武器を使わない情報戦ープロパガンダ㉑

プロバガンダ作品の制作に協力したディズニー

第二次世界大戦による経営不振

 アニメとプロパガンダの親和性は意外と高い。絵を用いた視覚的効果が高く、勧善懲悪の物語を作りやすい構造は、実写以上に相性がよいからだ。第二次世界大戦下では日本をふくめた各国でプロパガンダアニメがつくられており、アメリカも有名なアニメ制作会社に幾度も制作を依頼していた。そのなかの一社がウォルト・ディズニーカンパニー(以下ディズニー)である。
 ディズニーは、カリフォルニア州に本社を置く世界最大級のエンターテイメント企業だ。設立から100年が経過した現在でもなお、さまざまなキャラクタービジネスで人々に夢を与えている。だが、大戦中はその卓越したアニメ技術が、プロパガンダに利用されていた。
 ディズニーがアメリカ軍と結びついたきっかけは、真珠湾攻撃の当日にある。この日、陸軍がディズニースタジオを占拠して拠点とした。日本軍による空港攻撃を警戒するためだというが、真相は現在も不明である。
 この翌日に創業者のウォルト・ディズニーは、海軍航空局より訓練用の短編アニメ制作を依頼されたのである。
 当時のディズニーは収入の4割を海外に依存していた。しかし、第二次世界大戦の開戦でそれを失う。新作のピノキオやファンタジアも興行的には失敗。さらにスタジオのストライキと徴兵による人材不足も合わさって、太平洋戦争の開戦直前には深刻な経営難におちいっていた。会社を存続させるためには、軍部の依頼を引き受けるほかなかったのだ。

観客動員数3千万人以上を記録した「新しい精神」

 すでに1941年夏には米大陸問題調整局の依頼で南米取材に赴いており、スタジオと政府機関との縁は結ばれていた。12月18日にはヘンリー・モーゲンソー財務長官とガイ・ヘルヴァリング内国歳入庁長官から、納税アニメ映画の制作をじきじきに依頼されることになる。
 こうしてつくりあげられた映画が「新しい精神」だ。ストーリーは、ラジオで開戦を知ったドナルド・ダックが、納税用の用紙を片手にワシントンまで税を納めにやってくる。その税金がアメリカの兵器となり、枢軸国軍を打ち倒すというものだ。
 1942年1月23日より上映された本作は、観客動員数3267万人を記録。上映劇場も1800を数え、観客の37%が納税の意識が高まったと答えたという。ニューヨークタイムズも「最も効果的なプロパガンダ」と皮肉めいた評価を下したように、ディズニー初のプロパガンダは成功に終わったのである。
 その後も1942年半ばまでに南米向けの宥和アニメを造り、農務局の依頼で戦時生産アニメを公開した。そして映画界で戦時映画の量産が本格化した1942年後半以降になると、ディズニーアニメにも軍事色が強まっていくことになる。
 最大のヒット作といえば、1943年1月1日に封切られた「総統の顔」だ。ドナルドがドイツの砲弾工場で働きながら、ナチス党員の無理難題に困り果てる、という夢を見るというコメディ映画である。
 ナチスを風刺するストーリーはもちろんのこと、個性的な挿入歌もウケにウケ、映画はその年のアカデミー短編アニメ賞を受賞している。一方では、ディズニーキャラクターの登場しない作品もあり、ナチスの抑圧社会を描いた「死への恐怖」の主人公はハンスという少年だった。

ミッキーよりもドナルドが活躍

 もちろん風刺対象はドイツだけではない。1944年1月28日の「グーフィーの船乗り教室」で敵とされているのは日本海軍だ。
 物語は船や船乗りの歴史を中心に進むのだが、後半になると雰囲気が一変。将軍のグーフィーが魚雷と一緒に発射されて、軍艦を次々に撃沈させるのだ。艦隊を壊滅させたグーフィーは、水平線の彼方へと飛び出し、最後は旭日旗を思わせる朝日を砕いてアニメは終わる。
 こうしたプロパガンダ映画を、ディズニースタジオは1941年から終戦までに77本もつくっている。いかなる公的な感謝も受けなかったが、政府への加担で何とか活動を維持できたのである。
 なお、77本のプロパガンダアニメでミッキーマウスが登場するのは1本だけ。「みんな一緒に」でパレードの指揮者役をした程度である。優等生のイメージが強いミッキーマウスは、戦時下のプロパガンダには不向きと判断されたのだろう。
 逆に引っ張りだことなったのが、ギャグ展開にも最適なドナルド・ダック。主役作は77本中36本と、半分近くを占めている。現在ではわき役のイメージが強いドナルド・ダックが、ある意味一番輝いた時代ともいえるかもしれない。

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