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地域おこし協力隊として活動しながら5つの事業を起業。任期後に定住できた理由|先輩移住者file.3

先輩移住者ドキュメントfile.3 野口賢人

  • 生まれ:1994年群馬県渋川市

  • 移住タイプ:Jターン

  • 以前の住まい:東京都北区

  • 移住時期:2018年(現在6年目)

  • 家族構成:独身

  • 仕事:自営業(民泊運営、ICT教育補助、食品の製造・販売…etc)

ここ数年、国が実施する地域おこし協力隊の制度を利用して移住者が増えている高山村。野口さんは5年前に協力隊として首都圏からJターン移住。任期3年を経て高山村に定住しました。実は、群馬県の地域おこし協力隊の任期後の定住率は全国に比べて低いのが現状。野口さんはなぜ定住できたのか? 他の協力隊員との違いはなんだったのか? 今回は、高山村での地域おこし協力隊のキャリア形成・任期後の定住生活の実例に迫ります。

システムエンジニアから地域おこし協力隊に転身

 大学卒業後に東京のIT企業に就職し、数年間システムエンジニアの仕事をしていました。いずれは群馬に戻って起業するという希望があり、実現方法を模索している時に、群馬県の地域おこし協力隊の制度を知りました。複数の自治体の合同説明会に参加したときに、高山村の募集を発見。出身が渋川で高校は沼田(どちらも高山村のお隣)だったので、高山村の存在はもちろん知っていました。高校生の頃から高山村の「北毛青少年自然の家」でボランティア活動をしていた縁もあって、応募を決めました。

在任中に起業し、連続で5つの事業を立ち上げる

 地域おこし協力隊には色々な任務があります。僕の場合は「観光振興」でした。任期3年を通してガイドボランティアの事務局で活動をしたり、道の駅でのイベントを企画したり、地域の学生と連携して特産品を開発したり……色々とやっていました。と同時に、自分自身のやりたい事業も進めていました。初めから「起業する」という強い意志があったので、地域おこし協力隊の制度はあくまでそのためのステップ。任期1年後には起業し、複数の個人事業を立ち上げました。最初に始めた事業は缶バッチの製造販売事業。次に取り組んだのは、食品の仕入れ販売事業。高山村の道の駅に欠けていて、お客さんのニーズと合致するものをピックアップし、今では50品目ほどを取り扱っています。この活動をしているうちにスイーツやお弁当のニーズを感じ、食品製造販売も始めました。食品衛生責任者の資格を取り、村内の物件を借り上げ保健所の許可を取得し加工場にしています。今も「のぐち印のゆるろプリン」として、道の駅やイベントで好評販売中です。次の事業は、前職の経験を活かしたパソコン教室です。お隣の中之条の施設を間借りして、数人の生徒に教え始めました。この事業を始めるときに高山村の教育委員会にお願いをして宣伝チラシを配布しました。これがきっかけで、僕のITのキャリアとスキルを教育委員会の方々が認識してくれて、後に学校現場でのICT教育の仕事につながっていきます。

補助金を活用し古民家をリノベーション。民泊をオープン


 複数の事業を立ち上げながら協力隊の活動をしていくなかで、高山村には通年で利用できる宿泊施設のニーズがあるのではと考え始めました。近隣の宿泊所の経営状況を調べビジネスとして運営できると判断し、オープンに向けて動き出しました。物件探しは紆余曲折ありましたが、最終的に山あいにある広々とした古民家を格安で譲って頂きました。

古民家の持ち主の親族と一緒にお片付け。リノベーションはほぼDIYで行った
民泊の名前は「くまさんのおうち」。印象的で覚えやすい。


母屋を民泊にリノベーションして、隣接した離れを自宅に改修。任期中に電気工事の資格も取得していたので、自分で配線工事をすることでだいぶ経費を節約できました。

土間には宿泊者が楽しめるように囲炉裏が設置されている。
廊下の木材は自分で削り、ピカピカに磨きあげた。

民泊を開業すると話すと、材木や家具を持ち寄ってくれる人達がたくさんいて、本当に助かりました。それでも、エアコンや布団など、新品で買い揃えたものは少なくありません。開業まで1,000万円くらいはかかったと思います。でも、複数の補助金を活用したので、最終的には300万円くらいは戻ってきました。使える補助金はどんどん活用するのがおすすめです。参考までに僕が活用したのは以下の補助金です。

  • 高山村の創業支援金

  • 国の小規模事業持続化補助金

  • 起業支援補助金(地域おこし協力隊)

  • 高山村の合併処理浄化槽補助金

小規模事業持続化補助金を活用して制作した看板

 まだオープンしてから1年経っていないのですが、手応えを感じています。冬季の週末はゲレンデに訪れるスキー&スノボードのお客さんで予約がいっぱいに。これからは平日の稼働率をいかに上げられるかが課題です。

任期を終えた後、食べていけるか不安でいっぱいだった


 3年間の協力隊任期を終えた直後は、正直不安でいっぱいでした。安定した収入源がなく、コンビニでバイトしながら民泊開業の準備をしていました。そんな時、前述したICT教育の仕事が教育委員会から持ちかけられたのです。任期中に色々な事業に挑戦をし種を蒔いておいて良かったです。IT教育に関しての芽が開き、おかげさまで今は安定的に収入を得ることができています。家庭教師や求職者へのパソコン指導など、さらに仕事の話が舞い込み始めています。
 地域おこし協力隊の任期中にできるだけ人脈を作っておく事と、具体的かつ主体的な事業活動をする事が、任期後のキャリア形成の鍵になると思います。自治体から任された仕事や地域にお願いされる受動的な活動をしているだけでは、3年後に自立するのは難しいと思います。とはいえ、現実はなかなか難しい。そういうところに、地域おこし協力隊の制度に対する課題は感じています。よほど強く「起業する」というマインドを持っていないと、3年間は地域活動で忙しく、あっという間に任期終了です。

日本唯一の本物のお城、日本一の来場者数を誇る天文台、3つのゴルフ場……高山村の魅力とは?


 今考えているのは、民泊と周辺観光資源との連携プロジェクトです。正直、高山村は知名度が低く観光地としては劣勢です。「野菜が美味しい」とか「星が綺麗」というのを集客スローガンにする傾向が強いのですが……誤解を恐れずに言うと、同じくらい野菜が美味しくて星が綺麗なところは他にもあります。それよりも、今現実的に人を集めている施設をもっと強調したり、その施設と連携して村の存在をアピールするのが良いと思います。具体的には、ロックハート城、県立ぐんま天文台、そして村内に3つあるゴルフ場です。こんな小さな村なのに3つもゴルフ場があるのは驚きですよね。ロックハート城は日本で唯一本物のお城を体験できる場所で、週末は駐車場がいっぱいになりす。ぐんま天文台は、夜間の来場者数が日本で最も多いそうです。この施設を抱えていることをもっと強みにして、村おこしが出来ないかと考えています。例えば、3つのゴルフ場が連携してコンペを開催するとか、お父さんはゴルフをして娘とお母さんはロックハート城でプリンセス体験をして、息子は天文台で天体観測を楽しむというような遊び方ができるようなサービスを提案するとか。そういう連携プランの拠点として、民泊を活用していくというのも良いと思います。
 地域おこし協力隊を経て高山村に残っているのは、今のところ自分も含めて2名のみです。ある意味、貴重ですよね。これからも協力隊としての経験を生かしながら高山村を盛り上げる方法を考え、具体的な活動を続けていきたいです。

▼野口さんの活動HP

▼民泊「くまさんのおうち」
https://bruinshouse.jimdofree.com/

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移住の相談、お問い合わせは高山村の移住・定住HPへどうぞ。


●先輩移住者ドキュメントの連載について
移住にあたって一番知りたい、でもどんなに検索しても出てこない情報。それは、その地域の「住みにくさ」や「閉鎖的な文化の有無」、そして「どんな苦労が待っているか」などのいわゆるネガティブな情報です。本連載では、敢えてその部分にも切り込みます。一人の移住者がどんな苦労を乗り越えて、今、どんな景色を見ているのか。そして、現状にどんな課題を感じているのか……。実際に移住を果たした先輩のリアルな経験に学びながら、ここ群馬県高山村の未来を考えていきます。



インタビュー/執筆 山中麻葉

2021年に夫と0歳の娘と高山村に移住。里山に暮らしながら、家族でアパレルのオンラインショップ「Down to Earth 」を営む。山中ファミリーの移住の様子は「移住STORY」へ。日々の暮らしやお仕事のことはinstagramへ。


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