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「書く」という言葉の罪

「書く」という言葉の範囲が広すぎる問題

ぼくも含めていろんな人が「書く」ということについて、いろんなことを言っています。文章術とか「書く」をテーマにした本はたくさん出ています。

最近はリモートワークが増えているせいで、文字でのコミュニケーションも増えています。だから、より「書く」というものに光が当たるのでしょう。

「文章」とか「書く」ということについて語るとき、ややこしくしているのが、この「書く」という言葉なんじゃないかと思ったんですね。

「書く」というのは本当にあらゆる場面で使われます。

日記を書くときも、ツイートを書くときも、履歴書を書くときも、資料を書くときも、メモを書くときも、ぜんぶ「書く」という言葉を使います。手を動かして文字を記すことをすべて「書く」というわけですが、この「書く」が示す範囲が広すぎることが、混乱の原因なのではないか。

それぞれの場面に応じて、目的や書き方も変わってくるはずです。なのにぜんぶを「書く」という言葉で表そうとするからややこしいんだよなーと思ったのです。

「話す」には相手がいる。では「書く」には?

「書く」に似た言葉に「話す」という言葉があります。

「話す」という言葉も、電話で話す、ZOOMで話す、直接話すなど、いろいろな場面があります。ただそこには共通点があります。

それは、かならず「相手」がいるということです。

たいていは、音声を発して相手に伝えることを「話す」と言います。あまり「ひとりごとを言う」ことを「話す」とは言いません。

「話す」と「書く」は似たような概念に思えます。「口を動かすか、手を動かすか」くらいの違いに見える。

でも、「話す」という言葉を使うときは、9割以上は相手がいることを想定しています。一方で「書く」という言葉を使うときは、相手がいることを想定していない場合がある。もしくは相手がいるはずなのに忘れてしまっていることもあります。

何が言いたいかというと、「書く」という言葉を使うときも、その場に相手がいなくても、たいていは伝える「相手」がいる。そこを忘れてはいけないんじゃないか、ということです。

「書く」のではなく、「伝える」

だからこそぼくは『書くのがしんどい』という拙著の冒頭に「書くな、伝えろ」というメッセージを入れたわけです。

おそらくこのSNS時代で「書く」と言ったときには「届ける先」があるはずです。たいていは「相手」がいて、その人に「伝える」ために書くということがほとんどだと思います。

日記や自分用のメモではない限り、相手はいる。だから「書く」のではなく「伝える」意識が大切なのだと思うのです。

さらに話を進めると「伝える」という意識でもまだ弱いのかもしれません。というのも「伝える」というのは「自分」が主体だからです。自分の言いたいこと、自分の思いを伝える、ということを意味するからです。

「伝える」というのは、相手のことを見ているようでまだ見ていません。

結局、自分が言いたいことを言っているだけ。なので、相手に「伝わって」いるかどうかはまた別の話になるわけです。

「伝える」のではなく、「伝わる」

いま編集しているプレゼンの本の原稿に「伝えるから伝わるへ」というフレーズが出てきます。(クリエイティブディレクターの小西利行さんの本で、春に発売予定です。また告知します。)

ただ一方的に自分の言いたいことを「伝える」のではなくて、相手がちゃんと受け取れるように、つまり「伝わる」ように言葉を発する必要があるという意味です。

自分目線で「伝える」のではなく、相手目線で「伝わる」ことが大切。

最近、経営者やマーケターの方と話す機会が多いのですが、みなさん口を揃えて言うのが「相手目線で考えましょう」「相手がしてほしいことをしましょう」ということです。

それがきっとビジネスの本質であり基本だからだと思いますが、いつまでたっても言われ続けているということは、多くの人はなかなかそれができていないということを示しているのでしょう。

自分が言いたいことを言う。自分のことばかり考えて振る舞う。それなら誰だってできます。ちょっと気を緩めると、ぼくもそうなりがちです。

なので、書く場面に限らず、あらゆる場面で「相手は何を聞きたいのか?」「相手はいま何を求めているのか?」を考える必要があるのでしょう。

すごくあたりまえのことですが、このあたりまえができていない人が多いのだと思います。

というわけで、今日は「書く」のではなく、「伝える」。「伝える」のではなく「伝わる」ことが大切、という話を書きました。この文章が伝わっているといいな、と思います。

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