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【創成期】 プロローグ 第1章 (3/3)まとめ

※本小説はこちらのページの続きになります。

音がなる

その2日後の朝、私はひとつの決意を決めていた。

今度彼が訪ねた時は会ってみようと。

結局、私から歩み寄るか、彼が諦めるかでしかこの状況は変えられないのだ。

それなら自分からこの筋書きの分からない関係性にけじめをつければ良い。

正午前が近づくにつれて、私はしっかりと心の準備を固めることが出来た。

とはいっても私にできることは「私は誰とも会うつもりはありません」と、一言伝えるだけのイメージトレーニングをするだけだ。

もしかしたら彼は私がこういう対応することを見越して、毎回同じ条件でコンタクトをとっていたのかもしれない。

そう思えば、なんだか手のひらで踊らされているようで居心地が悪かった。


彼が訪れるのは11時から11時半の間と決まっていた。

世の多くの主婦や調理師が、その腕を振る舞う相手の為に創作に励んでいる時間でもある。

彼は仕事の合間にうちの近場でランチでもとっているのだろうか。

しかし、田舎町の住宅街には目立った飲食店もなければ、スーパーもない。

最寄りのそれらに訪れるには少なくとも、自転車が必要になる。

またひとつ、彼に対する謎が増えたわけだ。


そもそも、彼はどんな仕事をしているのだろうか。

家族はいるのだろうか。

疑問の雨が降り止まらなくなりそうなので、私は考えるのをやめた。


その疑問に応答するように玄関のチャイムがなった。

私は反射的に時計を確認した。

10時53分だった。


彼にしては少し、早い時間だ。

もしかしたら、別の訪問者かもしれない。

いいや、今日は予定が早まっただけかもしれない。

不確定要素の出現に焦りを感じたが、私はすぐに冷静さを取り戻した。


彼かどうかを確かめる方法があったからだ。

もう一回、チャイムが鳴り、ノックの音が聞こえてきたらそれは間違いなく彼だ。

私は自室で立ち上がり、足音を立てないように少しずつ玄関に近づいていった。


2回目のチャイムがなった。

これだけではまだ誰か判断がつかない。

宅急便でも、営業マンも、回覧板でも同じことをする。

荒れる鼓動を感じながら、私は玄関ドアが見える位置まで近づいてみた。

扉から数歩離れた位置から、その扉の向こうの気配に意識を向けてみる。


10年以上、毎日見続けてきた扉だが今日はまるで別の何かに見えた。

扉の向こうの気配と合わさってそれは脈動を持つ有機体のように感じられた。


チャイムの余韻が空気に残響し、自分の鼓動や、吐息でさえ鮮明にこだました。

そして空気を裂く音が聞こえる。

コン、コン、コンと…


私は静かにその扉に手をかけた。


沈黙と問い

戸口に手をかけた瞬間

また理性の抵抗だろうか、なぜかこれまでの様々な体験が頭に浮かんだ。

そのおおよそは、大人達の冷たい笑い声だった。


そして多くの負の感情を、心の中で入り混ぜた。

虚しさ、悔しさ、悲しみ、怒り、憎しみ

それらが内側で弾け、私を決意させた。


2回目のノックが鳴ったとき、私は静かに扉を開けた。

久々の陽光の光に少し目が眩んだと同時に、静かに立ち尽くす男性が視野に入った。

その男性は上下を紺のスーツと水色のシャツに包んでいた。

少し日焼けした肌にやや痩せ型の体型、短いけれど整えられた髪

その風貌から40代かと推測したが、見た目の特徴だけでは確信が取れなかった。

人によっては30代とも推測するだろうし、50代と推測する人もいるだろう。


そしてなにより、特徴的な黒色の瞳をしていた。

一度、目を合わせれば思わず、身構えそうなとても強い印象の瞳だ。

開かずの間がようやく開かれ 、目的の人物と対面できたわけだが彼は特に驚いた様子もなければ、感動した様子もなかった。


ただ玄関に出迎えた私と顔を合わせ、その特徴的な瞳でずっと私を視ていた。

その様子はただ沈黙しているようにも見えたし、私を観察しているようにも視えた。


重い空気に耐えられずに私が口を開こうとした瞬間

彼が沈黙を破った。


「あの手紙は読んだいかい?」


最初の言葉がそれだった。

挨拶も、名乗りもせずにいきなり質問ときたものだ。

私は話を遮って胸中のモヤモヤを吐きだしてもよかったが、まずは相手に合わせることにした。


「…読みましたよ」


男性の表情がわずかにほころんだ気がした。

「それで、君の答えは?」


間髪入れずにまた聞いてきた。

この人は質問でしかコミュニケーションが取れないのだろうか。


「答えもなにも、あの手紙に書かれていた意図がよく理解できていません」


男性が少し沈黙し、また口開いた。


「では質問を変えようか、

あの手紙を読んで君はなにを思ったんや?」

「思うも何も、ただ混乱しただけです。」


私は反論するように答えた。


男性は表情を変えず、また少しの沈黙のあと口を開く


「それやったらまた明日来るから、答えを用意しといて」

そう言うとすぐさま振り返って、足早に去っていった。

姿勢を崩さずに軽快に帰路につくそのさまは、彼の並ならぬエネルギーの高さを感じさせた。

私が彼を引き止めなかったのは、彼があまりにも予想の範疇を超えて現実的対応が遅れた為だ。

結局、私は彼に一言も伝えることも、問うこともできず

彼はまた疑問だけを残していった。

問答

彼が去ってから、私は深いため息をつくしかなかった。

改めてあの謎めいた手紙に書かれたテーマについてまた考えなければならなくなったからだ。

せめて去ろうとする彼を引き止めて、ヒントでももらっておけば良かったのだ。


突然「あなたはそこにいますか?」なんて問いただされたところで、いったいどう答えろというのだ。

嘆いたところで以前と同じ迷宮に迷いこみそうだったので、私は嘆くのをやめた。


そしてもしやと思い、戸棚にしまってあった手紙を広げてみた。

けれど、残念ながらそこに記されてあったものは以前と変わらないものだった。

ただ分かったことは、私に課されている現実は論理的でも合理的なものないということだけだ。


分かった。

それならこの訳のわからない、問答に答えを出してみようではないか。

皮肉にも私には思考に入り浸る時間も、静かすぎる環境もあるのだ。

まずは私は改めて、その手紙に並べられた言葉を眺めてみた。

考察するのをやめ、ただ無心に、【あなたはそこにいますか】という言葉を眺めた。

まるで名作絵画を眺めるようにじっと、観た。


やがて空気の震えが止まり、身体の内側で呼吸音が静かにこだまするのが感じられた。

そして時間の流れが止まってしまうのかと思ったその時だ。

【私はどこにいるのだろう?】

それは水面の底からなにかを拾い上げたような感覚だった。


問いから発生したのは新たな問いだった。


あの手紙に記されている"そこ"というのは言うまでもなく、場所のことを指しているわけだが

おそらくこの文面に記している意味は物理的なものではないのだろう。

それはもっと精神的な空間のようなものを表していて、

”人の在り処”といったような意味ではないだろうかと直感的に私は思った。

だとしたら、”私の在り処”というのはいったい何処なのだろうか。

では今いるこの暗く、狭い、限られた部屋が、私の在り処と胸をはって言えるだろうか。

おそらくそうとは言えない。

だとしたら、そこはどのような所なのだろうか?

それは分からない。

ただ現時点で仮にも、私は”そこにはいない”ということが私の答えとして導き出せたことになる。

何も確信もなかったが、私は妙に腑に落ちたような気分だった。

答えのない答えを導き出した私は明日、彼にどう説明するのかと意識を困惑させながら眠った。


観えるもの 観えないもの

次の正午前、例のごとくまたチャイムとノックが鳴った。

今度は11時12分だった。

おそらく今日は予定通りに事が運んだらしい。

戸口を開くと、彼が昨日と全く変わらない格好と、全く変わらない姿勢で立っていた。

あまりにも瓜二つだったから、これはデジャブではないかと思ったほどだ。

「それで、答えはでたかい?」


相変わらず、前書きも挨拶もないうえで直球を投げてくる。

それで私は昨日の出来事は現実だったと、改めて確認できたわけだが。


「いちおう、私なりの答えはでました。…けれど」

「…けれど?」


わずかに眉をひそめながら彼が復唱した。

「あまり、確信がないというか、自信がないんです」


「なんで答えを出すことに”自信”が必要になるんや?」

また唐突な質問だった。

ここまでくるとまるで尋問を受けているような気分だ。

でも言われてみれば彼の意見はもっともなものだと感じられた。


「けれど、あなたが期待している答えでなかったり、的外れな答えかもしれない」

それは私なりの精一杯の反論だった。

「わしが期待しているとか、正解があるとか、そういうこと言ったか?」

私は沈黙で答えるしかなかった。

「君はね、周りからの評価を真に受け入れすぎや。

いつも親の顔とか、学校の先生とか、友達の顔色を伺ってから自分の行動を決めてきたんやろ。

そんないちいち、周りを気にしてたら自分の人生なんてちっとも生きられへんで。」


私はまた沈黙するしかなかった。

彼の言った言葉を検証するように、記憶が走馬灯となってかけめぐった。

父の顔、先生の顔、友達の顔…そして母の顔
「言っておくけど、”誰もお前のことなんて分かってないんや”で

それが家族だろうが、友達だろうが、どんだけ近しい人でもや

なぜだか、知っとるか?」

この人は人の頭のなかが視えているのだろうか。

そう思ったのは皮肉にも彼が

【誰も私を理解していない】という私の捻くれた信念を口にしたからだ。


「なぜなら、人は自分のことすら分かっていないからや。

手前の問題も解決しないやつに限って、他人様の問題が気になって仕方ないんや。


それは相手のことが気になっとるんちゃうねん。

”己を観ているから”どうしても気になって仕方ないんや。」


彼の話す一言一言に、私は内側に電流が走ったような気がした。

何かが駆け巡り、何かを再編成し、何かを生み出すような感覚だ。

情報処理もままならないまま、私は話についていけなくなってきた。

「結局な、大抵のやつは自分のことしか観えていないということや

君が受け入れてきた意見はな、”君に言っているようで君に言ってなかった”ということや。

そんなもんを受け入れて、いったいなんになるんや?」

答えようのない問いと教えがひたすら続いた。


現実と観念

誰かが私に言っていることは

私に言っていない…


ある人は私の将来が闇だと言った。

けれど、その人は己の闇を見ていたのかもしれない。


ある人は私が醜いと言った。

けれど、その人は己の醜さを見ていたのかもしれない。


またある人は私に”死んでしまえ”と言った。

けれどその人は、本当は生に希望を見出せなかったのかもしれない。


彼の言葉は”ある意味”においては真実かもしれないと思えてきた。


「今私に、誰かに言われたことを受け入れても仕方ないと言いましたよね?」

「そうや」

彼は眉一つ動かさずに淡々と答える。

「けれど、人に何か嫌なことを言われたら傷つきますし、言われたことを正さなければならないのが普通ではないですか?」

「それが君の人生を縛っている”観念”や」

私の反論に間をおかず彼は答えた。

相変わらずこの人との会話は全く予想がつなかい。

「一つは”相手の言葉によって己が傷ついている”という観念

そして、”指摘されたことは正さなければならない”という観念」

私は静かに次の言葉を待った。

「例えば、誰か君に”お前は役立たずだ”と言ったとしよう。

そしたら、君は自分はどう思う?」


「もちろん、自分は役立たずなのかとショックを受けます。」

「では、同じ状況で同じ言葉を100人の人が言われたとして

みんな、君と同じようにショックを受けると思うか?」


「それは、みんなショックを受けるのではないですか?」

「では質問を変えよう。

その100人の人達がそれぞ、君は役たたずだと言われれば

みんながみんな”自分は役たたずなのか”と思うかい?」

私はようやく、彼の質問の意図が理解できた気がした。

「…そういう反応は微妙に違ってくると思います。」


「そう、微妙どころか人によっては天地の差やで。

ある人はあなたは私の能力を理解していない、あなたに評価される筋合いはないとかいって、相手に反抗心や対抗心を示す。

ある人はこの人は私の素晴らしさに気づいていないんだと、相手に憐れみや、同情を示す。

ある人ははなぜ相手がそう思ったんだろうと探究心や好奇心を示す。

そして、ある人は君のように”相手の評価をそのまま自分の評価”として受け入れ、悲しみや無価値観に浸る人もいる。

十人十色や」

言われれば、分からなくもない。

「つまりな、相手の言葉によって傷ついているじゃない

”相手の言葉に対する意味づけ”で傷ついているんや。」


怒涛のように流れる言葉の流れにしっかりしがみつこうとした。

意識に流れる情報を咀嚼し、糧として、新たな言葉を生み出そうとした。


「……結局は自分で、自分を傷つけていると?」

それが私の精一杯の返答であり、解釈であり、”意味づけ”だった。

「ちょっと偏った言い方やが間違ってはいない

わしが言いたいのはな、

現実に対する意味づけは選べるということや」

奇跡の世界

彼は何かを込めるように言った。

”現実に対する意味づけは選べる”と

わたしは反論したい衝動に狩られたが、今はそれを抑えることにした。

いや、”彼の意見を聴く”ということを選択した。


「君は相手の意見を”自分への否定や批判”として捉える癖がある。

”お前は役立たずだ”と言われたら、自分を全否定されていると感じるんや。

【そうか、自分は誰にも役にも立てない落ちこぼれなんだ】、とか考えて塞ぎ込んでまう。」

私は何もかも見透かされているようで少し抵抗感を覚えた。

「でも、冷静に考えてみ?

そもそも”役立たず”って、いったいどういうことや?

能力が欠如しているということなのか、必要とされていないということなのか、相手の期待に答えられないことなのか、相手がどんな意味づけで言っているのか分からへんで?

もしかしたら、現在の君は求めている能力には至らないけれど、将来的に改善してくれるということを期待して、相手はそう言ってくれたかもしれへんねんで?

けれど、君は相手のそんな意図を汲み取らずに自分の世界で、”自分の観念”で判断してしまう。

”自分は必要とされていないんだ”ってね。

それが君の”相手の言葉によって己が傷ついている”という観念や」

私は考え込んだ。

記憶を棚卸しし、検証すべき事例というものが多くあったからだ。


あの時、あの人は私にどういう気持ちで、どういう意図で、私に言ったのだろう。

そして本当に、”私を傷つける意味づけをしていたのか”ということを

頭の整理をしながら浮かび上がった疑問を聞きたい気持ちに狩られた。

「言いたいことは、その…なんとなく分かるのですが…」

「分かるのですが?」

静かに彼が確認するように復唱する。

「少し、難しすぎる気がして…」

「なにが難しいんや?」

「その…”相手の言っていることを理解する”ということが」

それは少しの疑問と、少しの反論を交えた私にとって勇気のいる発言だった。

「その通りや」

予想外に静かで、確信と同意を伴う返事だった。


「難しいどころか、

この世界が言葉によるコミュニケーョンで成り立っていることが奇跡と言ってもええぐらいや。

コミュニケーションというのは観念と観念のぶつかり合いでもあるんや。

不思議なことはなぁ、みんな知らず知らずに”相手が自分と同じ世界に生きている”と勘違いしていることや。

さっき君が、”お前は役立たずだ”に対して意味づけをしたようにな。

それが生じてすれ違いや喧嘩になり、最悪、殺し合いや戦争になるんや」


創成期

いったい、私は何の話を聞いているのだろう?

たった一つの質問から人生だの、戦争だの、世界だの、突発的に話のスケールが広がっているのだ。

このままでは、ビックバンが起きても仕方ない。

「ひとつだけいいですか?」

話を整理する為にも、一度この流れを変える必要があった。

全ての話は終わるべき時があるし、新たに始める必要がある時もあるのだ。

「なんや?」


「正直…あの手紙の意味は私には理解できていません。

だから、この答えは、あなたの言う観念,なのかもしれませんが…」

私は話をふりだしに戻した。

「私は…”まだそこにいない”と思います」


彼はじっと私を観ていた。

いいや、彼の視野にたまたま私が入っているといった感じだった。

空気を整えるように少しの間をおいて彼が沈黙を破った。


「わしはアキっていうんや」


私は一瞬、彼が何を言っているのかわからず、混乱した。


「明るいに希望の希でアキや」


そこまで聞いて私は彼が名乗っているのだと理解できた。

ここまできてやっと私はひとつだけ、明希のことを知れたわけだ。

明希は私の答えに対しての答えを示さなかった。

いいや、彼が名乗ったことがある種の答えだったのかもしれない。

「また伺いたいことがあるんですが…」

「なんや?」

「私が”そこ”にたどり着くにはどうしたら良いのでしょうか?」


私はここで初めて理解できた。

言っていた”そこ”というのは

”私の人生”のことだった。

私は私の人生を生きていなかった。


「そんなことわしが分かるわけがないやん、わしは君の先生でも、神様でもないんやで」


わずかな希望を持って聞いた問いは跳ね除けられた。

「また相手の言ったことで自分を正そうとしとるやろ?

仮にわしがこうしなさいとか、アドバイスしたところでそれが君にとっての答えとは限らへんねんで?

道を切り開くどころか、迷う要素が増えるだけや

本当の意味で誰も君を変えるチカラはない

君を変えるのは君の決断や


ええか、決断なき、変化は変化やない」

その時の彼の話は、14歳の私が理解するには早すぎたかもしれない。

いいや、14歳だったからこそ、真面目に聞き入れられたのかもしれない。

それとも、そのタイミングで彼に会い、その話を聞いたことはある種の縁であり、定めであり、宿命だったのかもしれない。

きっと大人になっても時折思い出し、再現し、記憶を棚卸しし、検証するのだろうか。

世界は、奇跡によって成り立っているということを


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第一章 終わり

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

日々物書きとして修行中の身です。記事が読みものとして評価に値するならサポート頂けると大変嬉しいです。 ご支援頂いたものはより良いものが書けるよう自己投資に使わせて頂きます。