武器は負の側面を持つが、生き残るのには暴力が必要で、戦は楽しいし武将はカッコイイ。

前々回、前回と自分自身の昔話を交えつつ、インターネット上で友人・知人を作るという事がどういったものなのかを分析してみた。ここまで成功事例と失敗事例の2つを嘘偽りなく率直に記述したものは、そう無いだろう。


ほとんどの人は、こういった自身がそれまで所属していた枠の外側にある第三世界への船出のような類のものは経験しないかもしれない。


そういう意味では自分とあまり関係のない世界の話に聞こえてしまった人も多かったかもしれないが、実際には結婚生活にしろ会社員生活にしろ、やる事なす事にそう変化は無い。

例えばお金目的で結婚したのだとしても、それを表立って言う必要は無い。


それを知ってはいつつも淡々と共同生活を続けていれば、嘘から真、瓢箪から駒のように、最高の夫婦に気がついたらなれていたりするものである。


物事は何でも同系反復である。全く関係ない他領域の知恵を、自分自身のフィールドに役立てる事にこそ、人間の叡智がある。


このマガジンの記事に関しても、自分の身に起きている事で読み替えて読んで頂ければ幸いだ。

ただインターネットでの出合いに関しては、個人的には「これを経験しないままなのは勿体ない」なとは思う。本マガジンがその船出を手助けできればよいのだが、まあ功は焦るまい。


さて、前回の記事で僕はインターネット上で誰かを面白おかしく殴れてしまう性質の「武器は配らない」宣言をした。


ただ…矛盾しているように聞こえるかもしれないが、僕は暴力性のようなものに価値が無いと言いたいわけではない。


むしろ現実社会を生きるにしろ、インターネット社会を生きるにしろ、暴力性を有している人の方が本質的には有利なのではないかと思っている。


というわけで今日は暴力性という観点からの現代社会生き残り術を、史実を元に書いていこう。


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