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思い出

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昔のノートを元にして、再構成しました。
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記事一覧

声音

家出ならぬ下宿出をしてから、渡りに船で飲食店に転がり込んで、三、四か月位だろうか、確か店の近くの菜園、そこで絹サヤを摘んでいた時期だ、おかみさんも、さすがに気に病んでいたんだろう、手紙くらいは、元気でいるからと、出しているんでしょうね、と。全然、親兄弟にも学友にも、何一つ連絡なしで、毎日毎日が新規更新、漲る力その命に溢れて、そんなふうだった、特に包丁を研ぐのが楽しかった、スジがいいねえ、お前は何か

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裸体

「お兄ちゃーん、マキくべてー」 また、というか案の定、声がかかった、三女のスズ子だ。薪をくべる、もう死語だろう、それを燃料にするなんて、もう45年以上も前の色あせた、ではなくて、セピア色した昭和時代の生活シーン、そんな言い方も、もう、古語?

次女のサト子、今日はデートじゃないらしい、夕飯を済ませて片づけを手伝っている、その目は手元に置いているけど、しっかりと聞き耳を立てている、隣でテキパキとあそ

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哲学の理由

ここに、四十年以上も前の、青春のノート。バートランド・ラッセル著、西洋哲学史、その序文に啓発されて、思いの猛りのままにナグリ書きした、何とも痛ましや、その乱文に、老いの筆を加えて再構成、以下に。

一種の文学、そのような弁論域がある。形而上学と人倫論。科学がその実証力をもって明晰に答え得ず、しかし神学は信仰の真善美を掲げて明言、そんな思弁の領野に、理性の一刀だけを頼りに分け入り、その林立する難問に

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イキガイ

十七の頃、高二の春に、そうだ、あの時代はまだ聖徳太子だったんだ、マンサツ一枚を手に、家出ならぬ下宿出を。衝動にまかせて、部屋を片付けるほどの用意はしてたのに、行方も決行の日も未定のままに、そうさせたのは、たぶん春の朝焼けではなく、夕日、無遠慮に空の果てまで燃やし尽くして。

「特急オオゾラですね、自由席でいいですか」             「いや、ドンコで」                   

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セイゾンリユウ、ジガノカクリツ

「ということは君の、今のMくんの生存理由は野球、ていうことかな」   同じ下宿の、教育短大生で隣部屋の、あだ名はキョージュ。君の人生の目的は何?と聞かれて、なんの迷いもためらいもなく、甲子園をめざして、願わくばプロへ、でなければ実業団の会社に入って、人生の目的?そりゃあ、幸福でしょ、野球人としてそれを勝ち取ること、それがボクの人生だと。そこでさらに、キョージュの曰く「じゃ、Mくんにとって、近代的自

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その呼び名は、

生まれ故郷、その地を離れてから五十年余、幼少の頃に当たり前に使っていた言葉のいくつか、やはり、チト命の息を吹き込んで、私のフォルダに納めておきましょ。                           その呼び名は、スッカンコ、トンギョ、ヤチンコ、グスベリ。今でも現地のガキどもは、もう死語かしらん。

(1)町を流れるふるさとの川、その遙か上流は自然の地形にまかせていたが、居住区に入ると、堤防が

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わたしの、青年

ガラスの向こうに、雪虫。ふわふわと舞い、フッと一息で消えてしまいそうな命の、白い虫たち。北国の初冬の夕焼けは孤高に赤い、目に見えるほどに静かだ。釧路Y高に入学してから一年と半、確かに私の少年は、死んでしまった。                              「夕飯ができましたよー」下宿屋の、オネエの声が通りすぎた。フィルターの根元まで短くなったハイライト、押しつぶして僕は部屋を出た。

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あれは中学の頃、そう、キャンプの夜、燃え上がる炎の周りで、囃したてるリズムにのって、踊る、回る、僕たち彼女たち、手をとりあって高く上げ、紳士のように淑女のように、リンとあいさつを交わして

手を打って互いにクルリと回り、またシャンと打ってクルリと回り、そしてそして、彼女たちの手を引きよせて僕たちの腕の中へ、彼女たちはクルリと反転して僕たちの胸の中へ

おお、女の子の髪の匂い、おお、その肩越しに見る

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ふるさと

北海道は東部、とうとうと流れる大河というよりは、ぶっとい急流の川、秋にはシャケが上るんだぜ、そう、釧路川。その両岸の集落と、それを遙かに抱いて茫々と広がる放牧地、そんな原野の町に、私は生まれた。もう、60と2年の月日。そうそう、静岡に変更以前の本籍名は「北海道川上郡標茶(シベチャ)町字標茶番外地」

町を流れる釧路川、阿寒の山を水源とし、幾本もの支脈を束ねて、野太い急流の、果ては釧路の海に。夏、

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