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1日24時間、朝から夜までを同じ役割で過ごすことはあるでしょうか?

おそらく誰にも会わず、社会との接点を一切もたない限りはそんなことって在り得ないように思ったりします

朝起きたときは、ただの私
次の瞬間、起きてきた子どもと「おはよう」を交わした瞬間、すでに親になっている
そして、気が付けばパートナーとして会話をしていると思えば
会社からのメールをチェックするときは仕事上の役割を担っている
SNSをひらけばアカウント名の自分になり、
昼ごはんを食べに定食屋に入ったら今度はお客さんだ
そして、電車で移動しながら乗客になり、帰宅するとまた私に戻る
おっと、今日はごみステーションの掃除担当だった!自治会役員も大変だなぁ
・・・・

そんな暮らしの中で、「あなたは何者ですか?」と問われても
簡単に答えられるものではないはずだ

その瞬間瞬間で私の役割は異なります

ところが、我々は自らを説明する際に、おおむね社会的に妥当な所属や属性を述べることが多いようです

そうでなければならないなんていう事はないのにも関わらず

無所属、であったり未だ何物でもないということはイケナイこと、
マイナス思考になったり恥を感じたり、恐怖だったりしてしまう

常に「ナニモノカ」でなければならないという、もはや呪いに近い感覚
”正”社員なんていう変な言葉もありますから・・・

まずもって、そんな必要はあるだろうか
今ここをただ生きている、のであって
さぁて何者か?なんて言われましても―
いつ・どこで・誰と・何を しているかによって様々、色々ですからね
という自己紹介があってもいいはずなのに

固定の役割、ポジション、名前の付くもの がなければイケナイなんて概念にとらわれる必要もないのではないかなーと 無責任に思います

てことで適当に行きましょう(生きましょう)
あきらめても、試合終了にはなりませんから

気が付けば新しいゲームが始めるだけですからね
私が何者か?それは、あなたが求めることによって変わりますから

宙ぶらりんはダメじゃない むしろ今の時代に求められていることは
どちらつかずの状態でストレスなく過ごせること
中途半端で居心地よくいられるスキルこそ鍛えなければいけないかも知れませんよ

人生相談ですか?はい、まあ、たぶん得意ですよ お話伺いましょうか?
あ、私はキャリアコンサルタントの・・・

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