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共感されたいというより、見守っていて欲しい。
とは言いつつ、
そりゃ共感されたら嬉しい。
冒頭から、論点が崩壊してしまった
でも、共感されないといけない。っていうある種の同調圧力みたいなときってないだろうか?
僕は、自分が納得してやっていることであれば、
誰にも共感されなくてもいいと思って(やって)いる。
だから無理に共感もしたくない。
自分の感情に蓋をしてまで、何かをすることに苦しくなってしまったからだ。
興味がないものには、相
毛並みの良いモフモフしたあいつ
あいつに会いに行ったんだ。
だいたい月に1週間ずつどこかの都道府県に滞在しているのだけど、今回は秋田県。
わかっちゃいたけど、冬の秋田は寒い。
12/17現在、雪がチラつき❄️
路上は凍っている。
今いる、秋田県の大館市には秋田犬と交流できる観光案内所が駅前にある。
それはと思い、行ってきました。
渋谷駅前のハチ公像って秋田犬だったのか〜と豆知識をインプット。
前置きはこのあたりで。
これからのマイノリティとマジョリティ
男女平等参画社会から始まり、
障害者雇用促進法、
渋谷区の同性パートナー成立条例
などの行政施策
大企業内でもダイバーシティ推進室などが
産ぶ声をあげ始めている昨今。
クリティカルな効果があった施策は未だ無いようにおもう。
特に企業において、形だけのダイバーシティが叫ばれている理由はなぜか?
おそらく企業にメリットが見えないから。
だと推察する。
しかし会社は、本来社
限られた人でしか享受できないモノやコトに問いを投げいれる。
僕の父親は割烹料理人だ。
父は友達をお店に呼んでご飯を振舞ってくれた。
それに苦情を言う親御さんたちもいた、なぜならそういう友達の家庭は複雑な家庭であったからだ。
ストレートに言うと家庭的に貧困であったり、学校でいじめられてしまっている友達だったり。そんな友達を集めてご飯を食べさせていた。
ご飯を食べさせてもらった友達の親は、なんで勝手なことするんですか?勝手に食べさせないでくださいと言う
barと寿司とわたし
僕は元板前。
板前と言うとみんなお寿司屋さん🍣を想像することが多いけど、僕は割烹料理人だった。
割烹料理人とは、コース料理で和食を提供する料理人のことを指します。
料理人だった証拠として最近作った『ぶり大根』を貼っておきます。笑
割烹料理の説明すると長くなるのでこれくらいに。。
あまり知られていないけど、実はまな板の前に立って作業する料理人はみんな板前さんなのです。
割烹、茶懐石
日常にないものは、非日常にもなくなる
結婚式で着物を着る
お祝いでお寿司を食べる
お寺で精進料理を食べる
茶室で茶道体験に参加する
そのどれもが『非日常』だ。
いつからか日本人の日常に日本の文化はなくなった。
良いか悪いかはべつとしてひとりの個人としては悲しいと思う。
インバウンド景気が右肩上がりの今、
和文化のビジネスは調子がいいじゃないかと言われるかもしれないけれど、ちっともそうは思わない。文字通りその場シノギで外貨
日本人の刹那感は今に始まった事ではなかったのかも。
刹那的って
その瞬間だけ充実させ、享楽に勤しむようなイメージがあるかもしれない。いわゆる「宵越しの銭は持たない」的な発想で。
しかし、そういう意味ではなく、
いい意味で「その時、その瞬間の刹那」を大事にするひとは増えているんじゃないかなーと思ったりしている。
(その反面こじれた闇も深いと思う。)
インスタのストーリーもTwitterもそうだし、
物質的な所有欲求や、承認欲求ではなく
2018を振り返って。
誰にでもひとつやふたつ自分へのコンプレックスってあると思う。
実家の家業を継がないと気まずい
高卒なのでもっといい学歴が良かった
一度でいいから大手企業に勤めて見たかった
など
私にもそんなコンプレックスがいくつかある。
2018年は、
生まれた境遇、出た学校、勤めていた環境、
この3つに対してのコンプレックスを少し癒してくれた年だった。
それはわかりやすい実績や結果、同じ志を持