改めて「死ぬこと」を考える
ちょっと深刻なタイトルなんですが、今年の目標を掲げていて、その1つが「終活ノートを書く」なんです。
もう6月なのに全くやっていないな、と思っていたら娘が少し悲しそうな顔をして「去年の冬にボランティアで私たちハーフの子供たちに勉強を教えてくれていた23歳のお姉さんが昨日交通事故で亡くなったって連絡があったと言いました。
クラスで意気投合して、娘がせがんで恋バナを聞かせてもらった時、この春から遠距離恋愛で、東京の彼の所へ結婚を前提に引っ越しするって話を聞かせてもらったそうです。ご冥福をお祈りしたいと思います。
普段は全く意識しない「死」は突然訪れる事が多いですね。だからこそしっかり意識しないといけないとあたらめて感じたので今日は考えてみます。
1. 死は人生を変えるきっかけになると知っておく
私がサラリーマンを辞めて、フィリピンへ行こうと思ったきっかけは「阪神大震災」で沢山の人があっさり死んでしまった事のショックからでした。
3件隣の家で赤ちゃんとお婆さんが亡くなり、何も出来ないで家の下敷きになったまま過ごさないといけなかった夫婦の姿を見て本当に頭が真っ白で何も言えませんでした。
色々考えてたどり着いた答えが「人はいつ死ぬか分からないから、やりたい事を先延ばしにしない」でした。
さほど付き合いも無かった「他人の死」でも人生を変える事は出来るのです。
2. 死を滅多に起こらない、日常だと考える
フィリピンの家族は3世代同居も多くて、平均寿命も70歳台なので、小さな子供の時に祖父母の死に向き合う時があります。
そのことは悪くないと思います。早い年代で死を意識するチャンスが訪れるからです。
そして、時間が平等に人々に与えられているのと同じように、必ず人は死にます。理不尽な死もありますが、平等な100%と言う確率で死ぬから避けようのない事です。
であれば死は非日常ではなくて日常ですよね。時期が分からないだけです。
特別な事でないと思う事で、平常時に気負わず考える事が出来るし、必要じゃないでしょうか?
何しろいつ死ぬか分からないのですから、時間がある時に考えようじゃ遅くて準備が出来ません。
3. 死は残された人の為のもの
悲しい死ですが、本人は無念があっても死んでしまえば何も出来ない事になります。
昨日耳学ラジオのKYOKO先生もこのテーマで配信していて、死を間近にした人は悔いる事を挙げていて
健康を大切にしなかった事
仕事ばかりしていた事
行きたい場所に行かなかった事
愛する人に「ありがとう」言えなかった事
でした。これは当人にはもう改善出来ない事なので、
せめて貴方はこんな後悔をしない様にやりなさいよ!
と言うメッセージに捉える事が出来ます。
スティーブジョブスもアップルで成功した事を
「終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう」
と悔いて
「私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。」とも語ってます。
他人への愛を大切にする。生きてる時も死を前にしても。
お姉さんに何かしてあげたい、と悩んでいた娘に相談されて、「お姉さんへの感謝と想い」を手紙に書いてお葬式に持っていってもらうよう提案しました。
ご両親が目にすれば苦しいかもしれないけど、娘はこれほど愛されたと知り、娘が周りに残してくれたものを感じてくれるかもしれません。意味のある人生だったと実感してもらえたらいいなと思いました。
私もこれから向き合う両親や自分の死を有意義なものに変えれる様に日々過ごしていきたいです。
KYOKO先生 耳学ラジオ
#216 【チェックリスト】死ぬときに後悔すること
音声配信の内容を文字お越しして要約しました。
良ければ音声配信もお聞きください
合わせて聞いて欲しい過去放送
1月11日配信
あの日から全てが始まりました
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