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(終)ヒロシマ女子高生任侠史・こくどうっ!(47)

 三日後。

 天神会の事始めは混乱のなか、人事の発表にのみ絞り、サンメンでのオンライン回状により実施された。

 祇園連合会と祇園会は解散となり、日輪高子は引退。そうして天神会預かりとなった上島安奈は、同日中に引退することとなった。

 それは絶縁に近い、こくどう社会からの拒絶であった。ただこれは長楽寺や宇品を始めとする幹部たちの配慮に近かった。二度と彼女がこくどうをやらなくて済むように──もちろん、その後の天神会を維持するため、という都合もあった。

 うまい具合に、彼女の父親は再び都内に転勤することになり、安奈はひっそりと引っ越ししてヒロシマを離れていった。

 誰も彼女の見送りには行かなかった。彼女は対外的に見れば、こくどうの歴史と伝統を拒絶した破壊者になったからだ。こくどうである以上、彼女との交流はもはや許されなかった。

 しかし、誰もが言葉にこそしなかったが、天神会幹部たちは感謝さえしていた。白島の後継者として、反逆者である祇園連合会を抑え、タイマンで相手を下したことで、フクヤマ女学生連合とは四分六とはいかなかったが、五分の盃を交わすことになった。

 安奈は名実ともに、ほんの一時とはいえ、ヒロシマ統一を果たしたのだ。




 それから長い時が流れた。

 茹だるような夏になると、こくどう部の出番だといわれはじめて十数年。

 大塚はじめは冷感タオルを頭に掛けて、ミニクーラーの風を感じながら、差し入れのスポーツドリンクを流し込んでいた。


「姉貴。じゃけえ言うたじゃないですか。寺町のバイトなんか暑いばっかりでたいぎいだけじゃ言うてぇ」


 舎弟のトモも同じく、冷感タオルにスポーツドリンクで完全武装し、なんとかこのバイト──いやシノギを耐え抜こうとしていた。


「しゃあないじゃろうが。協会へのアガリが足りんと廃部になるんじゃ言うて、会長から泣きつかれたんじゃけえ。やれることはなんでもやらんと」


「ほいでも、若頭もわや言いいますよねえ。『足しにせえ』言うて、こがあなもん……」


 伴はうんざりそう言うと、箱の中に見本で入っていた『それ』を取り出し、指で弾いた。きらきらLEDを輝かせながら、しゃああ、と高速回転するおもちゃ──ハンドスピナーであった。


「何十年前のおもちゃじゃ、こりゃ? こがあなもん、盆灯籠と同じ値段で売れ言うて、むちゃくちゃやで」


 元町女子学院は数年前に少子化の煽りを受けて共学化し、学校の雰囲気もまた変わった。今や進学校となり、かつて乙女のたしなみと言われ『名門』と呼ばれたこくどう部も、すっかり衰退して久しい。


「姉貴、何十年か前は天神会じゃ、言うたら何でも通った言いますけど、ほんまなんですかねえ」


 伴はそう言うと、手持ち無沙汰に盆灯籠──ヒロシマ特有の文化で、和紙と竹でできたカラフルな逆三角錐型の灯籠を、竹の棒に刺した形のもので、盆が始まると墓前に備えるもの──をくるくる回した。白い垂れがかさかさと音を鳴らす。


「そらわしらの母親の世代の話じゃろ? おとぎ話の世界じゃ」


 天神会会長は、かつてヒロシマを統べる存在で──ヒロシマ市内ならどんな無理でも通ったのだ、というのは今の会長の口癖だ。たしかにそうだったのだろう。

 こくどうという存在も、度重なる命がけの試合や試合外の殺し合いが問題視され、協会もすっかり厳しくなった。

 カタギに無理を言えば即停学、殺しなどすれば何年くらい込むかわからないという時代になって久しい。


「はーあ。わしゃそれ聞いてばり羨ましい思うんですわ。こがあなしょうもないバイトやらボランティアなんてつまらんことをせんでもええんでしょ?」


「まあのう。今はOBになっても大した旨味、ないらしい言うけんのう。就職とか、進学とか……」


 はじめはそんなことを言いながら汗を拭く。口ではそういいながらも、はじめも伴もこくどう部以外に居場所を見出だせずにいる。いまやこくどうは学校の爪弾き者と同義だ。それを便利屋のようなことをして、なんとか存在を許してもらっている。

 運動や勉強が得意だったり、顔が良いとかそういう長所もなく、打ち込める趣味も無ければ家も若干貧乏だ。挙句の果てに、なんとなく学校に馴染めない。そんな吹き溜まりのような人間の居場所が、今の天神会だった。

 惨めと言えば惨めだ。

 でも、同じ境遇の人間がいるというだけでも、はじめにとってこくどう部が安心できる要素ではある。


「すみません。生善寺はどちらですか?」


 いつの間にか、喪服姿の女性が立っていた。この暑いのに大変そうだ。


「生善寺言うたら、うちの会葬者の墓があるとこじゃ」


 伴が聞かれもしないのに大声で言った。天神会所属者が抗争によって命を散らした時に埋葬される場所だ。月一回は、会長職にある者が墓参りに行っている。はじめも同行したことがあった。


「姉さん、そこの眼の前の寺ですわ」


「ありがとう」


 黒いつば広帽の女性が顔を見せるように持ち上げると、はじめはその下の顔を見てギョッとした。五十代くらいの優しげな顔つきの女性であったが、なにせ頬に大きな切り傷が残っているのだ。


「これは、売り物ですか?」


「ほうですわ。墓参りでしたら、皆さん買っていかれますで」


 伴は慌てたように付け加える。


「盆灯籠は千円ですわ! ほいで、姉さん! 良かったらこれ……」


 彼女が取り出して指で弾いたのは、ハンドスピナーだった。ベアリングがしゃああ、と音を鳴らして回転し、LEDライトが虹色の輪っかを作り始める。


「実は新しいヒロシマ名物で、その……」


 恥ずかしいことをいうな、と見えないように唇で伴を叱りつけたが、遅かった。女性は口元を抑えて少し微笑んでいた。


「それなら、それと……そっちの白い菊をもらえますか」


 思わぬ収入だ!


「伴、店番頼むで」


 はじめは返事も待たずに簡易テントの屋台から飛び出して、喪服の女に新聞紙で包んだ菊と、盆灯籠──そしてハンドスピナーを見せる。


「持ちますで。こがあに買ってもろうたら、親切にせんとバチが当たりますけん」


 少し戸惑った様子を見せながら、女は頷いた。


「ありがとう」


 女は生善寺に入り、手元で端末を見ながら、墓の間をするすると抜けていく。どうやら地図でも見ているらしかった。はじめはどうも見覚えのある道順に首を傾げながら、女の後ろへついて寺の後ろへ。


「……こら、うちの会葬者の……」


 天神会慰霊碑、と古ぼけた石碑が姿を表した。数ヶ月前に来たきりで、はじめはお盆にはここに来たことがない。いつもは会長が供えたしおしおになった花と線香の灰が残るのみだったが、今日に限っては違った。

 数本の盆灯籠。花入れに収まりきらない色とりどりの菊、ユリ、胡蝶蘭──。女は振り向くと、笑顔で手を差し出した。


「姉さん、あんた……いやあなたはもしかして、うちのOBですか?」


 はじめは自然に花と盆灯籠を差し出していた。彼女はそれを受け取り、盆灯籠を地面に刺して、菊を隅にそっと供えていく。


「……まあ、それに近いと言えばそうですね。でもヒロシマは久しぶり」


 ポーチから線香とライターを出して、流れるように火を点ける。


「……昔、酷いことをしてしまった人がいて。今日はその人の三十三回忌だったんです。これでわたしが許されるなんて思わないけれど」


 女は線香を寝かせて、しゃがみ込んでから、手を合わせた。釣られるようにはじめも後ろから手を合わせる。耳障りな蝉の声と、線香と仏花の香りだけが、辺りに沁み入っていた。


「あなた、天神会の人ですか?」


「いや、その、あの……お、OBの方にええ顔できるようなことは何にも……」


「今、こくどうは大変だって聞きました。どうですか? 楽しくやれてますか?」


 妙な聞き方だな、と思った。こくどうは楽しいとか楽しくないとか以前に、はじめにとって処世術に近かった。天神会という居場所によって、ある程度大塚はじめという人間は存在を担保されている。会長や若頭や伴がいるので、体操服忘れたり宿題忘れたりしたらなんとか巻き返せるとか──そんな程度の存在なのだ。

 友達以上で部活動未満といったところだろうか。


「はあ、まあ。さっき失礼な物言いしたんは、わしの舎弟でして。あんなデキが悪いのが何人か雁首揃えとるもんでして、楽しいというより大変っちゅうかんじですわ」


「シノギはいつもバイトをしてらっしゃるんですか?」


「昔みたいに、なんでもかんでもやれんようになりましたから。まあ、なんとかやっとります。あの伴言うやつが、いっつも余計なことを言いくさるけえ、わしゃ恥ずかしゅうていけんです」


 女は何がおかしいのやら、口元を抑えてふふふ、と笑っていた。あまりにおかしかったのか、目に光るものすら見えている。


「あなた、名前は?」


「大塚です」


「大塚さん。こくどうって、縁あって姉妹になったものでしょう? どうかその縁を大切になさってくださいね。姉妹同士離れ離れになっても、きっと必ずどこかで繋がっていますから。──だから、仲良くしてくださいね」


 その言葉は妙に重みがあった。理由は分からなかったが──不思議な説得力があった。ただ、何処となく居心地の悪さを感じて、はじめは新聞紙と袋をひっつかみ、ハンドスピナーを中から出して、彼女に渡した。ゴミを捨てようと気を回したのだ。


「あ、あの、わしコレを捨ててきますけん」


「ありがとう」


 仲良くしてね。

 母親が子供に言い聞かせるような、そんな程度の言葉に、はじめの心は妙にざわついた。

 今日くらいは、進んで墓の掃除でもしてみるか。あんなOBがいるのなら、こくどうもなかなか悪くはない。

 バケツに水を張って柄杓を放り込み、墓へ戻ったが──そこにはもう女の姿はなかった。

 そのまま墓掃除をしていてもよかったかもしれない。でもなんだかあれで別れてしまうのは勿体ないような気がして、せめて名前を聞こうと境内を飛び出す。女の姿はない。


「伴! さっきの方はどっちへ行った!?」

 伴はクーラーの冷風口に顔を近づけていて、さあ?ととぼけた表情だ。

 左右を見回すと、ちょうどヒロシマ城の方向へ向かう、喪服の女の後ろ姿が見えた。

 はじめは走る。名前を教えて欲しい。こくどうはこの世の中においてどうでもいい存在に成り下がってしまったが──おそらく名のあったあのこくどうの名前を、この胸に刻み込んでいたい。こくどうでいていいんだという証明が欲しかった。

 角を折れ、本川を通る橋が見える位置に立つと、女の姿は運悪く法事帰りのような喪服の集団に紛れて見えなくなっていた。

 幻だったのかもしれない。でも、確かに存在していた。あの名前も知れない『かつてのこくどう』の後ろ姿を探して、はじめはずっと、ずっと目を凝らしていた。LEDライトのちゃちな輝きが、アスファルトから登る蜃気楼に紛れて、嘘みたいに輝いていた。

 彼女が手元で回しているハンドスピナーの回転する光が輪になって、はじめの目に届いたのだ。

 それと同時に、あの人はもう触れてはならない存在なのだと、伸ばしかけた手を戻し口をつぐんで──はじめは自然に頭を下げていた。

 長い、長い道路の先に、燃え盛る蜃気楼が漂っていく。光の輪を伴って、一人の喪服の女が歩いていく。

 歩くには暑すぎるヒロシマの夏を、たった一人日傘も差さずに行く。その後ろ姿が消えていくその時まで、はじめは顔を背けること無く、いつまでも、いつまでも見つめていたのだった。





ヒロシマ女子高生任侠史・こくどうっ!


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