見出し画像

2020年4月、僕の旅の現状

みなさん、ご無沙汰しています。
平たかゆきです。

しばらくツイッターをお休みしていたんですが、現在の世界中での新型コロナウィルス問題の深刻な拡がりもあり、僕の事を心配してくださるメールもいくつも頂くようになってしまい、さすがに一度僕の旅の現状をみなさんにも報告しておかなくちゃと思ったので今回noteに書かせてもらいます。

ただ、今回はネガティブな部分もちゃんと正直に話していこうと思っているのと、かなり時間をさかのぼって話を始めるので、前半はコロナ問題とは全く関係のない極個人的な話が続くという点だけはご理解してもらった上で、本当に長文ですが、興味のある方はどうか最後までお付き合いください。



まず、第一の報告として、2011年2月1日に日本を出発して始まった僕のこの世界一周の旅ですが、先月ついに無帰国のまま丸9年を迎え、ついに10年目に突入しました。(現在ジョージア。ここまで67か国訪問)

もちろん、旅の「長さ」というもので何かの優劣が決まるわけでは決してないので、そんなに偉そうなことは言えませんが、

それでもやはり、僕にとって34歳からのこの9年間という期間はあまりにも果てしないもので、それだけ長い時間の中をなんとか無帰国にこだわったまま無事に旅を続けてこられたという事実は、自分自身の中で少しは誇れることであります。


ただ、そんなに長く続いているこの旅も、実はこの半年以上は完全に停滞してしまっていました。

いわば、旅の大スランプです。


そのスランプの理由はいくつかあるんですが、一番大きいのは、僕の精神的・肉体的な不調によるものです。

僕はいつのまにかもう43歳。

そりゃあ10年近くも旅していると、年齢的な体力の衰えっていうのは明らかに表れてきていて、それで旅が段々スローペースになってきているというのもあるんですが、

でも、今のスランプは決してそれだけが直接的な原因というわけではないんです。


以前から応援してくださっている方はご存知かもしれませんが、日本にいた頃、僕は「鬱病」や「パニック障害」など、いくつかの深刻な精神疾患を患っていました。

そして、数年間に及ぶ通院・投薬治療により、一応それらは寛解(完治とまではいかないが、症状が治まること)し、ようやく念願の世界一周旅行に旅立つことができたわけですが、

それでもここまで長い旅の中では、やはり時にとても辛い出来事を経験し、残念ながら鬱的な症状が再び表れてしまうことも何度かあり、その度に僕はなんとかそれを乗り越えてきました。

ただ、ここ数年は、鬱というよりも、これも以前に僕が一度診断されたことのある「自律神経失調症」だと思われる症状が表れることが多くなってきていて、特にこの半年ほどはそれが顕著になってきているんです。


この自律神経失調症っていうのは、みなさんも名前を聞いたことがあるかもしれませんが、とても厄介な病気で、僕の場合、発症すると何か特定の症状が表れるというわけではなくて、色々な肉体的不調がランダムで襲ってきます。

具体的に言うと、僕の場合、熱、悪寒、全身倦怠感、めまい、強い眠気、睡眠障害、食欲不振、下痢と便秘の繰り返し、精神的な落ち込みなど。

これらの症状がいくつか同時に、無秩序に表れます。

初めは風邪を引いたのかなと勘違いすることも多いんですが、風邪薬などは一切効かず、

さらに自律神経失調というその名の通り、自分自身でもそれらの症状は全くコントロールできない上に、そもそもこの病気がどのタイミングで始まっていつ終わるのかもよく分からないんです。


とにかく、この厄介な病気が数年前から旅の中でも時折顔を出すようになり、最近はその頻度が高くなってきているんです。

そして、この病気が始まると、いつも僕は旅を続けられる状態ではなくなり、いつ治るのかも分からないまま、1週間なり2週間、不安や焦りだけを募らせながら旅は止まってしまいます。


と、

まあ、そういった現状があるということを分かってもらった上で、話は去年の9月ごろに戻ります。



2019年9月末のある日、この頃すでにジョージアに数か月滞在していた僕はビックリする大ニュースを目にしました。

それは、

あの中東の大国「サウジアラビア」が、日本を含む49か国にだけ観光ビザを発行すると発表したというニュース。


サウジアラビアはこれまでずっと、イスラム教徒かビジネス目的の外国人しか決して受け入れず、「世界で一番訪れるのが難しい国」とも言われていた国で、

そのサウジアラビアが限定的とはいえついに外国人観光客にもビザを発行するという発表は、僕のような海外旅行者にとっては本当に驚きの大ニュースでした。

しかも、今いるジョージアは、サウジアラビアからそんなに離れておらず、僕はこのタイミングに何か運命めいたものまで感じたんです。

僕のテンションは一気に上がります。


まさか、あのサウジアラビアに入国できるチャンスがこの旅の中で訪れるなんて!
よーし、これは絶対にすぐ行かなくちゃ!
しかも、ようやくジョージアを出発する大きなきっかけにもなるし!
うおー、運命やーーー!!!


そんなわけで、勝手に何かの運命を感じテンションが上がった僕は、値段は少し高かったけどさっそくインターネットで申請を済ませ、あっという間に観光ビザ(1年間有効)をゲットしてしまいました。


いや、でも、ほんと時代っていうのは変わるものです。

今までずっと「世界で一番訪れるのが難しい」って言われてた国のビザが、まさか発表から数日でこんなに簡単に手に入ってしまうなんて…。



とにかくこうして予想外のサウジアラビアビザをゲットした僕。

ただ、残念ながらサウジアラビアは現在他の周辺国の事情もあり、ここジョージアから陸路でたどり着ける国ではありません。(僕は極力飛行機を使わずに旅を続けています)

なので今回は飛行機を使わざるをえないことになるわけですが、

それならばということで僕はこんなプランを立てました。

飛行機を使うなら、荷物制限があるので、なるべく荷物は減らした方がいい。
→今滞在しているジョージアの宿に、荷物の半分ぐらいを預かっておいてもらって身軽に旅する。
→じゃあこの機会に、サウジ以外にも、飛行機や陸路を織り交ぜつつ、まだ訪れていない他の中東諸国なども回る。
→6,7か国回った後、半年後ぐらいに荷物を取りにまたジョージアに戻ってくる。


そんなプランで、

具体的なルートとしてはこんな感じです。
(赤=飛行機。青=陸路・航路)

スクリーンショット (51)_LI

「ジョージア」→「サウジアラビア」→「バーレーン」→「イラン」→「イラク(北部)」→「トルコ」→「レバノン」→「トルコ」→「キプロス」→「トルコ」→「ジョージア」


よーし、ルートも決まった!
これで、半年近くの中東旅が始まるぞーー!!


そんなわけで、僕はさっそくまずジョージアからサウジアラビアに向かう飛行機チケットを予約しようとしました。

でも、そんな矢先に、一つ目のトラブルが起きてしまいます。


・ジョージアのスーパーでクレジットカードのスキミング被害

う、うぅ…。

よりによって、なんでこんなタイミングで…。

僕にとっては、今までの9年間の旅の中でこれが2回目のスキミング被害です。(今回の被害額は約10万円)

もちろんお金も痛いけど、さて、色々どうしましょう。


一応僕はもう1枚予備のカードを持っていますが、とりあえず今はサウジのチケットを取るのは一旦保留。

そして、日本の銀行に連絡して被害にあったカードはすぐに止めてもらいました。

ただ、もう一度カードを再発行してジョージアまで送ってもらうとすると、最低でも1か月はかかってしまいます。

うーん、でも、せっかく久しぶりに旅が動き出しそうになったこのタイミングなのに、ここから1か月も待って自分のテンションを落とすなんてことはできればしたくないです…。


というわけで僕は決めました。

カードの問題はまたジョージアに戻ってくる頃に考えなおすとして、やっぱり今はこのままサウジに向かうってことに。

半年ほど続く旅でカードが1枚だけっていうのは少し心配だけど、それ以上にやっぱりこの出発のタイミングを逃したくないんです。


よし、そうと決まったら、気を取り直して、今は目の前の中東旅のことだけを考えるぞ!
うおー!待ってろよ、サウジアラビアーー!!



というわけで僕は、今度こそ1週間後のサウジ行きチケットを予約し、出発の準備を始めました。

でも、なんとここでまた新たなトラブルが起きてしまったんです。


・出発予定日の2日前に、突然「自律神経失調症」を発症

ああ、あぁ…。

もう、やだ…。


何がきっかけなのかはよく分かりませんが、とにかくまず発熱から始まり、その後いつものように色んな症状が出はじめました。

こうなってくるともう、それからの1,2週間は旅どころではなくなってしまいます。

出発の直前だったから本当に悔しすぎるし、スキミングに加え、お金の面でもめちゃくちゃ痛いですけど、こればっかりはどうしようもありません。

サウジ行きのチケットはキャンセルです…。


最近の僕の旅、そして僕の体は、一体どうなってしまってるんでしょうか…。


その後、体調の回復を待っているうちに年末が近づいてきて、僕は一旦今回の中東旅を保留に。

気持ちを入れ替えるためにも、年が明けてから改めてまた動き出すことにしました。


2020年、ジョージアで年明け。

画像2

画像3

(首都「トビリシ」で撮影)



ただ、年が明けて早々、今度は僕自身のトラブルではなくて、その中東そのものに関する不穏なニュースが飛び込んできます。


・「中東危機」が勃発


みなさんの記憶にも新しいかもしれませんが、トランプ大統領率いるアメリカ軍が、イラクの首都バグダッドでイランの英雄的司令官を空爆により殺害、その後イランもアメリカに対する報復を宣言、

これにより、世界中に一気に緊張感が高まり、一部では「第三次世界大戦の幕開けか」などともささやかれはじめました。

特に中東では、舞台となっているイランやイラクだけではなく、周辺国全体に強い危機感が広がりました。


そして日本の外務省も、イランとイラクへの渡航に対して、それぞれ渡航自粛・退避勧告の要請を出し、

これで、僕が当初予定していた、サウジの後にイラン→イラクと回るルートも現実的に厳しくなってしまったのです。


当時、僕はこういうツイートをしています。


と、そういう内容です。


でも、今だから正直に言うと、あの頃僕は、出発しようとする度に何回も襲ってくる色んなトラブルにさすがに心が折れかけていて、

いっその事もうサウジを含む今回の中東の旅は全部無かったことにして、もう一気にアフリカ大陸に移動して世界一周の旅を前に進めてしまおうかという選択肢が頭をよぎっていました。

ただ、その反面、せっかく高いお金を出してサウジのビザを取ったこともあるし、まだ訪れてない中東の国もいくつかあるので、「そういう国に行かなかった世界一周」という事実にいつか後悔することにならないだろうかっていう気持ちも半分あり、かなり心は揺れていました。


でもまあ、この中東危機も今後長く続くかどうかは誰にも分からないわけで、幸い今いるジョージアという国はビザ無しで1年間の滞在が許されており僕にはまだ少し時間に猶予があります。

そしてこの時期僕は、ちょうどこの「note」で新しい長文記事を書いている途中でもあったので、

こうなったら、とにかくその記事を書き終わるまではジョージアに滞在して、その後の中東の状況次第でもう一度旅の行き先を考えようと決めたのです。



そして1月の中頃、時間はかかりましたが、ようやく僕はその新しい「note」の記事を書き終えました。

ちなみに、書いていたのはこの記事です。


以前すでにこの記事を読んでくださっている方には分かってもらえるかもしれませんが、この記事は、相当時間をかけたこともありますし、僕の中でもかなり気持ちや力が入った重要なお話でした。

でも、これを書き上げた直後には、その反動のようなものからなのか、僕はまた一気に体調を崩してしまったんです。


・気付けば、それはまた「自律神経失調症」でした

しかも今回の症状には、肉体的な不調だけじゃなく、なぜか深い哀しみや虚しさなど、鬱的な症状も大きく含まれていて、いつもよりかなり辛いものに。




…もう、僕は色々分からなくなってきてしまいました。

去年からずっと、何をやってもうまくいきません。

トラブル続きで結局旅も一向に前に進めてないし、かといってその間に文章を頑張って書いたとしても、こうやって自律神経系がどんどん酷くなって体調を崩しての繰り返しだし…。


こんな調子が続いて、僕は本当にこの無帰国世界一周の旅をいつか完結させることができるんでしょうか。

先が見えなくて、気が遠くなるばかりです。

それとも、もともと精神的に不安定なものを持つ僕みたいな人間がこんなに長い旅をするっていうこと自体が、そもそも無茶な話だったんでしょうか…。


頭に浮かぶのは、ネガティブな事ばかり。

もちろんその間、旅の次の行き先を考える余裕なんかはないし、それどころか、この世界一周の旅そのものに対する情熱や意義すら見失いかけていました。



・ある旅人との出会い

ただ、そんな中でも、救いが一つありました。

僕がその時泊まっていたホステルっていうのは、ジョージアの首都「トビリシ」にある、日本人バックパッカーに有名な宿なんですが、そこである一人の日本人男性と出会ったんです。

名前は「高詩 シカ男」くん。

彼はもう5年ほど自転車で世界を旅しているんだけど、その間に世界中で本格的な「登山」も重ねていて、すでに五大陸最高峰の内、エベレストを除く全ての山に登頂成功している登山家でもあるらしいのです。

つまり、自転車世界一周の中で、同時に五大陸最高峰登頂も目指そうとしている凄い人。

僕も今まで数え切れないぐらいほどの旅人に出会ってきましたが、さすがにこんな旅をしている人に会ったことはありません。


しかも彼は、そんな自分の凄さを鼻にかけるわけでもなく、むしろ謙虚で、とても面白くて話しやすい人。

初めに会ったのは、僕がさっきの「note」を書いている途中で、まだ自律神経失調症が発症してない時だったんだけど、

出会った初日からなんだか僕たちは意気投合して、ありがたいことに、それからとても仲良くさせてもらうようになりました。


(↑シカ男くんのツイッター)



そして、さらに嬉しかったのが、僕が彼をリスペクトしてるだけじゃなくて、彼の方も僕の写真や文章をとても評価してくれていること。

例えば、僕がさっきの「note」を書き終えた時には、シカ男くんもそれを読んで何かを感じてくれたようで、実際にすぐに「パンキシ渓谷」まで向かって、あのナジーさんのゲストハウスも訪れてくれました。

自分が書いた文章や撮った写真から、誰かが何かを感じてくれて、それから実際に何らかの行動に移してくれる。

何かを表現する人間にとって、これほど嬉しくて、自信につながることがあるでしょうか。


とにかく、こうして僕たちは、旅の中身や目指すゴールは違えど、お互いにリスペクトを持って通じ合える良い関係になったのです。



ただ、さっきも言った通り、僕はこの後自律神経失調症を発症し、とても辛い日々が始まってしまったわけです。

そんな中、僕はどうしても部屋に閉じこもることが多くなってしまったんだけど、それでも、たまに共用リビングに出た時なんかに、彼にだけは正直な今の気持ちを吐露することができ、それは少なからず辛い日々の助けになってくれました。


シカ男くんは日本を出てから5年間色んな挑戦を続け、いわば旅に一番脂が乗っている充実した時期。

正直、僕から見るとキラキラと輝いて見えます。

対して僕は、旅も10年目にさしかかり、不調も増え、明らかに旅の大スランプ中で、分かりやすく今の僕たちは対極な状態なわけです。

ただ、そんな対極の状態であっても、僕は彼に対してはなぜか嫉妬や疎ましさなどを全く感じず、

むしろ、僕もいつか絶対にあの情熱を取り戻さなきゃと、いつのまにか、色んなものを見失いかけている今の自分への鼓舞に繋がっていたのです。



そして、あっというまに2月になっていました。

僕の症状は、肉体面・精神面ともにまだ完調とまではいかないまでも、確実に快方に向かってきています。

よし、ここまできたんなら、僕も折れかけた心や情熱をもう一度取り戻して、今度こそ次の旅の計画を立て始めなければ。

そう決めたのです。

これは確実にシカ男くんから受けた影響でした。



でも、

ここまできてもやはりまだ、物事はスムーズには進んでくれませんでした。

この頃、何やらまた、新たな不穏な動きが世界で報道されるようになってきていたのです。


…そう、コロナです。


・新型コロナ問題の始まり

ただ、正直なところ、当初僕は新型コロナウィルスというものをそこまで深刻な問題だとは考えられておらず、

この頃はむしろ、ウィルスそのものよりも、そこから派生する「海外でのアジア人に対する強い差別意識」というものの方に問題を感じ始めていました。


特にここジョージアでは、ネットなどで他の国の状況を調べる限り、その差別問題が他に比べて少し顕著だったようで、

僕自身も実際、たまに町に出た時などには、「コロナ!コロナ!」とからかわれたり、時に怯えられたり、お店の入店を拒否されたり、スーパーでレジ対応を拒否されたりと、明らかな差別行為を受けることもしばしば。

この時期は、シカ男くんを含め宿にいた他の日本人旅行者も、大なり小なり同じような被害を受けていて、この事態に少なからずみんなが困惑し始めていたのです。


それでも、この時期はまだ、差別を受けた時に

「いや、僕は中国人じゃないよ。日本人なんだ。」

と落ち着いて返せば、あちらも

「ああ、なんだ、そうか。それなら安心だ。」

と態度をガラッと方向転換してくれる場合が多く、そこはまだ救いでした。


とにかく、この時点では、僕たち旅行者は、「早くこの事態が終息してほしいね」と、コロナそのものではなく、差別問題の方に注意を向けていたのです。


ただ、僕の場合、もちろん差別を受けるのはとても辛いけど、もし問題がそこだけということならば、程度は別にしても、今まで色んな国で差別自体は幾度となく味わってきたことでもあるので、それで旅を止めるというほどのものではありません。

もしかしたらこの差別問題だって、今のジョージア特有の問題なのかもしれないし。

なにより今僕は、情熱を取り戻して今度こそ新しい旅に出発しようと、ようやく決意したばっかりなわけです。


というわけで僕は、現時点ではコロナ問題を横に追いやって、やっぱり旅を前に進める方に舵を切ったのです。


そして、ちょうどそんな時、嬉しいニュースが舞い込みます。

どうやら今年初めに起こったあの「中東危機」は、あれから最悪な事態は回避できたようで、

イラクはまだ退避勧告のままですが、イランの方は外務省が渡航危険レベルを下げ、再び旅行ができる状況になったようなのです。


おぉ、これは僕にとっても、何ともグッドタイミングで嬉しいニュース。

じゃあ、これは、あの時一度諦めた中東旅をリベンジするしかありません。


そして僕は、改めてルートを考え直し、今回はイラク抜きということや飛行機チケットの諸事情を加味して、

「ジョージア」→「バーレーン」→「サウジアラビア」→「イラン」→「レバノン」→(この後は流動的)→「ジョージア」

という、またジョージアに荷物を半分置いて、もう一度取りに戻ってくるという前回と似たルートを組んだのです。


ただ、前回と違うのは、今回は飛行機代の問題で、1か国目に飛ぶのが「サウジアラビア」ではなくて「バーレーン」だということ。

最大の目的地「サウジアラビア」には、「バーレーン」の後、この橋を渡って陸路で入国するということに。

スクリーンショット (50)_LI


あのサウジに陸路で入国するっていうのも、ある意味相当珍しくて貴重な経験だと思うので、これはこれで楽しみです。



そんなわけで、ようやく今回の自律神経失調症も完全に治まった僕は、

2月14日、半年以上ぶりにジョージアを出国し、1か国目のバーレーンに向けて、ついについに念願の中東旅リベンジをスタートさせたのです。


うおー!
時間はかかりすぎたけど、今度こそ、今度こそ、旅再開ーー!!


この時はまだ、コロナ問題の深刻な広がりが、もうすぐそこまで来ていることにも気付かずに…。



・中東の小国「バーレーン」にて、本格的な旅を再開

それにしても、今回の「バーレーン」は本当に久しぶりの新しい国です。

これだけ長く旅していても、やっぱりここまで間が空くと色んなことに緊張しますが、それと同時に、ちょっと町を歩くだけでもふいに旅を始めた頃のような何とも言えない高揚感に全身が包まれることもあり、

改めて、やっぱり僕は「旅」というものが大好きで、決して旅に対する情熱を完全に失ったわけじゃなかったんだなあと再確認しました。


それを証拠に、僕はバーレーンに夜到着して、次の日からの3日間、首都「マナーマ」の町をまるで熱に浮かされたようにひたすら歩いて、たくさんの現地の人と交流し、写真を撮り続けました。

写真の枚数で言うと、約3000枚。

たった3日間でです。

長らくジョージアで写真もほとんど撮らずもんもんとしていた日々から、あっというまの激変です。

(ちなみに、この時点のバーレーンでは、ジョージアとは違って、コロナ問題によるアジア人差別は一切受けることはありませんでした。)


そんなバーレーン旅行の詳細は、詳しく書くとまだまだ長くなってしまいそうなので今回は省略しますが、写真だけは今から何枚か貼るので、それで少しでも何かを感じてもらえると嬉しいです。


画像5

画像6

到着翌日に、首都「マナーマ」の港で、たまたま釣りに来ていた地元のおじいちゃんと孫(5歳)に出会いました。
たくさん話して、仲良くなった末に、なぜか5歳の孫が操縦する船で海に出ることに。(もちろん、おじいちゃん監修の元)
ある意味、貴重な体験です。(笑)
この時、船の上で風を浴びながら「あ、また僕の旅が再開したな」と感じました。

画像7



画像8

画像9

画像16

画像15

画像10

画像11



…でも、

ようやく味わうことができた、久しぶりのそんな充実した旅は、結局、到着翌日からなんとたった3日間で終わってしまいました。

次の日から僕が、39.5℃もの高熱を出してしまったからです。


・まさかのインフルエンザを発症

本当に、本当に、43歳になった僕の体は、次から次へとどこまで綱渡り状態で、一体どこまで弱くなってしまっているんでしょうか…。

もう、ただただ辛いです…。


おそらくですけど、自律神経失調症明けでまだ免疫が上がりきっていなかったのか、そんな中この3日間人と交流しまくったから、その内の誰かから菌をもらってしまったんだと思います。


ただ、これを読まれてる方の中には、「それ、コロナじゃないの?」と心配される方もいるかもしれませんが、色んな症状が完全にインフルエンザそのものだったので、その点はご安心を。

そして、自律神経失調症の時の熱の上がり方とも全然違います。


でも、そうは言っても、この時期にインフルだろうが何だろうが、風邪に似た症状を持つっていうことは、対外的にとってもややこしいです。

バーレーンには、ホステルや安宿などは無く、僕は仕方なく少しでも安いホテルの個室に泊まっていたんですが、今ここのスタッフや他のお客さんに、僕が高熱や風邪症状を患っているっていうことがバレてしまうのは、どう考えても得策ではありません。


というわけで僕は、あと2日ぐらいでこの国を出ようと思っていたのに結局それは叶わず、それからの日々をただひたすら療養にあて、レセプションに行く時だけは必死に病気を隠し平静を装って、それ以外は出来る限り部屋に閉じこもり、屍のように横たわって過ごしたのです。

食事も3日に1回ほどだけは、ホテル近くのレストランから頑張って持ち帰りしてきて、なんとかそれで栄養を補給していました。


そんな辛い日々を過ごして、ようやく熱やその他の症状が全て治まったのが発症から1週間以上も後のこと。

インフルエンザそのものももちろん相当辛かったですが、「やっと旅が再開したばっかりなのに、結局俺はこんな所で一体何をしているんだろう」っていう毎度ながらの強い虚無感、

そして、予想外の延泊で1泊ごとの宿代がバカにならなかったので、現実問題それもかなり痛かったです。


さて、そうは言ってもようやくインフルが終わってもう一度旅を再開できる状況に戻ったわけなんですが、実はバーレーンではビザ無しで観光できる上限日数が2週間まで。

つまり、僕にはもうこれ以上バーレーンをゆっくり旅するという選択肢は無くなってしまっていたのです。

本格的なバーレーンの旅はあの3日間だけで終わり。

そういうことです。


でも、仕方ない。

今回の最大の目的地はあくまでも次の国「サウジアラビア」。

気を取り直して、さっそく明日にでもあの橋を通って、サウジに行ってしまいましょう。

そう、ついに、サウジなんです。



というわけで僕は、翌日のバスチケットを予約するために、1週間以上ぶりに本格的に「マナーマ」の町へ繰り出しました。

でも、僕がその日町で見た光景は、思っていたものとは全く違いました。

町の人の半分以上がマスクを装着し、みんな深刻な顔をしていたんです。

1週間ちょっと前には、マスク姿の人なんか一人も見かけなかったし、普段からマスク姿に慣れている日本とは違って、中東の国での大勢のマスク姿っていうのはかなりインパクトのある光景です。


とにかく、この時点で、僕も不穏な空気と、一抹の不安を感じたんですが、バス会社に着いてからは、その不安は確信に変わりました。


まず、明日のサウジ行きのチケットを予約したいことを伝えると、そこの従業員はすぐさま、

「お前は中国人か?
中国人なら今はもうバスのチケットを売ることはできない。」

と。

そして、僕がその言葉に驚きながらも、自分が日本人であることを伝えると、

「日本人かあ…。
日本人なら一応チケットを売ることはできるけど、今もうサウジに入国できるかどうかの保証はできない。
そもそも明日のチケットなら、明日はまたさらにどうなるか分からないから、今は買わない方がいい。
明日、出発前にもう一度来てみなさい。」

って、

そういう答えが返ってきたんです。


衝撃でした…。

僕がインフルエンザで寝込んでいた1週間ちょっとで、知らない間に世界はコロナによってここまで変化していたんです。


そして、試しに「数日前ならどうたったのか」を尋ねてみると、「数日前までは何の問題もなく、通常通り運行していた」とのこと。


まさか、ここまできて、夢の「サウジアラビア」に行けないかもしれないなんて…。
もう、すぐ隣まで来てるっていうのに…。
ああ、僕がこんな時にインフルエンザにかかってしまったばっかりに…。



でも、とにかく、明日荷物を全部準備して、もう一度ここに来るしかなさそうです。

それまではなんとも言えません。


ただ、よく考えてみると、サウジうんぬんの前に、これからこの旅そのものはどうなっていってしまうんでしょうか。

急に嫌な予感がして、僕は急いでホテルに戻り、改めて現段階での近隣諸国の新型コロナウィルス問題の状況を詳しく調べました。

すると、色んな事が分かったんですが、それらは全て僕が見たくない事実ばかりでした…。



まず、サウジの次に訪れる予定だった「イラン」は、中東危機はなんとか回避したものの、今度はコロナによって今深刻な被害を受けていて、周りの国に比べて感染者や死亡者が突出して急増しているとのこと。

ここバーレーンを含め、他の中東諸国でもちらほら初の感染者が出はじめましたが、その全てがイランからの帰国者らしいのです。

二転三転はしましたが、結局これで僕はイランにはどうしても行けないんだということが確定です。

まさか、こういう問題でイランに行けなくなるなんて、少し前まではもちろん全く想像がつきませんでした。

本当に全ての状況がすごいスピードで変わってきています。


世界中を見ても、やはりこの1週間だけでもコロナ問題の広がりは急速で、各国が外国人の入国に関して様々な対策を始めていました。


ここバーレーンも、実はすでに数日前から、中国や日本を含む一部アジア、イタリアなどに渡航歴のある外国人の入国規制を始めていたようで、

サウジアラビアも、この日こそまだ規制はかかっていないようでしたが、それが時間の問題なのは明らかで、もういつ入国規制が始まってもおかしくありません。


なんだか、1週間前とは全く違った世界に迷い込んでしまったような気分です。



…そして、僕にとっても、どうやら決断を下すべきタイミングが突然やって来てしまったようです。

今朝起きた時にはまさか思ってもみなかった急すぎる展開に、僕の全身は脂汗でじっとりと湿ります。

紆余曲折の末、ようやく叶ったこの中東旅。

旅を味わったのは、たったの3日間。

つまり、結局まだ何にも見れてないし、何にも始まってもないような状態。

でも、この問題の急速な広がり方を見てみると、1日でも早く、「今」決めないと、全てが手遅れになってしまう気がするんです。

…うん、だから、今決めます。



今回の中東旅、本当に残念ですけど、ここで断念します。



今後各国がどういう対応を始めるのかが分からないし、そんな中でこれから闇雲に動いていくのはどう考えても無謀でしかありません。

そして、今日の現地の人のマスク姿を見ていて、もしルート的にこれからも運良く旅が続けられるんだとしても、こんな状況で今後旅が楽しめるとは到底思えません。

まして、写真なんて言わずもがなです。


…でも、じゃあ、どうするか。


とりあえず、僕は今回荷物の半分をジョージアに置いてきているので、やっぱり一旦ジョージアに戻るしかなさそうです。

ジョージアなら、入国から1年間ノービザで滞在できるという現在世界でも相当珍しい国です。

そこでしばらく事態の収束を待ってじっとしておくというのが、現時点では一番に思えます。

正直、やっと出たばっかりで、またすぐにジョージアに出戻り、そこでまた長く滞在するかもっていうのは、自分の中でも少し葛藤がありますが、今はきっとそんなことを言っている状況でもありません。


ただ、そうは言っても、そのジョージアも今後どんな入国規制を行うかは分からないわけで、とにかく一刻も早い僕の決断・実行が必要です。

だって、もしジョージアにすら戻れないなんて事態が訪れたら、それこそ一巻の終わりなわけだから…。



というわけで僕はさっそく、バーレーンからジョージアに戻る飛行機のチケットを調べたんですが、僕の残りの滞在可能日数が短すぎて、その間には現実的でまともなチケットが一枚もありません。

…う、どうしよう。


でも、それならばということで、念のためサウジからジョージア行きのチケットを調べてみると、3日後にサウジの首都「リヤド」からジョージアへ行けるチケットがありました。


…うん、もう僕はこれに賭けるしかなさそうです。


結局僕は、不本意な形ではあるけど、諦めかけていたサウジに入国することになるわけです。

とは言っても、今日バス会社が言っていたように、明日になってみないとバスの運行自体も分からないし、例えバスが動いたとしても今度は国境でどうなるか分かりませんが…。

しかも、もし無事にサウジに入国出来たとしても、サウジは広大な国で、国境の町で1泊、翌日また長距離バスで首都「リヤド」に向かい、リヤドで1泊、そして次の日の早朝にはもう飛行場に向かうという行程になるので、実際観光などはほぼできそうにありません。


それでも、今僕の目的は、少しでも早くジョージアに再入国するということなので、今さらそれは気にしてられません。

それよりも、まずは明日本当にサウジに入国できるのか、そして、その後もこの3日の間にジョージアで厳しい入国規制が始まってしまわないか、そこが何より重要なポイントなわけです。


本当に全てが急な展開です。



・運命の「サウジアラビア」入国へ向けて

翌朝、僕は出発の準備を済ませ、全ての荷物と共に再びあのバス会社へ向かいました。

もし、バスが運行してなければ、その時点でもう昨日の計画は全ておじゃん。

それを考えると怖さしかありません。


そして、バス会社に到着し、昨日と同じ従業員を見つけます。

緊張の瞬間です。

僕と目が合い、彼は言いました。

「今日も一応バスは出ている。
でも、乗るなら、客はお前一人だ。
そして、国境のことは分からない。
俺の意見としては、たとえビザを持っていても、今は多分日本人のお前を入れてくれないんじゃないだろうか。
もしくは、国境で何日も隔離されるとか。
とにかく、俺は、バスに乗ることはお勧めしない。
しばらくバーレーンに残って、状況を見守るべきだと思う。」



…彼の言葉に、色々思うことはあります。

でも正直、まず言えるのは、客が一人だろうが何だろうが、とにかくバスが出てて良かった。

そこです。

そして、彼が親切で言ってくれているのもよく理解できます。

ただ、彼も言っているように、これはあくまでも意見であって、直接確かめた事実ではありません。

今朝僕が出発直前に調べた限りは、まだサウジアラビアは入国規制を始めていなかったはずなので…。

それに、そもそも僕は、物理的にもうバーレーンにこれ以上長くいることもできないんです。


というわけで僕は、他に選択肢も無い今、

「バスに乗ります。」

とだけ、彼に告げました。

すると彼は、

「こちらは何の責任も取れないからな。」

と言いながらも、結局チケットを購入させてくれました。


そして、本当に運転手と僕一人だけを乗せた大型バスは、高まる緊張の中、朝10時、定刻通りサウジアラビア国境へ向けて走り出したのです。

画像12

画像13

まさか、楽しみにしていたあの橋を、こんな状況で渡ることになるとは思ってもみませんでした…。




・そして、「サウジアラビア」入国

もう、結論を先に言ってしまいます。

入国できました。

バスじゃなく自家用車で国境を超える現地民がすごく多くて時間はかかったんですけど、でも、国境審査自体はそこまでの問題はなく、むしろあっさりと入国スタンプを押してもらえました。


ふー、不安や緊張はあったけど、とにかくこれで、一つ目の関門はクリアです!

そして、こんな予期せぬ状況下ではあるけど、僕はあのサウジアラビアについに入国したのです!



…でも、後で分かったんですけど、実はこれ、

ただただ奇跡的なタッチの差での入国でした。


なんと、実はこの日、僕が国境を越えたたった数時間後から、サウジアラビアは厳しい入国規制を始め、

その後、新規観光ビザ発行も一旦停止、さらには、すでに発行済みのビザですら効力を一時停止すると発表したのです。


…え?

まさか、本当にそこまでスレスレのタイミングでの入国だったとは…。

つまり、バス会社の彼が言っていたことは決して何も間違いじゃなかったんです。


でもとにかく、どんなタイミングであろうと、入国できたことに間違いはないんだから、今はもう次の段階に向けてどんどん行動しないと。



というわけで、その後を一気にまとめてしまうと、

僕はその日、予定通りまず国境近くの町「ダンマーム」に1泊。

そして翌日、長距離バスで首都の「リヤド」へ向かい、そこでもう1泊。

次の日の朝、空港から「ジョージア」へと飛び立ったのです。



サウジでの観光は、予想していた通りほぼできていません。

ただ、長距離バスチケットを買いに行くために「ダンマーム」の町を少し歩いたのと、

首都「リヤド」で半日だけ余裕ができたので、中心地で一番高いビルに上ったぐらいです。


画像14

でも、展望台では、スマホ以外の一眼カメラなどでは一切撮影禁止という謎すぎるルールを突然告げられ、結局この1枚しか写真を撮れてません。
写真を撮るために、鬼のように高い入場料を払って展望台まで来たのに、泣きそうです…。


もちろんというか、町中でも観光客はほぼ見当たりませんでしたし、今普通に観光できるような雰囲気でもなかったです。

しかも、僕自身も、サウジにいる間はずっと「ジョージアに無事戻れるか」ということで頭がいっぱいだったので、ほとんど何の余裕もありませんでしたし。

憧れのサウジアラビアでしたが、今回ばっかりは仕方ありません。

またいつの日か、機会があれば…。



そして、肝心のジョージア入国ですが、

実は、サウジを出発する前日に、ついにジョージアも一部外国人の入国を厳しくするという発表があり、一瞬僕は震え上がってしまいました。

ただ、よく調べるとそれは、まだ規制とまではいかず、発熱などを厳しくチェックして、発熱や兆候があれば2週間の隔離というレベルの内容でした。

いや、本当に、今は1日単位で各国の入国対応が変わってきていて、全く予断を許しません。


でも翌日、2月29日、

本当に緊張したんですが、おかげさまで僕は無事にジョージアに再入国することができ、これでまた1年以内の滞在許可を得たのです。

ああ、なんとか間に合いました…。



そして、僕の今回の中東旅は当初かなり長くなる予定だったので、もうあのシカ男くんとは、ルート的にもこの旅中に再会できることはないかなと思っていたんですが、

実は彼はあの後ロシアで、なんとロシア最高峰のエルブルス山(5,642m)に厳冬期での単独登頂を果たし、たまたま数日前からジョージアに戻って来ていて、僕たちは運良く前回のあのホステルでまた再会することができたんです!


…ただ、そんな再会の喜びもつかの間、彼はこんなひどい目にあってしまいます。



・・・・・・・・・。

一体ここまでひどい差別行為があるでしょうか…。


そして、僕もその頃タクシーに乗車拒否をされたり、他の日本人も、宿泊拒否など、色んな被害にあっていたみたいで、以前にも増してジョージアではコロナにるアジア人差別が深刻化しているようでした。

しかも、それはもう、以前のように「私は日本人です」といって解消されるような時期も過ぎていて、日本人であろうとそれは中国人と同じ扱いで、「コロナを持ち込むアジア人」という大きな考えに変わってしまっている気がしました。


ただ、それでも、

いくら差別が強くても、僕がジョージアに戻ってきたのは、ここでじっと事態の収束を待つという目的です。

あくまでも僕の予測ですが、おそらくそれは数か月単位の話になるでしょう。


というわけで、これが3月の頭のことでしたが、

僕はこの後すぐに、一旦5月の中頃までという契約で首都の「トビリシ」市内でアパートを借りてしまい、そこで生活を始めたのです。


そしてこれはつまり、この世界一周の旅そのものが、完全に休止になったということも意味します。


でも、こればっかりは仕方がないです。

現実や報道を見ている限り、どう考えてもこの新型コロナ問題はまだまだ始まりに過ぎず、これから世界中でどんどん大きくなっていくとしか思えなかったので。

そして、今後すぐに、世界中で旅どころじゃなくなることは容易に想像できます。

これからはきっと、じっと耐えなきゃいけない時間が始まるんでしょう。



もちろん、

「じゃあ一旦日本に帰ってしまえばいいじゃないか」

とか

「旅なんて、所詮はただの娯楽じゃないか」

なんていう意見もよく理解できます。


でも、僕はここまで、無帰国の世界一周にこだわり、なんとか9年間も旅を続けてきました。

僕にとっては、この旅は娯楽であると同時に、人生を賭けた挑戦でもあるんです。

そして現時点で、その挑戦はまだ途中で、最後まで達成できていません。

ここまで来たら、僕はなんとかまだこの挑戦を続けていきたいんです。

本当の限界が来るまでは、どうしても諦めたくないんです。


この挑戦や気持ちが、ただの自己満足であることもハッキリと分かっています。

そして、この国でじっとされるジョージア人の立場から考えても、僕はあくまでもただの部外者であり、この時期に差別が嫌なら出ていけばいい、それだけの話です。

でも、

それでもです。

それでもなんです。



・そして、4月現在までの話

僕が一人でなるべくアパートに閉じこもる生活を始めてからは、残念ながら僕が想像していた以上に新型コロナ問題はあっというまに世界中を飲み込んでいきました。

もはやあらゆる国に被害は拡大し、各国が、空港封鎖や国境封鎖、都市封鎖などの最も厳しい規制を次々とかけはじめたのです。


僕は、運良くコロナの危機に気付くチャンスがあって、しかも時間と覚悟もあるので、なんとか今の居場所を確保できましたが、

僕が知る限り、この時期海外を旅していた本当に多くの日本人旅行者たちが、この急速なコロナ問題により、完全に行き場を失ったり、今後の問題が多すぎると判断して、悲しみと不安の中日本に帰国していきました。

それは短期旅行者も長期旅行者も同じです。

たとえ、今まで何年も旅を続けていて、あと少しでゴールだったという人だって、同じく途中帰国を決めざるをえない状況でした。

コロナ問題以前から旅を始めていた人たちのそれぞれの無念を思うと、僕も他人ごとではなく、胸が締め付けられてたまりません。


シカ男くんはというと、彼は複雑な諸事情が重なって、僕と同じく帰国せずにまだしばらくはジョージアに留まることを選択。

しばらくはホステルに滞在していましたが、それも段々難しくなってきていたようなので、それならこういう緊急時は仲間が手を差し伸べてあげなければということで、今は僕が借りているアパートに招待して、そこで2人で生活をしています。



最後に、ジョージアの状況をお話しします。

差別を抜きにして話すと、コロナ対策においては、ジョージア政府は常に先手先手の強固な対応を取っていて、その点について国民はかなり信頼をよせているようです。

例えば、隣のヨーロッパ諸国などに比べると、ジョージアでは感染者や死亡者がたとえ人口比率で考えたとしても相当少ないんですが(最近まで死亡者はずっと0だった)、

それでも早い段階から、国家非常事態宣言を発令し、感染が爆発している国並みの強い規制を敷きました。


具体的に紹介すると、

その非常事態宣言は3月21日に発令され、期間は今のところ4月21日まで。

制限は状況によって増えますが、現在の所は

・移動制限
空路を含む国境の厳重な規制
海外から及び海外への渡航は制限
海外からの航空機の直行便は運航停止
全ての公共交通機関(バス、地下鉄など)の運行停止
タクシーを含む乗用車での移動は可能(ただし、車内はドライバー1人と後部座席に2人まで)
・教育機関に対する制限
あらゆる教育機関での教育活動は中断
教育機関のスタッフもリモートワークを行い、教育活動や訓練、カンファレンス等も可能な限りリモートで行われる
・文化・スポーツイベントに対する制限
コンサート・演劇・展覧会等のあらゆる文化イベントは、屋内、屋外を問わず禁止(リモート開催を除く)
・経済活動の制限
食料品、生活必需品及び医療品等を扱う店舗以外の営業は制限
レストラン等はデリバリーでの営業のみ許可
クラブや映画館、ジム、サロンをはじめとしたエンターテイメント施設の営業も制限
・集会制限
公共の場における3人を超える人の集まりの禁止(客同士が2メートルの間隔を維持することができる食料品店及び薬局を除く)
・外出規制
午後9時から午前6時までの外出禁止
外出時における身分証明書の携行義務
70歳以上の市民は最寄りの食料品店、薬局又は病院に行く場合を除き外出禁止
・感染対策
自己隔離と隔離の規定がなされ、これらには法的な拘束力がある
違反した場合には行政罰及び刑罰が課せられる


ざっと、これだけの厳しい規制が敷かれています。


これだけの厳しい規制が、3月21日非常事態宣言として、まだ死者が0名、感染者も50名に満たない時点で発令され、

4月10日現在では、死者は3名、感染者は200名を超え、確実に増加はしてきていますが、今のところ特に目立ったパニックなどは起きていません。


僕とシカ男くんは、週に1回ほどだけ、入店の人数規制がかかったスーパーで、各自2mほど間隔を開けて入店許可を待ち、そこである程度まとめて買い出しをするぐらいで、

あとはすでに3週間近くずっと外出自粛の生活を続けています。

先の事は今は分かりません。


日本でもようやく非常事態宣言が出されたようですね。

その内容と発令タイミングがあまりにもこちらとはかけ離れていて、外から見ていると心配な部分が多いですが、

自分の都合で日本を出ている僕がどうのこうの言える立場でもないんで、今はじっと母国の様子を見守っています。



ただ、確実に分かっていることは、

この騒動は永遠に続くわけじゃなく、確実にいつか終わりを迎える

そして今僕たちは、時代の分かれ目に生きているんだ

ということ。


いつか絶対に、人類はこの時期を振り返り、歴史として精査する時代がやってきます。

その時に、今僕たちが取っている行動を、未来の自分たちはどういう目で見るんでしょうか。


今はそんなことを考えて、僕は未来の自分が恥じないような行動を意識したいと思っています。


僕が昔からずっと心に留めている大切な言葉があります。

「ノーレイン ノーレインボー」

雨が降らなければ、虹は出ない。

痛みを知っている人は、確実に強く優しくなれます。

僕は人類の未来を信じています。

辛いですが、みんなで今を乗り越えたいです。



すみません、感情に任せて文章を書いているうちに、少し話が飛躍してしまいましたが、

とにかく以上が僕のこの半年間のまとめです。


こんなに長い文章を最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました。

では、またツイッターで。


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?