見出し画像

『三体』を読んだ。人間の敵は人間。

 やっと読みました。この話題小説。

この小説には、いろんな歴史や文化が入り混じっていて、いい意味で混沌としている小説である。

そんな中でも、今回は、エイリアン地球侵略モノのとしての側面から、物語を紐解いてみたいと思う。

エイリアンが地球を侵略する。そういう映画は、何本も公開されてきた。

 日本では、代表的なものが、やはり『宇宙戦艦ヤマト』シリーズだと思う。
 映画の本場ハリウッドでは、『宇宙戦争』をはじめ、『インデペンデンス・デイ』『世界侵略:ロサンゼルス決戦』等の大量の作品が公開されて、一つのジャンル自体を形成している。

 それらのコンテンツで、当たり前のようだが、エイリアンが地球を侵略するというのが、メインで描かれる。しかし、三体では、それが描かれない。

 それが三体が、他のエイリアン地球侵略モノとは、一線を画す物語であり、多くの人々に支持されている要因の一つだと思う。

そこから見えてくのは、ほんとうにたくさんものが見えてくるのだが、人間の敵は人間だということ。

 葉文潔は、文化大革命という惨禍をみて、『沈黙の春』という、地球環境のノンフィクションを読み終わり、人類社会に絶望して、宇宙のどこかにある、遠い星へ、メッセージを送った。

 しかし、その三体世界の存在を全人類が知った時、人類は一致団結しなかった。

 『インデペンデンス・デイ』の様相は、夢物語だったのである。

しかし、わたしは意外にも意外性を感じなかった。

 コロナ禍で、一つよくわかったことがある。人間は、少なくとも、人間が異なる社会の間同士で、共通の脅威が現れても、団結はしないということだ。

 中国への生物兵器疑惑から始まって、ワクチンの奪い合い。他国への誹謗中傷、沢山のことが起こった。

 国際社会における、一致団結の象徴となる国連、そしてその機関であるWHOに、人類は失望した。いや、失望した思い込んだともいえるだろうか。

 三体VS人類という構図の中で、直接対決は描かれない。三体世界が生み出した水滴と呼ばれる物体の体当たり攻撃による太陽系艦隊の壊滅だけ。

 そして、壊滅のその先にあるのは、またもや、人類社会の分裂だった。

 やがて、地球文明は、太陽系ごと、三体人からではない全く別の存在から、滅ぼされることになる。
 その時に、ある人物がこう結論づける。

 こういう結果(太陽系ごと滅ぼされる)になったのは、傲慢さゆえの結果であると。

傲慢。

この言葉を聞いた時に、日本の小説のある言葉を思い出した。

傲慢は業の種を蒔く。孤独は業の苗床になる。

これは、新世界よりという、貴志祐介氏の今から約1000年後の日本を舞台にした『新世界より』という小説の、一節である。

この一節をもって、この三体の物語を振り返ってみると、原作者である劉慈欣は、この『新世界より』を知った上で、この物語を構築してはいないか?
『新世界より』は日本SF大賞受賞作なので、知っている可能性は高いだろう。

個々の人間社会が、傲慢であるが故に、人類社会は分裂し、一致団結すべき時に、出来なかった。

そして、宇宙は深遠な闇だけが広がっていると聞いた時に、人類は孤独な存在だと、劇中人物は理解した。そして、理解した後の、劇中人物の行動は、人間の業とも言えるものだった。

エイリアンの地球侵略。
この状況を設定した物語は、基本的に、世界が一致団結して、立ち向かう。

しかし、この『三体』は、少なくともこの小説の原作者劉慈欣は、この当たり前を疑問視した。

そして、こう結論した。

地球外知的生命体からの襲来が、わかっても、人類は一致団結できない。

それは直接的な答えは彼に聞いてみないと、わからない。だけど、想像することはできる。

それがこの小説の冒頭で描かれる文革だったり、大峡谷時代だったりするのだろう。

この、地球外文明の侵略を受けたら人類は、一致団結する。この当たり前を覆したからこそ、『三体』は、傑作であると、私は結論づけたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?