きれいごとを貫くか、清濁併せ吞むか。
「きれいごとでは世の中を変えられない。清濁併せのむ事も出来るようにならなくては」、とある方が言いました。
それがしばらく心の中で引っかかっていて。
何が引っかかるポイントなのかをずっと考えていたわけですが、
おそらく、
清濁併せのんで世の中を大きく変える人よりも、
きれいごとの力を信じて、心が濁らないやり方で、身の回り2メートルを変えようとする人に私はなりたい
という事なのかな、という答えが見えてきました。
自分が直接的に変えられるのは2メートルかもしれないけど、
炭火のように派手さはなくとも、芯まで温まって持続性のあるエネルギーは、そこから他の人に伝搬していって、ジワジワと社会を温かく、変えていく力があるのではないかな、、と思ったりします。
力技でグイっと変えるのではなくもう少し自然体で、気づいたらここまで変わって来たねぇ、良くなってきたねぇ、というイメージで。
どちらがいい、悪いではなくて、タイプとか属性によるのかと思います。
私は個人的には、ジワジワとした炭火系の変革が一番ストレスなく、楽しく継続していくのがあっているみたいです。
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