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やさしい人は、きっと伝わる文章を書ける

最近よく社員に言っていることがあります。

それは「読まれる文章を書きたいなら、ブラウザの向こうにいる人を想像するといいよ」ということです。

こちらがツイートするとき、noteを公開するとき、ブラウザの向こう側の人は何をしていて、どういうことを考えているのか?

そこをいったん立ち止まって想像しましょう、と。

「仕事がイヤだなあ」と思っているかもしれない。「飲みに行きたいなー」と思っているかもしれない。親の介護で悩んでいるかもしれない。人間関係で悩んでいるかもしれない。お金のことで悩んでいるのかもしれない。キャリアで悩んでいるかもしれない……。

とにかくこれまでの人生で培った「想像力」を発揮すること。

ブラウザの向こうで相手が何を考えているのか? そして、そんな人たちにどういう言葉をかければ振り向いてくれるのか?

きちんとそこを考えることができれば、自然と伝わる文章、読まれる文章に近づいていくはずです。

ブラウザの向こうに自分がいたら?

意外と見落としなのが「自分なら読むのか?」「自分ならクリックするのか?」という視点です。

「自分は書く側だから読み手のことは知らないよ」という態度では、せっかく伝わるものも伝わりません。

ちょっとだけ想像してみるんです。

「そのタイトルとその内容がTwitterのタイムラインに流れてきたら、果たして自分はクリックするだろうか?」

「自分の人生の時間を使って、その記事を『読むに値するもの』と判断するだろうか?」

そうやってブラウザの向こう側にいる「自分」を想像してみる。ちゃんとその「自分」は読んでくれているだろうか? 自分すらクリックしないものを多くの人が読んでくれるなんてことは、なかなかありません。

なぜそこまで「向こう側」を想像しなければいけないのか? それは「ブラウザの向こう側」の人にとって、「こちらの事情」はまったく関係がないからです。

「こんなにがんばって書いたのに」「けっこういいことが書いてあるのに」「自信作なのに」「最後まで読んでもらえばわかるのに」

いくらこちらがそう思っていたとしても、ブラウザの向こう側では、いろんな人が忙しい毎日を送っています。たまにこちら側にも気づかってくれる素敵な方もいますが、そこだけに頼っていては読者は増えていきません。

読み手の気持ちを先回りする

ぼくはこうして文章を書いているときも「ブラウザの向こう側の人は、ここを読むときに、こう思うだろうな……」などと想像しています。そしてその気持ちを先回りして文を足したり引いたりしています。

たとえば「うーん、ここはきっとわかりにくいだろうな」と思ったら、

ここはわかりにくいと思うので、ていねいに説明します。

という文を入れる。

「ここは、しつこいと思うだろうな」と思ったら、

何度もしつこいな、と思うかもしれませんが、大切な部分なのでお許しください。

という文を入れる。

相手のことを想像して、先回りして対処する。

これを「あざとい」と見る人もいるかもしれませんが、ぼくは「気配り」だと思います。

最近は「繊細さん」が話題になっていたりしますが、繊細な人、気にしすぎる人、やさしい人は、相手のことを想像できる人です。

そういう人は、きっと伝わるいい文章を書けるのではないかなと思います。

書くときは体重を乗せて書く

一方で、ちょっと矛盾することを言うようですが、相手のことを気づかいすぎて、勢いがなくなってしまうのももったいないことです。

あらゆるところに配慮しすぎて「うすーい、それっぽいもの」になってしまっては読んでいる人に刺さりません。

ではどうすればいいのか?

対処法としては、ぼくがよく提唱する「作家と編集者を一人二役でやる」ということです。

「作家」のときは感情をこめて自由に書いていいんです。まずは思いのままに文章を書き上げる。

ある編集者は「文章を肘から先で書くな」という表現をしていました。書く段階からブラウザの向こうを意識しすぎると、頭で考えてしまってついつい「肘の先で」書いてしまいがちです。そうではなく、まずは心で書く。自分の体全体を使って書く。体重をのせて書く。

作家として書くときは、むしろそこが大切です。

そのあと編集者になったら、読者のことを考え、ブラウザの向こうの人を考えます。「これで伝わるだろうか?」「これで振り向いてくれるだろうか?」と想像しながら、タイトルや構成を考えていくわけです。

想像力があれば炎上はしない

ブラウザの向こう側の人をきちんと考えられると、変な炎上はしないはずです。

たいてい炎上というのは、仲間うちだけに見せようと思って投稿したものが広がってしまったとか、意図しない人に届いてしまって傷つけてしまったというときに起きます。

インターネットでは、ふだん会わないような人にも届く可能性があります。必要以上に怖がる必要もないのですが、ある程度の想像力はやはり必要なのだと思います。

特に今はみんなつらい状況です。特に医療関係の方などは、大変な思いをされている。なので、たとえ多くの人に読んでもらいたいなと思うときでも、あらゆる状況の人が読む可能性があるということを想定しておくことです。

ぼくはそのあたりの表現は気をつけているつもりです。

先日「お金持ちは楽しくお金を稼いでいる」という内容の話を書きました。これもいろんな人が読むだろうと思ったので、なるべくこちらの意図が伝わるように丁寧に書いたつもりです。

たとえば、「楽しく稼ぐというのは、ラクして稼ぐということではなく、意義を持って働くことだ」という書き方をしました。もしこれが「ただ楽しく稼げばお金持ちになるよ〜」といった雑な書き方だったら、不愉快に思う人が出てきたかもしれません。

当然インターネット上の文章というのは、見知らぬ人が読みます。意図しないところに届いてしまったりもします。

よって、本当に誰一人傷つけないというのは難しいのかもしれません。

ただ、なるべく傷つけないように書く。そう願いながら書く。ブラウザの向こうの人を最大限に想像しながら書く。その姿勢が大切なのではないかなと思うんです。

その姿勢が、ひいては伝わる文章、読まれる文章、いい文章につながるのだと思います。

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