あの家もやっとうだつが上がった|民法学者・中川善之助の「うだつ」を読む
出世しないとか、お金に恵まれないなどの境遇を指して用いる慣用句「うだつが上がらない」。よく徳島県美馬市や岐阜県美濃市の古い街並みなどで有名な「卯建」を説明する際に言及されたりします。でも実際のところ、この「うだつが上がらない」で引き合いにだされる「うだつ」が何を指しているのかは諸説があるのだそう。
「うだつくん」的な防火壁&ステータスシンボルとしての「卯建」のほかにも、「梲(うだつ)が上がる」という言葉が「棟上げ」を意味することから、転じて「志を得る」意味になったとか、梁の上に立っている「梲」が上から押さえつけられている姿にみえることから転じて…などなど諸説乱立。ただ、なんだかどの説もチコちゃんなみにあまりしっくりこないなぁ、と思っていました。
わけあって近代家族についてお勉強中で、たまたま開いた中川善之助『随想 家』(河出書房、1942年)に、その名も「うだつ」と題した小文が収録されていました(初出は「法学サロン」1938年6月1日号)。国会図書館デジコレでも閲覧できます。
民法学者としての活躍と並行して、エッセイストとしても卓越した才能を示した中川。たとえば、この『随想 家』も「『家』に関して私の書き散らした、ここ数年間の小品」と評しつつも、どれも珠玉の文章がおさめられています。その魅力は目次のワーディングからもうかがえます。
そんな民法学者・中川善之助(1897-1975)は、戦前に諏訪地方の末子相続を調べるために、徳川時代の「家数改め」(戸数調査)をひたすらめくる調査を行ったのだそう。そこには各部落の家の数、規模、そして構造などが記録されており、その記載をしげしげと眺めていてあることに気づきます。
当時の建物は今日に比べると甚だ貧弱で、まず二階建は一つの部落に1~2戸ほどしかない。ほとんどの家が平屋建てで、しかも床が張られた家=「板敷屋」は高級な部類に属する。多くは「半分板敷屋」だとか「平屋土間」が占めるのが実態でした。
そんななか、どこの部落でも必ずでてくるのが「うだつ屋」という名称。「板敷屋」や「平屋土間」はともかく「うだつ屋」とはなんだろうか。中川は疑問に思います。試しに「うだつ屋」とはなにか土地の人に聞いてみると、それは掘建小屋のことだと言う。
中川氏はあれこれ思案した挙句、一つの可能性をひらめきます。「うだつとはつまり鴨居の上に立つ柱をいふ」とすれば、そもそも、うだつのない家はない。しかし、うだつ「だけ」しかない家はある。それはつまり「鴨居も敷居もない家といふことになり、結局掘建小屋のことになるのではなかろうか」と。
はたして民法学者・中川善之助の推論が当たっているのかどうか。それはわかりません。美馬や美濃にいまもみられるあの「卯建」説が成功者のステータスシンボルなのに対して、中川が指摘する「うだつ屋」がようやくあがるという説は最貧困からようやく脱する状況を指します。ともに家格の上昇を意味しますが、上昇の起点がまったく異なります。
「板敷屋」「半分板敷屋」「平屋土間」ときて最下位に「うだつ屋」が位置づけられた「家数改め」の分類は、住まいとそこに住まう人の階層性を端的に示しています。そもそも人びとの日常を比喩でもって冷笑する残酷な慣用句の世界を思うと、中川説に軍配をあげたくなります。
(おわり)
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