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渡米37日目 カメラを壊してしまうなんて・・・

明日のFoundationクラスクラスの課題をこなすために、大学で借りた撮影用のカメラを壊してしまった。目が見えにくくなっていることもあるが、全くの不注意だった。

先週に引き続き一眼レフカメラのFuji X-T3カメラをEDC(機材貸出センター)からチェックアウトし、担当教授のDavidのオフィスを訪れて課題などの疑問点を解消し、撮影を終えて、帰宅した矢先のことだった。残された視野がすでに極端に狭くなっているために、大切なものを無くさないようにスマホなどにストラップをつけている。事故が起こったそのとき、カメラケースに入れたスマホのストラップのフックをジーンズに装着していて、帰宅後それとは気づかずにカメラケースを机に置いて離れたところ、カメラケースごとカメラを落下させてしまったのだ。

ケースを開けて確認すると、カメラは起動するがピントが合わなくなっている。レンズをよく見ると、落下した衝撃でレンズの留め金が一部浮き上がって曲がってしまっている。これから映画を撮ろうというカメラマンが映画の撮影に必要となるカメラを壊してしまうなんて、あってはならないことだ。

実は渡米の二ヶ月ほど前にも、番組の編集中にうっかりコーヒーをパソコンにこぼして全損してしまったことがあった。元々ドジな上に、視野が狭くなっているからちょっとした不注意が命とりになる。こんなことはこれから先、何度でも起こり得るだろう。僕はこんなとき、正直自分の運命と不注意さを呪いたくなる。

レンズを外して確認してみたが、レンズとカメラを繋ぐ金属の部分が浮かび上がってしまっている。精密ドライバーがあれば、自力で直せるかもしれない。だが元に戻したところで、EDCへの報告は免れないだろう。大学では機材の破損や紛失、返却の遅延に関する厳しいルールが設けられていて、それに関する契約書に全て目を通して先日サインしたばかりだ。レンズに修理や交換が必要となると一体いくらかかるのだろう。家族の中で僕だけは物損をカバーする保険に入っていない。今日、このカメラをチェックアウトする際に紛失した際には2800ドル(約50万円)を支払うことにサインしたばかりだ。レンズがこれだけの破損しているとなると、きっと賠償を免れることはできないだろう。。レンズがもし全損していたとなるとその半分ぐらいは支払わなければならないのではないか。

少しでも出費を減らそうと日々、いろんなことを節約してやりくりしている状況の中で、そうなるととても手痛い出費だ。経済的にも精神的にもダメージが大きく、夕方、この足でEDCにカメラを持ち込もうかとも思ったが、カメラは来週の火曜日まで借りられることになっているので、少し落ち着いて対応策を考えることにした。

夕方、子ども達の通うリンカーン小学校でピクニックの集いがあり、ハンバーガーなども振る舞われるとのことで、家族でいくことにしていたのだが、長男が行きたくないと言い出し、結局少し遅れて顔を出した。校庭では、ボランティアでバーガーを焼いてくれていたり、ギターを弾いて素晴らしい歌を演奏してくれているお母さんがいたりして、あらゆる学年の子ども達がなだらかな坂になった緑あふれる校庭を走り回って遊んでいる。食事を受け取る列に並びながら、その様子を観察する。次男は友達を見つけて遊びたがっているものの、長男は早く帰りたがっている。

「どうしたの?」
「うるさい」

長男はあまり多くを語りたがらないが、どうやら上の学年に嫌な子がいるのらしい。その話し声は音楽にかき消されていく。こんな長男の姿を見るのは初めてだ。普段は僕に対してもそんな言い方をすることはないので、そのこと自体に触れられることがよっぽど嫌なのだろう。

結局、長男はハンバーガーを食べるとすぐに帰宅し、僕も7時から大学で毎週木曜日に行われている映画祭に赴くために6時半過ぎに学校を後にした。

「You Were My First Boyfriend」(2023)

大学では毎週木曜日にBlight Lightsと呼ばれる映画祭が行われていて、まだ劇場公開前の映画も含めて、ここでは誰もが無料で最新の映画を見ることができる。今日上映されるのは、「あなたは私の最初のボーイフレンドだった」と名付けられたドキュメンタリー作品だ。

これまで数々の受賞作を手がけてきた映画監督のCecilia Aldarondoが、自分自身のトラウマに満ちた青春時代を振り返り、実際に当時のいじめっ子や幼馴染みや片思いの相手(ボーイフレンド?)に再会する物語で、多くのシーンが今おそらく40代も後半に差し掛かった彼女が実際に若き日の自分に扮してドラマパートで再現し、かつその中で巻き起こるリアクションを克明に記録していくという、ちょっとこれまでに見たことがない種類のハイブリッドなドキュメンタリーだった。僕も今48歳なので人のことは言えないが、すっかりおばさんになってしまった彼女が高校生や大学生当時の自分に扮してファーストキスまで再現してしまう姿には、その痛々しいおぞましさに笑いが巻き起こり、あえてコメディタッチでもあるのだが、その青春の中で一度は遠ざけた親友と再会を図ると、実は親友が命を絶ってしまっていたりと、知られざる事実が明らかになっていく。

僕はその映画を見ながら、やはり亡くなってしまった小学校時代の親友のことを思いさずにはいられなかった。彼は小学校時代、わがままで友達ができにくかった僕にとって初めてできた親友だった。僕はまだ彼の死とうまく向き合うことができていないと感じている。

ドラマともドキュメンタリーともつかない新しい表現で、ここまでリアルに痛々しいまでに自分を曝け出し、自らの人生を赤裸々に振り返り、そして見る人の人生にまで問いかける。先週観た社会派のスリラー映画「How to Blow Up a Pipeline」(2022)に引き続き、また映画の持つ力に圧倒されてしまった。

僕はどんな映画を撮るのか、その作品の中でどれだけ自分自身に向き合うことができるのか。そのことが問われている気がしてならなかった

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