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規格外のパイオニア

おはようございます!
 
ナイチンゲールの話です。
 
彼女は、
1820年に裕福な家に生まれたようで、
相当な教育を受けました。
転機は1854年のクリミア戦争で、
従軍しますが、
軍の病院からなかなか受け入れてもらえず、
トイレの掃除から始めて、
入り込んでいったそうです。
衛生面を改善することにより、
死亡率は劇的に改善しました。
 
日本で初めての看護学校は、
有志共立病院看護婦教育所
(現:慈恵看護専門学校)で、
その資金集めをした人は、
大山捨松という女性だそうです。
鹿鳴館で3日間のチャリティバザーを行い、
8000円(今の約3億円)を集め
全額を寄付しました。
 
彼女は、会津の出身で、
新政府軍との戦争で城にこもって
けが人の手当てなどに従事していました。
10歳くらいのことです。
 
その後、アメリカに10年ほど留学し、
看護師の資格も取り、
22歳の時に帰国します。
留学の際に、改名し捨松となりますが、
それは母親が
「娘のことは一度捨てたと思って
帰国を待つ(松)のみ」
という思いがあったようです。
 
その後、大山巌という
後の日露戦争の総司令官の
後妻として結婚しますが、
大山巌は、
彼女の出身である会津藩の仇敵、
薩摩藩です。
 
にわかには信じがたい人生ですが、
パイオニアとなる人は、
こういう規格外の人なのだと思います。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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