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逆鏡ゆえの逞しさ

念願のメジャーデビューしたのに
ツアーから帰ってきたら事務所がなくなったのが前回までの話

今となっては
その後、順風満帆に進んだから、笑い話のように書いてますが
当時は、まぁ正直かなりきつかった(笑)

え!?そんなんある??
って感じだった

でもまぁ
それはそれで、そうなると色々助けてくれる方々もいらっしゃるわけで
とにかくLIVE HOUSE界隈の方々には非常によくしていただきました

バンドが背負った借金も
LIVE活動でなんとか返せた

それこそデビュー前と変わらず、毎月都内でLIVEやって
おかげさまで、ほぼソールドアウト状態だったので、そのあがりを返済にあて
みたいな日々
割と早くその辺はクリアになった

メーカー契約は、残ってたので毎月9万円は変わらず頂けておりましたので、バイトとそれで食いつなぐ、そんな感じ

とはいえ、軍資金としては充分だった

で、いつまでもメーカー預かりでいるわけにもいかないので、事務所を探す

それこそ、あんなとこやそんなとこまで
色々あたるも、いまいち感触よくなく
後に入ることになる事務所にも何度か面談するも断られた

でもねぇ
ほんとこの時、メーカーの担当者だけじゃなくて、あらゆる関係者が事務所あたってくれて
それこそ、ライターの方とかまで

ほんとにありがたかった


そうはしつつも、決まらず(笑)
この境遇の中
問題のアルバムが出来上がるわけです

と。その前に

シングルで先行できった「絶望の丘」
これがスペシャで割と流して頂けて
なんかちょっと、ビジュアル系とは違う空気感を出す事ができた

が、事務所決まらぬ苛々で、そんな事はどうでもいい(笑)

苛々したまま、アルバムづくりへと
船橋の小さな町スタで、曲作りに励む

hide &seekの時は、メジャーなったから広い空間も意識して、なんて口に出さずとも思ってアレンジしてたけど、
もうそんなの嘘(笑)
狭いスタジオで、まさにLIVE HOUSEを意識した曲作りを

で、できあがったpuppet show
むしろ、初期衝動、グランジ・オルタナ
得意っす!ってな感じで
圧倒的な支配感(笑)
誰にも負けないと思った

ぶっちゃけ、その当時のビジュアル系の人達になんか、負けるわけないと思ってた(あくまで個人的に笑)

なので、インタビューとかも尖りに尖って(笑)

まぁでも明らかに違うとこにいたんで、
その自信たるや
(事務所はないけど笑)

でもねぇ

そういうの作ると、周りがついてきてくれるんですよ♪
ある意味、確固たる位置を示す事ができて
ミュージシャン友達も増えた♪

あつかましくも
ミュージシャンズミュージシャンになれそうな気がした

で、このあと
何かが変わり始めるわけです

向こう側はしぶしぶでしたけどね(笑)

puppet showまわりの流れは興味あればこちらをご覧ください

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