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死者復活の根拠と必要性



昨日、前回の記事にこの様なコメントを書かれました。


「死者復活はない。肉体を伴って3次元から5次元へ移行するだけだ」

そもそも、この方は5次元世界というものを本当に理解していないし、根拠も何もない聖書すら読んでいない、ただの勉強不足な輩だと思ってしまったのですが苦笑

当ブログを根本から何の根拠もなしに否定されたので、当然いい気分はしません。

それと同時に僕のブログの説明不足なのかと落胆しましたが、これもいい機会だと思い「死者復活」を信じる事がどうしてもできない方向けに今回はできるだけ客観的な根拠や今後の「5次元世界」で死者復活が必要な理由を書いていこうと思います。

それでは、まず死者復活に関する根拠を書いていこうと思います。

1.聖書
2.実際に、古代エジプトで蘇生が行われていた
3.蘇生を匂わせるデクラス(情報開示)が行われている
4.宇宙テクノロジーの存在


1.聖書

聖書での最も重要な聖句が、キリストが磔刑で亡くなる事、そして復活される事です。

       



コリントの信徒への手紙一、15章35-52節


 35 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。

36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。

37 あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。

38 神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。

39 どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。

40 また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。

41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。

42 死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、

43 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。

44 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。

45 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。

46 最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。

47 最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。

48 土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。

49 わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

50 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。

51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。

52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。


コリントの信徒への手紙一の15章は、「死人の復活」について論じています。

コリントの教会の人々の中に、<死人の復活について疑問をもち、それを否定する人々がいたからです。

死人の復活ということは信じがたいことだったのです。

 これを聞き知ったパウロは、この手紙の中で、もっとも重要なこととしてこの問題をとりあげました。

問題は「死人の復活」についてでしたが、パウロはまず、それを解決する根本問題として、「キリストの復活」から説きおこしました。

 パウロは最も大事なこととして伝えた福音は、キリストが聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、三日目に復活したこと、ペトロに現れ、その後十二人に現れ、主の兄弟ヤコブに現れ、最後に自分にも現れたと語りました。パウロ自身は、直接の弟子ではなく、復活して天に上げられたイエスの声を聞いて、弟子となったのです。

 キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、キリストを信じて死んだ死者の復活などはない、と否定するならば、キリストも復活しなかったはずです、とパウロは言います。

キリストの十字架も、キリストの復活も「わたしたちのため」でした。「わたしたち」キリスト者の死からの復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。

キリストの十字架の死は、僕達の罪の贖いのためであり、僕達の罪のからだがキリストと共に死ぬことにあります。

キリストの復活は、わたしたちをも復活させ、罪と死の支配から解放し、神の子とし、神に生きる者とするためなのです。

キリストは「死者の中から最初に復活」(使徒言行録26章23節)した方なのです。キリスト者の死からの復活がなければ、<宣教>も<信仰>も<生活>もむなしいものとなり、キリスト者は哀れな存在になる、とパウロは言います。

 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

最初にキリスト、次いでキリストが再臨されるときキリストに属している人たち、次いで、世の終わりがきます。

すべてが神の支配下におかれ、神の国(5次元世界)となるのです。

その最後の敵として滅ぼされるのが死です。

 コリントの教会の人々の疑問は、わたしたちが復活する時は、「どんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」ということでした。

パウロはこの問に対し、「愚かな人だ」と答えます。

この愚かさは、単なる知性や知識の不足からくる愚かさではなく、神を知らないための愚かさを意味します。

不信仰の愚かさです。

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。

あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。

神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。」

パウロは麦のような植物の生成の事実を指摘します。

蒔かれた種と、そこから育った植物との関係を、死から生への転換と見るのです。

そこに有機的関連を見ることをせず、神の創造的行為を見るのです。「ただの種粒」という表現は、「裸の種粒(a bare seed)」と訳すべきもので、実際の種について言っているより、すでに、人間の姿を思い描いているものと思われます。コリント人への第二の手紙5章3節にある「それを着たなら、裸のままでいないことになろう」という、うめきのような嘆きを思い起さないわけにはいかないことばなのです。

この裸の種粒から、「生かされた」からだが生まれるのです。

死すべき裸の種も、生かされたからだも、わたし自身であることは言うまでもありません。

神は、御心のままに、一つ一つの種にそれぞれ体を与えるのです。

神の積極的創造行為の特質は、四組の対立的表現で示されます。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。

つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。

「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。

パウロは、ここにもうひとりの人間の原型になったキリストを、「最後のアダム」と呼びます。

決定的意味を持つ人間としてのイエスです。

最初のアダムは、「命を与える霊」ではないのです。

命を与えられた肉にとどまります。

それに対して、「最後のアダムは命を与える霊となった」のです。

最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。

わたしたちは、土からできたその人(アダム)の似姿になっているように、天に属するその人(キリスト)に似姿にもなるのです。

ただはっきりしていることは、「肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」とパウロは結論づけます。

復活ということは、いかなる意味でも地上の生活の延長ではありません。

この世の存在は、神が直接支配する来るべき時代(5次元世界)をそのまま継続していくことは出来ません。

 パウロは、終末の神秘を告げます。

「わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。

わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられ」るのです。

死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。復活において個々のキリスト者はそれぞれに自分でありつつ、新しい創造へと造り変えられるのです。

これが神の定めであることが、イザヤ書25・8とホセア書13・14の聖書の証言によって基礎づけられます。

「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

パウロは、「死のとげは罪であり、罪の力は律法です」言います。

問題は、「罪の価」としての死であり、まさに「とげ」となる死です。

それは罪がゆるされていない場合です。

ゆるされる時、死は「とげ」でなくなります。

「とげは死にあるのではなく、罪にある」のです。

律法に生きることによって人は罪の支配下におかれてしまいます。

律法によって罪が力を得るのです。肉の思いに従う者は神の律法に従うことができません。

しかし、キリストにあって、霊に従って歩むわたしたちの内に律法の要求が満たされるのです(ローマ8・1-11)。

主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を与えてくださった神に感謝しましょう。

この「勝利」は罪に結びついた死の克服であり、死に結びついた罪の赦しであり、それはキリストの十字架の贖いと復活によって賜った勝利です。

死がすべての終わりではなく、わたしたちは死をおそれず、死におびやかされず、この世を勝利者として生きてゆくことができるのです。

 だから、どんな時も、落ち着いて動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい、とパウロはこの章を終えるにあたって勧めます。

<主の業>とは主御自身がなさる愛のわざにあずかり、励むことを意味します。

愛のない人生は無です。

主に結ばれていることが何よりも大事なことです。

「主にあって」なされる自分たちの苦労は決して無駄にならない、と結んでいます。

聖書を否定するという事は、トランプ大統領、Qプラン、23億人いると言われているクリスチャンの人生を全て否定するという事と同義なのです。


トランプ大統領は、エイブラハム・リンカーンが所有していた旧約聖書と大統領のお母様からプレゼントされた聖書を今でも大切にされているそうです。


冒頭にも書きましたけど、「イエスの磔刑」と「復活」は聖書で最も重要な聖句です。


僕が聖書を信じられるのも、トランプ大統領が「聖書」を信じQプランも聖書通りに行われているからです。



2.実際に、古代エジプトで蘇生が行われていた


こちらの動画の5:15秒からエジプトのピラミッドの内部では、蘇生の儀式が行われていたというテレビ東京「やりすぎ都市伝説」の内容が考察されているのですが、そもそもピラミッドとは宇宙との交信の場所や魂の捕獲の為に作られていた場所であるとも「エイリアンインタビュー」に明記されており、蘇生に関係していた事は間違いないのではないでしょうか。


それ以外にも今回の「やりすぎ都市伝説」SPの内容は宇宙人やマクロチップを関氏が埋め込んだりと、現在の我々に密接に関係してくる問題を取り上げています。
もちろん、ディープステート側のプロパガンダだった事は間違いないのですが。


3.蘇生を匂わせるデクラス

こちらの記事にも書かせていただいているのですが、ドラマ、映画、聖書、小説、YouTube動画、漫画でも蘇生や死者復活を匂わせるデクラスが散りばめられています。


特におすすめなのが聖書、そしてドラマでは「100万回言えばよかった」ですね。今年1月期で話題になったドラマです。

こちらのドラマはデクラス満載だったのですが、「死後の世界、魂、憑依、プチエンジェル事件、小児性愛、そして死者復活(肉体を伴った)」が開示されているドラマでした。


原作も漫画や小説ではなく脚本家のオリジナルだったという事もあり、ホワイトハットにロンメル死を条件に書かされたのは間違いないでしょう。

ここからはネタバレとなってしまうのですが、最終回前のエピソードでは、悠依(井上真央)がベッドから起きると成仏したはずの直木が朝食を作っているというシーンなのですが、肉体を伴って復活…どこかで聞いたことが…
そうです、キリストの復活なんですよね。


ここで「復活」のデクラスが行われているんです。


僕の推察だと、EBS後に遺骨や写真を持って人々が身内の復活する為のテクノロジーに列を作るとは死者の数が多すぎるので考えにくく、既に「復活」は行われていて、アガルタや他の場所で時が来るのを待っているんじゃないかと思っています。


時が来るとは「EBS」の事ですね。


ここは完全に僕の推察なので、「ありえない」と思われる方はスルーしてください。

詳しくは、「復活」「死者蘇生」に関しては考察を色々と書いておりますので、他記事をご覧ください。


4.宇宙テクノロジーの存在


こちらの記事を見ていただければお分かり頂けると思いますが、これまでの僕らの便利な日常のテクノロジーでさえ「宇宙人からの贈り物」なんです。


10日の「やりすぎ都市伝説」でもピラミッドの壁画にUFOやグレイらしきものが存在していた事が描かれてあった事が放送されています。


しかも放送当時は13年前。


ちなみにキリスト教の宗教画にもイエスやマリアがUFOに乗船している様が描かれています。


宗教画


5次元世界とは「あなたが想像する事が実現する社会」となります。
その想像が良くても悪くてもです。

聖書の「終わりのとき」はイルミナティ(ルシファー)の支配する世界の終わりと言われています。


聖書での「神の世界」こそ5次元世界なんですね。

おそらくEBSで様々なことが開示されると思います。

抗がん剤によるジェノサイド、ワクチンによるジェノサイド、アドレノクロム、ペドフィリア、日本の象徴が背乗りされていた事、人工大震災の死者、世界大戦という名のジェノサイド、これらによる死者の総数は日本だけでも数千万人はいくでしょう。
新時代に
これら全てを開示して、「死者は生き返りません。残念でした。諦めてください」とアライアンスから公式に発表されたとします。


いくら大人しいと言われている日本国民でも暴動が起こりますし、この様な発言をしているトランプ大統領にも不信感しかありませんよね。


トランプ大統領は「ワープスピード作戦」と称してワクチン接種の時期を大幅に早めました。

ディープステートの計画だと3年のロックダウン後にワクチン接種を行うはずだったそうですが、トランプ大統領にも接種者の死に関する責任は当然ありますよ。


特に日本人では、take the vaccineとshot the vaccineの違いなど英語ができる限られた人間しか知る事はできません。

お年寄りや病院に勤めていた方々は任意ではなく、強制だったと聞いています。


「仕方ない。ごめん」だけでは許されないと思います。


3年前にメドベッドを公開できないとわかっていたのに匂わせるツイートを行ったり、普段からコメディチックな動画で覚醒者を笑わせるユーモアや余裕も「復活」がある事を前提に動いているとしか思えません。


「復活」がなければ、ただのバカかサイコパスです。


そもそも彼はイルミナティの300超えのIQ集団に圧勝する程の5次元チェスの名手です。
僕らの常識で考える方が間違っていると思いませんか?

聖書、トランプさんを信じる事ができないのであれば、それは仕方のない事です。

EBS後にショックを受けてください笑

それでは、今回はここまで。
ありがとうございました。


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