)いる。 だから無理に共感もしたくない。 自分の感情に蓋をしてまで、何かをすることに苦しくなってしまったからだ。 興味がないものには、相手を傷つけないように配慮しながら、興味がないと言える人間でありたい。 でもね、

    • 場が持つ意味ってなんだろう?

      場を持つ意味、場が持つ効能を改めて考えた結果、今ままでの場所を終わらせて、新しい場所を持つことになったお話。 今までは、東京の中心部といってもいい、渋谷区千駄ヶ谷に会社の事務所を構えていた。(代々木駅3分、新宿駅5分)それはそれは僕たちにとっては十分すぎる場所で、なに不自由のない事務所でした。 駅からも近く、都内の主要駅にアクセスが便利な合理的で良い場所で、家賃も手頃、応接室と執務スペースもわかれていて、内装も今っぽい、遊びに来てくれる方たちからも、よく羨ましがられた、本

      • 共感経済へのアンチテーゼ

        日本らしさをコンセプトに、 本当の意味での多様性を可視化をしたい。 多様性、ダイバーシティと言われるようになってひさしいものの、 実際のところ心無い差別や、受容できていないことだらけだと思う。 『リアルな世の中はとても偏っている。』 そんなことを言っていること自体、変わったやつだと思われるかもしれない。 あなたの考えは『常識』に基づいたものではなく、あなたの考えだ。 あなたの考えは、誰かに危害を与えるものでない限り、否定されないし、誰かの心を揺さぶるものであれば共感さ

        • 毛並みの良いモフモフしたあいつ

          あいつに会いに行ったんだ。 だいたい月に1週間ずつどこかの都道府県に滞在しているのだけど、今回は秋田県。 わかっちゃいたけど、冬の秋田は寒い。 12/17現在、雪がチラつき❄️ 路上は凍っている。 今いる、秋田県の大館市には秋田犬と交流できる観光案内所が駅前にある。 それはと思い、行ってきました。 渋谷駅前のハチ公像って秋田犬だったのか〜と豆知識をインプット。 前置きはこのあたりで。 それではどうぞ! 餌をくれるんじゃないか?の図① 餌をくれるんじゃないか

        共感されたいというより、見守っていて欲しい。

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          6本

        記事

          これからのマイノリティとマジョリティ

          男女平等参画社会から始まり、 障害者雇用促進法、 渋谷区の同性パートナー成立条例 などの行政施策 大企業内でもダイバーシティ推進室などが 産ぶ声をあげ始めている昨今。 クリティカルな効果があった施策は未だ無いようにおもう。 特に企業において、形だけのダイバーシティが叫ばれている理由はなぜか? おそらく企業にメリットが見えないから。 だと推察する。 しかし会社は、本来社会の公器。 多様性を担保できない企業は衰退していくはずだ。 人は何のために

          これからのマイノリティとマジョリティ

          限られた人でしか享受できないモノやコトに問いを投げいれる。

          僕の父親は割烹料理人だ。 父は友達をお店に呼んでご飯を振舞ってくれた。 それに苦情を言う親御さんたちもいた、なぜならそういう友達の家庭は複雑な家庭であったからだ。 ストレートに言うと家庭的に貧困であったり、学校でいじめられてしまっている友達だったり。そんな友達を集めてご飯を食べさせていた。 ご飯を食べさせてもらった友達の親は、なんで勝手なことするんですか?勝手に食べさせないでくださいと言う。 でも実際に僕の友達は嬉しそうだった。 もちろん勝手に食べさせてしまってい

          限られた人でしか享受できないモノやコトに問いを投げいれる。

          barと寿司とわたし

          僕は元板前。 板前と言うとみんなお寿司屋さん🍣を想像することが多いけど、僕は割烹料理人だった。 割烹料理人とは、コース料理で和食を提供する料理人のことを指します。 料理人だった証拠として最近作った『ぶり大根』を貼っておきます。笑 割烹料理の説明すると長くなるのでこれくらいに。。 あまり知られていないけど、実はまな板の前に立って作業する料理人はみんな板前さんなのです。 割烹、茶懐石、天ぷら、寿司、うなぎ、そば、など、みんなまな板の前で作業をしているので、板前さん

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          日常にないものは、非日常にもなくなる

          結婚式で着物を着る お祝いでお寿司を食べる お寺で精進料理を食べる 茶室で茶道体験に参加する そのどれもが『非日常』だ。 いつからか日本人の日常に日本の文化はなくなった。 良いか悪いかはべつとしてひとりの個人としては悲しいと思う。 インバウンド景気が右肩上がりの今、 和文化のビジネスは調子がいいじゃないかと言われるかもしれないけれど、ちっともそうは思わない。文字通りその場シノギで外貨を稼いでるに過ぎないと思う。 だって、そもそも日本の文化が日本に無くなろうとし

          日常にないものは、非日常にもなくなる

          シナダタカシです。

          自己紹介 元割烹料理の板前。実家が割烹料理店を営んでおり、物心ついたころから、日本の文化や食文化が身近にありました。 高校卒業後、家業を継ぐために料理人を志し上京。 東京、日本橋にて100年以上続く老舗の料亭や、銀座の割烹料理店などで修行をしていく中で日本の伝統産業などの文化に強く興味を持つようになる。同時に「料理人」に対して違和感を頂くようにもなる。7年弱に及ぶ修行後、自分の本当にやりたい事は、食べ物だけを扱う「料理人」ではないと気づく。 (もはや料理は嫌いじゃない

          シナダタカシです。

          豊かさの定義と3.6%という数字

          いきなりですが3.6%という数字、これは世界における日本人のアートにかけるお金の割合です。 GDPの規模、富裕層の割合から、先進国といわれる国の中でダントツに低い数字とのこと。 米国 42% 中国 21% 英国 20% 日本 3.6% ※出展 文化庁 2017年 (意外だったのが、ドイツやイタリアも同水準か、それ以下だった。) 金銭的には裕福な国だけれど、 心は裕福ではないっていうことを表しているのではないかと思う。 そして、資本主義の逆効果が顕在化してきた日本で

          豊かさの定義と3.6%という数字

          日本人の刹那感は今に始まった事ではなかったのかも。

          刹那的って その瞬間だけ充実させ、享楽に勤しむようなイメージがあるかもしれない。いわゆる「宵越しの銭は持たない」的な発想で。 しかし、そういう意味ではなく、 いい意味で「その時、その瞬間の刹那」を大事にするひとは増えているんじゃないかなーと思ったりしている。 (その反面こじれた闇も深いと思う。) インスタのストーリーもTwitterもそうだし、 物質的な所有欲求や、承認欲求ではなく、 その瞬間をどう自分なりに切り取って、どう価値を感じるか? 極端にいうと「

          日本人の刹那感は今に始まった事ではなかったのかも。

          2018を振り返って。

          誰にでもひとつやふたつ自分へのコンプレックスってあると思う。 実家の家業を継がないと気まずい 高卒なのでもっといい学歴が良かった 一度でいいから大手企業に勤めて見たかった など 私にもそんなコンプレックスがいくつかある。 2018年は、 生まれた境遇、出た学校、勤めていた環境、 この3つに対してのコンプレックスを少し癒してくれた年だった。 それはわかりやすい実績や結果、同じ志を持つ仲間がもたらしてくれました。だれもが知っている会社との取引や協業、 自分がイメ

          2018を振り返って。