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【その①】教員だった私がITエンジニアへジョブチェンジしたけど、やっぱり教育業界へ戻ってきた話① 『教員がキツすぎてIT業界へ未経験転職した』

昨年、転職した。

教員から未経験でIT業界へ飛び込んでみたが、仕事が自分に合わず、ついに去年、転職をした。

今回はその時の話を全5話に分けて書こうと思う。書き始めたら、超大作になってしまったので。

まずは私の経歴から。

私は大学を卒業後、3つの学校で教員をしていた。科目は理科。農学部の出だったので、専門は生物である。

ちなみにこのうちの2校は授業だけを行う非常勤講師。1校はクラス担任から校務分掌を担う常勤での勤務だった。(私がいた学校は常勤講師も専任講師も仕事量は同じだった。しかし給与は専任よりも安いうえ、1年ごとの契約更新をする)

世間で言われているように、学校の先生は激務だ。朝は始業時間が早いし、昼休みもろくに取ることはできないし、もちろん定時で帰れるなんてことはない。そして、残業代は出ない。そもそも、残業代という概念が存在しない。

日曜日や祝日は休みだが、部活の顧問をしていたら、出勤しなくてはいけない。私は幸い部活の顧問をもっていなかったが、翌週の授業準備をしなくてはならず、全く休んだ気持ちになれなかった。授業も生物、化学、物理などなど数種類の授業を受け持っているので、その分の準備が必要になる。さらに定期試験が近づくと、試験問題の作成もしなくてはいけない。

そんな激務になぜ耐えられていたのかといえば、それは単に生徒達が可愛いからに尽きる。そんな綺麗ごと、と思うかもしれないけれど、これは事実。生徒達のことを考えながら授業の準備をするのは、なかなか嫌いじゃない。

教員は「生徒のために」をお題目に、サービス残業や休日出勤をさせられるが、実際、生徒のためを思えば頑張れてしまうのだ。その激務に見合うだけのやりがいが教員にはある。

「自分は金のためにやっているのではない。子どものために働いているのだ」

だから、給与が低くても、休みが少なくても、休みに仕事のことをしていても、頑張れてしまう。無償の愛というと聞こえがいいかもしれない。

仕事を「生活の為にやっていること」と割り切って考える人から見たら、教員は非常にコスパが悪い仕事に思うかもしれない。実際に、仕事とプライベートの垣根が無くなる。休みの日にしていることが仕事なのかプライベートなのか分からなくなる。それを楽しめる人でないと、この仕事は勤まらない。

劣悪な労働環境でも、教員を続ける理由が「生徒のため」以外にあるとするならば、教員が教職以外の仕事を知らないということもある。小学校〜大学まで学校という環境の外に出たことがないので、社会がどんなものか知らない。一般企業で働くというのがどういうことか想像できない。

今、教員以外の仕事をして思ったのは、教員というのは、とても特異な職業だということ。「教師の常識は世間の非常識」という通り、社会とは離れた場所にあると感じている。

教員をしていた頃に話を戻す。

教師は心身ともにクタクタになってしまう仕事だ。しかし、生徒達とわちゃわちゃできる「先生」という仕事が私は好きだった。やりがいや学べることは多いし、なにより生徒たちがかわいい。

あと、嫌らしい話をすると、「学校の先生をしています」と言うと大抵の人から畏敬の念を抱かれる。社会的ステータスの高い仕事。多少、人と違うことしても「それでもあの人は『先生』なんだから人間はしっかりしている」と思ってもらえる。嫌らしいね。

とはいえ、教員の仕事に従事する一方で「自分はこのまま、教員で一生を終えていいのだろうか」という思いを少しずつ抱くようになった。

先生と生徒という立場は違うけれど、私は小学校からずっと「学校」という環境の中でしか生きたことがない。学生の時にしていたアルバイトを除けば、学校の外で働くということを知らない。

また、この頃は大きな人事異動があり、周りの環境が大きく変わった年度でもあった。上司や周りの先生が入れ替わり、私のこれまでの仕事のスタイルを認めてもらいづらくなり、どうやって仕事をしていけばいいのか分からなくなった。

それでもやってくる膨大な業務、常に10個くらいのタスクを同時にこなさなくてはならない。1日のスケジュールを立てても、生徒の生活態度や保護者からの電話でイレギュラーが発生し、計画をグチャグチャにされる。

改善されない生徒の生活態度。

保護者からの長時間にわたる教育相談。

上司からのパワハラ混じりの叱責。

昼休憩はとれない。それどころか、昼食すら食べられず夜になってしまう。

完全に自分のキャパシティはオーバーしていた。ストレスで白髪が増え、顔もやつれ、さらにタバコを吸う習慣まで身についてしまった。

かなり限界だった。

「自分はこの先ずっと教員としてやっていけるのだろうか」

「実は自分に合う仕事が他にあるのではないだろうか」

自分の教員としての素質に疑問を感じてしまった。

そんな中で出会ったのがプログラミングだった。

きっかけは些細なことだったと思う。気分転換に楽器でも始めてみようかな、くらいの感覚。あるいはプログラミングで学んだことを、いつかどこかで授業で活かせたりするかな、とか。(忙しいという割に気分転換する時間はあるのか?と思うかもしれないけど、さすがにそういう時間はある。そうでなきゃ死んでしまう)

仕事帰りに書店でプログラミング入門の本を買い、帰宅後にさっそく始めてみる。

すると、これがとんでもなく面白かった。ロジックを考え、コードを打ちこんで実行すると、自分が思ったとおりの動きをパソコンがしてくれる。

思い通りにいかないときは、何が問題だったのかを検証し、ネットで調べたりして試行錯誤を繰り返す。そしてようやく目的の動きをしたとき、思わず声を出してガッツボーズをするくらいの達成感がこみ上げてくる。

まるでパズルゲームをしているような楽しさ。私は時間を忘れてどっぷりとのめり込み、翌日も仕事にも関わらず、深夜2時過ぎまでパソコンの画面を見続けていた。

こんなに時間を忘れて何かに打ちこんだのは久しぶりだった。

プログラミングは面白い。今まで触れてこなかったなんて、人生を損していた。

プログラミングの魅力にすっかりハマってしまった私は、ここであることを考えた。

「これを仕事にしたい!」

もともとパソコンは好きだった。学生の頃にIT企業を何社か受けたりもした。だが、その後の教育実習を経て教員を目指すことになったので、IT業界への就職は考えなくなった。

もし教員にならなかったら、私はIT業界でエンジニアの道を歩んでいただろう。

教員の仕事に限界を感じていた私は、ここで「もうひとつの可能性」に飛び込んでみようと思った。

人生は1度だけ。

後悔のないように生きねば。

かくして私は、翌日から「未経験からITエンジニアになる方法」をネットで調べると共に、転職の支援をしてくれるプログラミングスクールを探した。

そして、調べていくうちに「年齢」というものがネックになってくるということが分かった。未経験での転職は自分の年齢について考えなくてはいけない。

ちゃんと考えたら当たり前の話ではある。企業からしてみたら、学生以外で業界未経験の人を雇うなら、その人の年齢も考えなくてはいけない。

しかも、IT業界は他の業種に比べて平均年齢が若い会社が多く、取締役員が20代なんていうところも珍しくない。そんな業界に、例えば40歳の未経験者が応募してきたら、採用して育てていきたいと思うだろうか。

私も決して若いと言える年齢ではなかった。私の年齢でIT業界未経験の転職について、ネットでは「ギリギリ」という意見と「無理」という意見が半々くらいだった。

「無理」が多数ではなく、半々くらい。それはつまり、自分の年齢が境界値にいるということだ。だから、今を逃したら「無理」の年齢になってしまう。これから一生、今の仕事に疑問を感じながら生きていくことになる。

人生は一度きり。

できるときに、できることをしておかなければならない。

とりあえずは動いてみよう、動きながら考えてみようと思った。

そもそも転職支援をしてくれるプログラミングスクールに通ったからといって、絶対に転職しなければいけない訳ではない。通っていて、やっぱり教員を続けたいと思ったら転職しない旨を伝えればいいのだ。

色んなスクールを比較検討した結果、私は渋谷某所にある対面式のスクールに通うことにした。

もちろん値段は安くはない。安くはないけれど、自分の可能性を広げられると考えればたいしたことは無い。お金は仕事をしていれば稼げるが、時間は何をしても戻ってこない。動ける時に動かなければ。

それから半年間、スクールに通い、転職活動をし、私はIT企業への転職を成功させた。それと共に、大学卒業からずっと掲げていた「先生」の看板を下ろすことになった。

「今までずっとやってきた教員の仕事を辞めるのは寂しいけど、まぁ、やっぱり教員がよければ戻ってくればいい。マイケルジョーダンだって、一度は野球に転向しているわけだし…」

私の新しい人生がスタートした。

(続く)

続きはこちらから

※以下に私がIT業界へ転職した時に書いたブログがあるので、この記事を読んで興味を持って頂けた方がいたら是非!


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