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住宅産業論ノート

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住宅産業やハウスメーカー、プレハブ住宅に関する過去・現在・未来を通して、これからの住まいを考える試みです。
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#ミサワホーム

フリーサイズからホームコアへ|住宅産業界の異端児・ミサワホームの1960年代

1960年代。戦後の深刻な住宅難が依然と続くなか、この頃になると大和ハウス工業や積水化学工業…

住宅産業論ノート|ハウスメーカーと戦後日本の家づくり文化 はじめに&目次

noteのマガジン「住宅産業論ノート」とその他のマガジンにも書き散らしていた文章たちのうち、…

ミサワホーム(バック・トゥ・ザ・)フューチャーホーム2001

1987年、森高千里が歌手デビューした5月、東京・晴海で開催された国際居住博覧会にヘンタイ感…

カレーうどんのような住宅を|ミサワホームGOMASシリーズ

院生時代、いろいろ気にかけて下さったK先生は鉄骨構造がご専門。ちょくちょく研究室に暇つぶ…

ミサワホームO型|オイルショックと三澤千代治が開けたパンドラの箱

「企画住宅」って言葉をご存じでしょうか。 音が同じで紛らわしいのが「規格住宅」。「企画」…

ミサワホーム「フリーサイズ」のなにが西山夘三を苛立たせたのか

有名なスケッチ魔でもあった建築学者・西山夘三(1911-1994)が描いた一枚のイラスト。風変わ…

ミサワホーム LIMITED 25の「衝撃」

坪25万がもたらした衝撃デフレ不況真っ只中の2001年7月、業界の常識を覆す超低価格量産工業化住宅「LIMITED 25」(図1)が発売されました。発売元は大手ハウスメーカー・ミサワホーム。「LIMITED 25」がもたらしたいくつかの「衝撃」について書いてみたいと思います。 図1 LIMITED 25 (2001) 超低価格といわれる「LIMITED 25」。相場のおおよそ半値で大手ハウスメーカーの家が建つということで一般・業界双方へ「衝撃」を与えたシロモノ。それと同時

ミサワホームの破天荒を可能にした二人の男|専務・山本幸男と社長・三澤千代治

1985年8月12日 御巣鷹山『はなしの種:住まいと生活について』という本があります。 それは…