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【神奈川】小田原に行ってきた【2014年11月】

どーも、たかしーのです。

昔の写真を整理しながら、過去に行ってきた場所の思い出を書いていきたいと思います!

今回は、2014年小田原です。

ただ、箱根へ行くついでに小田原城に立ち寄っただけなので、内容はかなり薄めです…。


観光したところ

小田原駅(小田原市)

箱根登山電車の玄関口でもある小田原駅です。

小田原駅(おだわらえき)は、神奈川県小田原市栄町一丁目および城山一丁目にある駅で、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・小田急電鉄・小田急箱根・伊豆箱根鉄道の駅です。東海道新幹線や東海道本線、小田急小田原線、箱根登山鉄道などが乗り入れています。

小田原駅は1920年10月21日に熱海線(当時)の駅として開業し、屋根に展望塔が建つモダンな造りでした。関東大震災で展望塔は倒壊しましたが、新駅舎開業によって2003年に解体されるまで、ほぼ当時のたたずまいを残していました。

駅直結でショッピングモールが3つあり、小田原城も徒歩圏内、箱根からのアクセスも良いことから観光客も多い駅です。駅前商店街のアーケードには歴代の小田原城主の家紋が装飾されており、小田原「ういろう」の店舗や喫茶スペースもあります。

Google AI検索より

小田原駅を降りてすぐ目についたのは、二宮金次郎像があったこと。

全国の小学校でも見かける像ですが、実は二宮金次郎がここ小田原出身の偉人だったりします。

二宮金次郎(にのみやきんじろう)は、江戸時代後期の農政家、思想家、経世家である二宮尊徳(にのみやたかのり)の通称です。自筆文書では金治郎(きんじろう)と署名している例が多いですが、一般的には「金次郎」と表記されることが多いです。

二宮尊徳は、1787年に神奈川県小田原市の裕福な農家に生まれ、1856年に栃木県日光市の今市村で病に倒れるまで、農村の再建に尽くしました。経済と道徳の両立を目指す「報徳思想」を提唱し、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導しました。武家層からも絶大な信頼を獲得し、今で言う有能な経営コンサルタントでもありました。

二宮尊徳は、子どもだけでなく、その思想哲学や手法が戦前戦後の大物実業家にも手本とされてきました。24年に導入される新1万円札の肖像に選ばれた「日本資本主義の父」、渋沢栄一が深く尊敬していたのが二宮尊徳です。その意味で「日本資本主義の祖父」といえるかも知れないでしょう。

二宮尊徳は、現在は、出生地である神奈川県小田原市にある報徳二宮神社に祀られています。また、全国各地の主に小学校などに二宮尊徳がもととなった「二宮金次郎像」が建てられており、薪を背負い、本を読む姿が描かれています。

Google AI検索より

つまり、小田原では、勤勉の象徴というより、地元のスーパースターという位置づけのようですね。

小田原城(小田原市)

小田原駅を出ると、すぐに見えてくるのが、小田原城です。

小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、北条氏の居城として知られています。室町時代に西相模に進出した大森氏が築いた城郭が前身とされ、15世紀中ごろに造られたと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると日本最大の中世城郭に発展しました。

四代当主氏政の時代に上杉謙信や武田信玄の攻撃を退けるなど、"難攻不落・無敵の城"として知られています。城下の田畑を含む堀で囲まれていたため食料生産が可能だったため、包囲戦になっても長期の籠城が可能となり、それが難攻不落の城と言われたゆえんになっています。

現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。本丸を中心に「城址公園」として整備され、天守閣や常磐木門、銅門、馬出門などが復元されています。天守閣は3重4階の天守櫓に付櫓・渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7メートル、鉄筋コンクリート造、延床面積1822平方メートルとなっています。内部には、甲冑・刀剣・絵図・古文書など、小田原の歴史を伝える資料や、武家文化にかかわる資料などが展示されています。

Google AI検索より

小田原城周辺までやってきました。
まだまだ当時の建物の跡が見つかっているようで、現在も発掘作業が行われているようでした。

天守閣近くにまで来ました!
中へ入る前に、ちょっとまわりを歩いてみます。

猿山を発見しました!

小田原城の中では、猿を飼っていたんですね。
ですが、調べてみたところ、この猿たちは、2023年12月に茨城県の動物園へ譲渡され、現在このサル舎は撤去されているそうです。
また「お城の動物園」と呼ばれたこのエリアも、同時期に閉園となっていました。

こちらが、内堀の跡地です。
かつて難攻不落と呼ばれたお城も、今では堀が埋められ、立派な観光地へと生まれ変わったことがよくわかります。

ひと通りまわったところで、天守閣へと向かいます。

小田原城の天守閣の内部は、古文書、絵画、武具、刀剣といった歴史資料の展示室となっているため、残念ながら撮影はNGです。
なので、文章だけで感想を書いていくと、内部には日本史の教科書でしか見たことないような展示物がたくさんあり、中でも当時使用していたであろう武具や甲冑などを見てみると、ここで本当に大河ドラマで再現されているような戦いがあったのだなあ、と実感することができました。

最上階まで行くと、相模湾を見渡せる展望スペースがありました。

こちらが、小田原の街並みです。
小田原城から見ると、小田原駅はああいった感じで見えるんですね。

おわりに

このあと、箱根登山鉄道に乗って、箱根も観光してきたのですが、それはまた別の記事で書いていきます!

なお、この記事を書きながら思い出したのですが、小田原駅の出店でお土産に笹かまぼこを買ったのですが、これが夜遅く帰り際に買ったせいか、食べてすぐ食中毒となってしまい、翌日は腹痛と吐き気で苦しみました。(幸い、大事には至りませんでしたが…)

なので、笹かまぼこは、駅構内の出店ではなく、冷蔵庫でしっかり温度管理がされているものを、お土産で購入されることをオススメします!(切実)

他にも、ストックしている写真はいくつかあるので、また気ままに書いていきたいなと思います。

それでは!


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