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我々はコーディに何を期待したのか?(レッスルマニアXL番外編)

レッスルマニアXLが終わった。前記事にも書いたがこの2日間はDAY1が『ヴィンスサーガ』のヴィンス不在での卒業式であり、DAY2はまだ名前のない新サーガを翌年に控えたプロローグに感じた。40年という長い歴史に一区切りをつける大会なのだから本当に『長い長い夜』だった。
思えば今年はWWEネットワークの日本向けPLEサービスが終了し、独占契約を引き継いだAbemaで観る初めてのレッスルマニアとなった。
その幕開けは年初PLEロイヤルランブルでの史上4人目となるコーディ・ローズの2連覇だった。レッスルマニア40年の歴史には不思議なサイクルがあり10年に一度ヴィンスのやり方にファンが自然発生的に反乱の意思を示すムーブメントをコーディの言葉にならってここ数か月『X』の『物語』として語ってきた。しかし前述のようにヴィンス不在の中でそれは祭典が近づくにつれ違和感へと変わった。この記事ではレッスルマニアXL番外編として改めてコーディ・ローズ(現象)とは何だったかを考えてみたい。

コーディ・ローズ自身(或いはプロデュースとして)の語る『物語』とは偉大なる父『アメリカンドリーム』ダスティ・ローデス(※呼称は歴史尊重)
が果たせなかったレッスルマニア(=スーパーボウル規模のイベント)のメイン戦で王者になる事(=この業界の頂点)であり彼の異名になぞって『アメリカンナイトメアドリーム』と呼ばれる何かであった。
水を差す気は全く無いが今回それが果たされたか?については半分Yesで半分Noというのが正直な感想である。ECWオマージュの演出はショーの演出として大興奮であったがそれが前述の夢の実現の完遂かと言えば。。。これは何度も観てきた(例えば1997スターケイドでのnWoホーガンを破ったスティング)訳ありエンディング感は否めない。但しコーディにとってそれが必ずしもマイナスだったか?も微妙である。

父が果たせなかった夢を息子に託すという『物語』はそれこそ日本では古くは『巨人の星』等を代表に、また同じ梶原一騎氏原作の『プロレススーパースター列伝』でもザ・ファンクスの章でも語られてきた定番でもある。
奇しくもコーディの『物語』と同時期に公開されたプロレス映画『アイアンクロー』ではその過酷すぎるエリック家の宿命を描いた裏の『物語』として是非とも比較して見て頂きたい今春注目の作品である。ロック様が『ママローズの失敗』と揶揄していた通りコーディにも年の離れた兄がいる。
ダスティン・ローデスはエリック家の時代に少し遅れるも周囲から同じプレッシャーをかけられた悲劇のレスラーであったが、彼の選択した道は親父と真逆な性転換キャラ『金色のゴミくず』ゴールダストへの変身であり偉大な父親の呪縛から解放された彼は稀代のタッグマッチサイコロジーの名手としてプロレス史に名を残す存在となった。

実はプロレスに限らずエンタメ界でも『2世』の苦悩を見せられてきた。
その最たる例が『スターウォーズ』EP7以降のカイロ・レンであり、EP7ではあれ程瑞々しく新時代を魅せてくれたレイさんまでもが名家の『3世』キャラを預かった途端に色褪せてゆく存在にガッカリもしてきた。
『アイアンクロー』の時代から40年近く経て紆余曲折しながらも。。。プロレス界ではリック・フレアーの実娘シャーロッテ・フレアーとそのライバル『アメリカンドリーム』ダスティ・ローデスの息子コーディ・ローズが偉大なる父の存在に圧し潰されずに存在感を示している事は実に凄い事なのだと思い知らされる。余談だが『新劇の巨人』のヒストリア・レイスがハーリーの娘だったらシャーロッテの良いライバルになっただろうか(苦笑)。

前記事でレッスルマニアXL2日目のメインを『アヴェンジャーズ』の最新作みたいに感じたと語ったが、実際本家MCU『マルチバースサーガ』へのもどかしさに対する何かがそこにはあったと思う。もちろんそこには『ピースメイカー』を演じたジョン・シーナの加勢も大きな要素ではあったが、私はコーディにWWEユニバースが期待した何か?こそがその本質と思う。
偉大なる父親が果たせなかった夢を叶える2世レスラーとしての期待がコーディ・ローズに我々が期待した第1階層とすれば、更に深層部分として『アメリカンヒーロー』に相応しいルックスが第2階層の期待と思える。

世間では2023年『マルチバース疲れ』という言葉に象徴されるアメコミ(或いはディズニー)離れが始まりつつある。しかし本来は『ポリコレ疲れ』が本音と言えよう。もちろんこれは多様性を否定する意図では無い。あくまで私見だが私は多様性とは尊重するものであり、エンタメで言えばそれは様々な国や文化で創作されたものに敬意を示す事だと思っている。簡単に言えば『愛の不時着』はイ・ヒョンジュクに感情移入したいし、『三体』は中国人の羅輯や程心に主役であって欲しい。レッスルマニアは今や全世界に向けたグローバルイベントではあるがオープニングでは必ずアメリカ国家が歌われるアメリカのエンターテイメントである。『アヴェンジャーズ・エンドゲーム』以来の『アメリカンヒーロー』としてコーディは今すぐにでも次世代『アヴェンジャーズ』のリーダーになっても欲しい!と今日の入場を観て思ったのは私だけでは無いだろうか?奥様ブランディさんも実に良かった。

そして最後に第3階層にして深層心理の核心についてまとめたい。
これまで2階層はそれこそ『スターウォーズ』や『アヴェンジャーズ』というあくまでエンタメ世界で語れる範囲での渇望であり欲求の話であった。
しかし2024年という年はこれから半年後にアメリカ。。。否結局は世界全体を左右する一大イベントが待ち構えている年でもある。そうなのである!
彼ら=アメリカ国民は半年後には。。。またトランプかバイデンのいづれかを自らの国の大統領として選ばなければならないのである。
共和党か?民主党か?右か?左か?等と言う政治思想的な信念について私は語れるほどの知識も無いしまたそういう事を語りたいわけではない。
要は問題はお二人が高年齢である事に尽きる。8年ぶりに復帰したロック様ですら51歳という事実がこの異様な8年を示している。

我々はコーディにある時はカイロ・レンやスティーブ・ロジャースの姿を重ねながら漠然と今世紀になり待ち続けながらも現れる事無い『JFK』的な何か?も1年後を見据えて無意識に想像していたのでは無いかと思える。
『X』の『物語』とはヴィンス・マクマーンの独裁体制に対するファン=観衆のレジスタンスであったが、コーディに我々が期待した『物語』とはエンタメでもリアルでも感じる閉塞感への民衆のレジスタンスでもあったのだ。
そしてコーディの語る『物語』が達成されたかについて私が半々と捉えたのは『アヴェンジャーズ』として世界を救ったのだが、個人としてサノス≓ロック様を倒したか?或いは倒せとか?への疑問でもある。但し21世紀の今求められるのは個人としての力量なのか?チームを引き入れる(或いは慕われる)力量なのか?についての確信できる回答が無いのも事実である。

いよいよ締めに入りたい。前記事でWWE王者はワンピースになぞって『四皇』時代から再び『七武海』から覇を競う戦国状態になったと語った。
私はイヨ・スカイ(紫雷イオ)に『バギー』では無く『ルフィ』である事を証明して欲しいと期待したが今回は相手の問題でそれは叶わなかった。
そうなるとやはり現時点で『ルフィ』は新WWE統一ユニバーサル王者になったコーディがふさわしい。実際に彼は『D(usty)』を継ぐ者である。
しかしレッスルマニア41のメインでコーディvsロックを観たいか?と問われれば No!である。コーディ・ローズとは2024年に預言された救世主ではあるが新サーガの『A(エース)』では無い気がする。
但し2024年はまだコーディの時代である。まだまだ彼の活躍に期待したい!

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