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僕が北アイルランドの森で死にかけた話(後編)

中編からの続き。


さて、目的の森を無我夢中で撮影し終わり、そこでようやく時間のことを思い出した僕。

今がすでに午後4時ということは、日が落ちるまで後30分ほどしかありません。
そして、僕は行きにここまで3時間以上かかってるわけです。

ほんと、これって結構やばいよなあ…。

なにせ、ホステルに戻るには、来た道と同じくあの細い並木道を少なくとも1時間以上は走らないといけないわけです。
あの道には街灯など無く、時折車も往来します。

むむむむむむ…。

でも、今の状況では悠長に悩んでる時間もないわけで、とりあえず一刻も早く出発しましょう。
それしかありません。


というわけで僕は、今や乗りなれた(?)相棒の即席マウンテンバイクに急いで跨り、少しずつ明るさを失い不気味さを増してきた北アイルランドの森から逃げ出すかのごとく、懸命にペダルを漕ぎ始めました。


そして、30分後。
行きと同じ道を逆戻りしてるので、当然のようにあのぬいぐるみエリアに差し掛かります。

時間的にはちょうど太陽が沈んだタイミングですが、空は太陽が沈んで急激に暗くなるわけではなく、通常はしばらくまだその夕方の明るさを保っており、ここでもまだハッキリと木々に打ち付けられた無数のぬいぐるみたちの様子が見渡せます。

しかし、相変わらず怖すぎる…。


ただ、ご存知の通り僕は今急いでるんです。
完全に暗くなるまでに少しでもこの並木道を前に進んでおきたいんです。

なのに、なのに、僕はここでまた自転車を降り、カメラを構え始めました。

自分でも何なのかよく分かりません。
しかもすでにここの写真はたくさん撮ったはずなのに…。

とにかくこの時、「撮りたい」と思ったというよりは、暗くなる前にもう一度ここを「撮らなきゃいけない」っていう義務感みたいなものが沸いて勝手に体が動いたんです。


そして結局、僕はまたぬいぐるみたちの写真を撮りました。
相変わらず、背中に寒いものを感じながら。




2017年1月18日午後5時過ぎ。
僕はついに真っ暗になってしまった細い並木道の左端を必死になって自転車で駆けています。

相変わらず漕いでも漕いでも思うようには自転車は進みません。

そして、今僕はとっても怖いです。

街灯の一切無いこの並木道。
今や本当に真っ暗で、わずかな星明りと目の慣れだけでかろうじて前に進んでいる状況です。


前回の写真を思い出してください。

ほぼ森のような、この道です。


この細い道が今真っ暗なんです。
行きとは世界が一変してしまいました。

それはもはや暗黒の森。
頭では分かってたはずですが、想像と現実の世界は全く違いました。


そしてこの道は、こんなに狭いのに一方通行ではなく、たまに車が前方からも後方からもやって来ます。(日本と同じく左側通行)

道の両脇にはすぐに木が生えていて、自転車を押して歩けるようなスペースもありません。
なので僕はなんとか道の左端ギリギリをキープして走っています。

さらに運の悪いことに、この自転車は即席なので、前にも後ろにもライトもなければ反射板みたいなものも一つも付いていないんです。

だから、今僕はとっても怖いのです。


でもこれは、全部僕が自分自身で招いた状況です。

自転車がなかなか前に進まなくて時間がかかるのも、ライトが付いていないのも、僕がボブに無理矢理お願いしてこの自転車を作ってもらった結果だし、

こんなに暗くなってしまったのも、結局はあの森やぬいぐるみの撮影に時間をかけすぎてしまった結果。

ほんと、何をしてるんだろう、僕は…。


でも今さら後悔しても遅いし、今他に選べる選択肢もありません。
とにかく歩道付きの大きな道路に出るまで、僕はこの細くて真っ暗な道を突き進むしかないのです。


ふいに前方からかなりのスピードの車がやって来ます。

その車はハイビームを点けており、その強い明かりは周辺の木々を照らしながらぐんぐん近づいてきて、直前には一瞬僕の目を眩ませ、その時ようやく僕の自転車の存在に気付いたんであろう運転手は、少しだけ急ハンドルを切り、僕の右側を通り過ぎる時に大きなクラクションを警告がわりに鳴らし、そのまますごいスピードで走り過ぎていきました。

あちらとしても、まさかこんな暗闇の中に、ライトも付けていない自転車が走っているとは思ってもいなかったでしょう。


車が通り過ぎてすぐにまた元の暗闇に戻った森の中、僕の心臓は激しく脈打ち、全身にじっとりと脂汗が滲んできます。

この道に車が通ること。
ただそれだけのことが、今の僕にとってはスレスレの綱渡りなのです。

こんな状況では、当たり前のように最悪の事態がとてもリアルに頭をかすめます。

そして同時に、なぜか僕の頭の中では、さっきの木々に打ち付けられたぬいぐるみたちの姿が次々とフラッシュバックのように映像として流れ始めました。

しかも、そのぬいぐるみたちが今の僕を笑っているんです。

僕の脳は、もはや全てに怯え切ってしまってるんでしょう。
そしてあのぬいぐるみたちは、今やこの並木道の怖さの象徴なのかもしれません。

それともやっぱり、あの写真は撮ってはいけないものだったんでしょうか。



そして、

あれから10分経ったのか、30分経ったのか、一体どのくらい進んだのか、いつになったらこの道を抜けることが出来るのか、

暗さと車が通る度の恐怖の連続で、僕がもはや時間と距離の感覚すら掴めなくなってきた頃、

ついにその時はやって来てしまいました…。



また前方から車がやって来ます。

同じようにエンジン音と共にヘッドライトの明かりが木々を照らしながら段々と近づいてくるので、僕は緊張状態のまま少しでも左側を走るように注力します。

そして、車が僕の右前に差し掛かった時には、再び強烈な明かりが一瞬だけ僕の視界を奪いました。


その時でした。

前方ではなく、僕の背中に突然、今までに味わったことがないとんでもない衝撃が走ったのです。



よく言われる、「一体自分の身に何が起こったのか分からない」なんてことはありませんでした。

瞬間に、僕の脳は自分が後ろから車にはねられたんだということを理解しました。
ここまでずっとその恐怖を抱いていたわけだから。


そして一瞬にして僕の体は宙に放り出され、すぐさま強烈に地面に叩きつけられたのです。


死んだ、と思いました。


(これはあくまでも後からの考察ですが、あの時後ろからは一切エンジンの音も聞こえていなかったので、僕をはねた車はハイブリッド車だったんだと思います。
そして、右側前方の車のヘッドライトはやはりハイビームで、ずっとそれを消さず、僕をはねた運転手さんもその眩しさでぶつかるまで僕の存在に気付かなかったんではないでしょうか。
なぜなら、エンジン音の他にブレーキの音も一切しなかったからです。
少なくとも時速40Kmから60Kmは出ていたと思いますが、その時ブレーキは踏まれていないと思います。)


でも、気付くと僕は道の上でうつ伏せの変な体勢で倒れており、かろうじて意識はありました。

どれぐらいの痛みを感じていたか、その辺りの記憶が少し曖昧です。

ただ、どの方向からか分かりませんが、車のヘッドライトが倒れた僕を照らしておりとても眩しかったのは覚えています。


そして、身動きはほとんどできませんが、なんとか手を動かして自分の顔を触ってみると、顔面全体が血まみれで、手のひらにべっとりと大量の血が付きました。

ぼんやりとした意識の中、かすんだ目でこの手のひらの大量の血を見て、結局やっぱり僕は死んでしまうんだと思いました。


そしてこれは、この長い旅の中で2度目にリアルな自分の死というものに直面した場面です。
(1度目は、2013年秋、カナダ北部の「ユーコン川」において)

ただ、ここからがとても重要なこと。

でも、僕はこの時、死にたくない!と強く思ったのです。

この当たり前の感情がなぜ重要なことなのか、それはまた後で説明しますが、

とにかく僕は、ぼんやりとした意識の中、死にたくない!という強い感情が沸き上がり、このまま意識を失っちゃダメだと思いながら、自分でも意味不明な奇声を上げ始めたんです。

それはきっと僕にとって、生きるための奇声でした。


人が駆け寄ってくるのが分かります。
おそらく僕をはねてしまった運転手さんだと思います。

ハッキリと顔までは認識できませんが、どうやら中年の女性のようです。
大きな声で一生懸命僕に話しかけてきます。

「大丈夫、大丈夫だから!今すぐ救急車を呼ぶから!」

でも、今誰かと会話をする余裕のない僕は、そのまま奇声を上げ続けています。


しばらくすると、今度はなぜか猛烈な寒気でブルブルと全身の震えが止まらなくなってきました。

そんな中、さらに人が何人か集まってきて、倒れたまま奇声を上げて震えている僕を囲んで各々何かを話し合っています。

そして、一人の優しい男性が、そんな僕の頭に布のようなものを当て、ずっと血を止めようとしてくれました。


そんな状況がどのくらい続いたでしょうか。
ようやく救急車やパトカーがやって来たようで、僕の周りはさらに騒がしくなってきました。

そして、救急隊員が駆け寄ってきて、僕に意識があるのを確認し、いくつか質問をしてきます。

僕はまだ震えが止まりませんが、この辺りから、「ああ、僕は助かったのかもしれない」と感じるようになり、ようやく奇声を止め、なんとかその質問に答えることが出来るようになったのです。



さて、

ここまでが僕が北アイルランドの森(並木道)で車にはねられてしまった時の詳細なんですが、

この後僕は、すぐに救急車で離れた町の救急病院に搬送され、いくつかの処置の後、頭を6針縫い、ひじの形が変形してしまっていたことから骨折を疑われ精密検査を繰り返しましたが、幸いにもなんとか骨折は免れていたみたいで(ひじの内部に血が溜まっていた)、

結果、命には別状はありませんでした。

ノーブレーキの車に後ろからはねられて助かったっていうのは、おそらく僕は、自転車に乗っていたおかげだと思うんです。

担架で救急車に運ばれる時にチラッとだけ見えたんですが、あの即席自転車はビックリするほどグニャリと曲がって大破しており、

おそらく追突の衝撃はほとんど自転車だけが請け負ってくれて、そのおかげで僕は宙に放り出され、ただ地面に叩き付けられた分の怪我だけで済んだんじゃないでしょうか。

もしも、あの時僕が疲れて自転車を押して歩いていたりしたら、それこそ一巻の終わりだったと思います。


あれ?
でも、はねられた後、「リアルな死に直面した」だの「生きるための奇声」だの、そんな大げさなこと言ってなかったっけ?


…まあ、まあ、それを言いなさんな。

でも僕があの時、あの状況下で、「死んだ」とか「死んでしまうんだろう」と思ったのは紛れもない事実で、僕はただただ自分の身に起こったことと自分が感じたことを正直に書かせてもらっただけです。

そして、今回僕にとって何より大切なことは、「あの時僕が何を感じたか」、まさにその部分なんです。


その話はまず、さっき少し触れた2013年秋のカナダ「ユーコン川」での出来事にさかのぼります。

ここに、その時のことを書いた文章があります。



まあ、これはあまりにも長い長編冒険記なので、興味のある方かよっぽどお時間のある方に読んでいただくとして、

とにかく要点だけを言うと、僕はその「ユーコン川」でも一度リアルな自分の死に直面したことがあって、

その時僕は、強い恐怖心を感じながらも、なぜかその目の前の「死」を自然に受け入れようとしたんです。

自分でも理由はよく分かりません。

まあ結局は、その時も僕は運良く助かったわけですが、それでも後になって、僕はその「死に直面した時、自分は死を受け入れようとした」という事実をかえりみて、ひどく困惑し、ひどく落胆し、自分というものが分からなくなった時期があったんです。

幼いころからずっと「死」というものを強く意識し、怯え続けてきた僕にとって、それはそれはショックで、とても頭が混乱する出来事でした。

自分が「死にかけた」という事実に対してではありません。
自分が「その死を受け入れようとした」という事実に対してです。

先ほどの文章の中で、僕はその時のことをこんな風に書いています。



そしてあれから3年半経ち、今回僕は、車にはねられて再び自分のリアルな死に直面した(と思った)わけですが、その時頭に浮かんだのが、

「死にたくない!」

という強い気持ちだったのです。


これは僕にとって、とても大きな、意味のある変化です。
3年半の時を経て、ようやく僕は人間としての当たり前の感情を手に入れたんです。

そして、今回のこの変化の理由は、自分でもある程度分かっているつもりです。

ただ、残念ながらその詳細は今はまだどうしてもお話しできない内容なので、いつもながらそれは申し訳ないんですが、

とにかく、話せる部分だけでも言うと、この当時の僕にはハッキリと生きる目的ができていて、だからこそいつかちゃんと生きて日本に帰るんだという決意が常に心の中にあり、それが今回の事故での「死にたくない!」という強い感情に繋がったんだと思うんです。

もちろん今回の事故は、一歩間違えたら最悪の事態だったわけで、とても辛く、苦しい思い出ですが、

でも、その時の僕の感情面だけに焦点を当てると、ようやくいい意味での心境の変化が起きたというか、これで今後は自分の気持ちに自信を持って旅を続けられる気がするというか、とにかく自分の中ではそういう意味においてもとても大きな出来事だったんです。



さて、話は再び救急病院内に戻りますが、

というわけで僕の怪我の治療やら精密検査やらは結局全部で5時間近くかかり、全て終わった頃には時刻はもう深夜の11時になっていました。

(治療後のベッド)


そして、骨折していたなら即入院だったんですが、かろうじて骨折はしていなかった僕を、どうも病院側は入院させたくはないみたいで、僕に、もしタクシーを使ってホステルに帰れるなら今日中に帰ってもいいよと提案してきました。
その代わり、10日後ぐらいに頭の抜糸をしにまたここに戻ってこいと。

えええ!?今日このまま帰っていいの?

まあ、確かに僕もさすがにもうパニック状態からはとっくに脱していますし、治療も一応は一通り終わっていますが、それでもまだ足をひきずらないと歩けませんし、ひじの変形などの影響もあって、さすがに事故当日から普通に2段ベッドのホステルなんかでまともに過ごしていけるとは到底思えません。

ただ、この時僕が心配していたのは、ここの病院代のこと。

言ってもここは、非常に物価の高い北アイルランド。
一応僕は旅行保険に未だに入っていますが、入院などとなると、さすがに凄い金額の請求になって、今後保険期間が延長しにくくなってしまうかもしれないという不安があって、

結局僕は病院に言われた通り、タクシーに乗ってあの「Finn McCool's Hostel」にかなり無理して帰ったのでした。

(まあ結論を先に言ってしまうと、僕はあのまま無難に入院させてもらえばよかったと思います。
なぜなら、結局10日後の抜糸を含め、僕は今回の件で一切病院にお金を払わなくて大丈夫だったから。
おそらくですけど、僕をはねてしまったあの中年女性の方の保険で全てが支払われたんだと思います。
ちなみにね、今回僕あの中年女性のことを何にも知らないし、何の情報も一切教えてもらってません。
病院内での僕に対する警察の聴取も、ほんとに嘘みたいにあっさり終わりましたし。
いや、まあ今回、あんな時間にライトも無い自転車であの道を走っていた僕にもかなりの非があると思ってるんで、別にいいんですけども…。)


そして、警察や病院からすでに連絡が入っていたんであろうあのホステルでは、深夜にも関わらずボブが神妙な面持ちで僕を出迎えてくれました。

「おかえり。」

「ボブ、ごめんね。自転車めちゃくちゃに壊しちゃった。もう戻ってこないかもしれない…。」

「いや、何を言ってるんだ。そんなことより、君が無事で本当に良かった。警察から電話があった時には驚いて心臓が止まるかと思ったよ。とにかく君は自転車のことなんて何も心配しなくてもいい。それよりも、あんなボロボロの自転車に君を乗せてしまって申し訳ない。」

「いやいやいやいや、悪いのは全部僕。その自転車を作ってくれって無理矢理頼んだのは僕の方だよ。」


それから結局抜糸が終わるまでの10日間、僕は不自由な体のままで、ずっとこのホステルで、ボブに何から何までお世話になりながら療養しました。

そしてその10日間、あんなに近くにある「ジャイアンツ・コーズウェイ」にさえ僕は行けず、結局あの初日の訪問が、僕にとって最初で最後のジャイアンツ・コーズウェイになってしまったということなんです。



さて、今回とっても長い話になってしまいましたが、最後にひとつだけ、療養中のある日、僕が今回の件でどうしても気になっていたあることを思い出し、それをボブに質問した話を書かせてください。


「ねえ、ボブ。俺、あの事故の日、細い並木道でぬいぐるみが無数に木に打ち付けられてるのを見つけたんだけど、これ、一体何?めちゃくちゃ怖かったんだけど。」
(自分で撮ったあの写真たちを見せながら)

「…あぁ、これか。君はこれを見たんだね。これは、この辺りに住む人たちでもハッキリとはよく分かってないんだけど、何年も前にね、あそこで小さな女の子が君みたいに車にはねられて亡くなっちゃって、その女の子のお父さんがそれから少しずつぬいぐるみをあそこの木に打ち付けていってるっていう噂だよ。まあでも、それはあくまでも噂で、実際にぬいぐるみが打ち付けられてるところを見た人は誰もいないらしいけど。だから、僕たちも実際のことは分からない。でも、未だにあのぬいぐるみはどんどん増え続けているんだ。」



・・・・・!!!





「僕が北アイルランドの森で死にかけた話」
終わり。




P.S.

みなさん、今回はこんなに長い僕の思い出話を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました!

そして最後は、読み物としてあえてこういう終わり方にしてしまいましたが、

確かに僕も、この話をボブから聞いたときは、あまりにも衝撃で震えましたし、実際写真を撮りまくった後に、同じ道で僕がはねられたので、もしかしたらこれはぬいぐるみの呪いかもとすごく怖くなり、ぬいぐるみが写った写真を全部元データごと消してしまい、それが今回写真を一枚も載せることが出来なかった理由なんですが、

でも、よく考えたら、あんな事故があっても結局僕は死なずにこうして元気に生きてるわけで、

それならじゃあ、女の子が自分の存在を知ってほしくてただイタズラをしただけかもとも思えますし、逆に重大な事故からその女の子が僕を守ってくれたとも考えられるわけです。

しかも、そもそも女の子の事故は事実でも、ぬいぐるみの件に関しては、これはあくまでも噂で、何の確証もありません。

なので、みなさんもどうか、これをただただホラー話だとは捉えず、いろんな考え方があるんだってことだけはどうかご理解ください。

もしかしたら、これはハッピーエンドだったのかもしれないわけです。

僕も決して、今回の話を最終的にホラー話にしたかったわけじゃなくて、今回あまりにもたくさん伝えたいことがあって、それを全部詰め込んで読み物にしようとしたら、結果こうなっただけっていう話なので。


…でもね、でもね、分かります。

あんな話をされたら、怖いもの見たさで、そのぬいぐるみの写真をどうしても見てみたかったっていう人も少なからずいるでしょ?

で、そんな人のために、なんとか僕、あの場所でぬいぐるみの写真を撮ってネット上にアップしてた人をたった一人だけ見つけてきました。

というわけで、下にそのリンクを張りますが、これはあくまでも自己責任ということで、どうしても見たい方だけリンク先をご覧になってください。
(あのぬいぐるみの写真は7枚ほど載ってあります。写真の左をクリックしていけば7枚とも全部見れます。)

https://www.flickr.com/photos/rbkcc777/3319153043/in/photostream/



さてさてそんなわけで、今度こそこれで本当に終わりですが、最後にもう一度だけ、今回全てはこの一枚のためにあったんじゃないかと思うほどの、あのとっておきの写真を載せて締めたいと思います。

では、みなさん、また次回別の話でお会いしましょう!

チャオー!!



うわー!やっぱり凄い写真ー!!

そしてなにより俺、

生きててよかったーーー!!!



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