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20年後の音楽

漠然と 20 年後の音楽は一体どうなっているのかを考えている。普段は Twitter で自分の考えを 140 文字に圧縮して完結させることを楽しんでいるが、やはり伝えたい内容には限界が生じるし誤解も多分に産んでしまうので今回は note を活用したいと思った。音楽の未来を考える際にはどうしても深層学習による AI での楽曲生成も思考に含める必要性はあるが、技術的な進歩は予測できるものの政治的や産業的にどう対処されるのかの課題があると思うし、その点を妄想するのは行き過ぎなのでそれは考えない。加えて、微分音やノイズを駆使した音楽や、和声学をほぼほぼ必要としない一部のロック等は最後の方で少しだけ触れます。


ジャズミュージシャンが本気を出して作るポップミュージック(ハウスミュージックやヒップホップなどのクラブミュージックも含む意味としてここでは捉えて欲しい)はとても魅力的だ。例えば、矢野沙織さんのプロジェクト House of Jaxx では、ジャズプレイヤー側からのアプローチで楽曲が形成されたからこその圧倒的なグルーヴを感じる事が出来る。第三者が企画して演奏だけ参加しましたという枠組みでは決して出てこない独自の味を感じる。


ジャズミュージシャンにこそ、現代のテクノロジーを駆使して音楽を作って頂きたいと強く願っている。そう、かつてハービーハンコック等が革命を起こしたように。

例えば、Seiho 君の音楽は現代のポップミュージックに適切な音色や仕掛けが満載であり更にジャズの要素も相当うまく取り込んでいるし、今後もっと驚くような音像を聴かせてくれる事だと思う。


そして、私が日本で最も敬愛する音楽家である坪口昌恭さんの音楽は、ジャズ・フュージョンという括りで捉えられるけど、そこには一般的にやや退屈だと感じるであろうジャズの形式(テーマとなるメロディ>長時間のアドリブ>テーマに戻る)や、スタンダードナンバーの演奏や、フュージョンのありきたりのシンコペーションなどの決まり事は少なく、ただただ風変りだけど腑に落ちる気持ちが良いハーモニーが浮遊している音楽。ヴォーカルが入った楽曲は少ないけど、初めて聴く方や、より興味を持ってもらえるようにここではこの曲をチョイス。


殆どの作品がオンライン上で再生可能なので、嬉しい限り。


今から 30 年ほど前になるけど、衝撃を受けた音楽がある。Dorado というレーベルからリリースされたクラブジャズシーンから生まれた曲でいわゆるジャジーなディープハウス。今聴くとドラムのキックの音が弱かったりとパンチに欠けるが、バックトラックの上でダイナミックに振る舞うグランドピアノと管楽器はジャズミュージシャンによる最高の演奏だ。ヒップホップシーンとジャズが相性が良いのは当然として広まっていたけど、なかなかハウスミュージックとジャズが完全体で融合することはまだまだ稀だった時代だった。


僕の音楽についても少し。1995 年に作った楽曲 Jazz Sauce ですが、自分の中でこの曲を超える曲がなかなか作れない。田舎の滋賀県から上京して東京都世田谷区に住んでいた頃に作った曲で、やはり創作物は時代性と生活環境に大いに左右されるものだと感じる。


20 年後は今よりも更にジャンルの壁は無くなっていて「20 世紀の音楽」「21 世紀初頭の音楽」なんて言う括り方をしているんだろうなと予測する。細分化されたジャンルを説明する為には専門家が必要になるであろう。クラシックやジャズやロックを細分化してそれらのリスナーがある意味お互い少しの壁を作っているけど、それはもう過去の話。昔はとにかくレコードを買ってみなければいけなかったので失敗はできなかったからシビアになるのも当然。今現状ではどんな音楽も大抵クリック1つでなんでも再生できる。試聴ではなくそれ自体がもうメインストリームでしょ?気に入ったら再生しっぱなしにしておくだけで良い。どうしても嫌だと感じた時は身体的に「飛ばす」操作が必要になるけど、それも過去の話になりそうだね。

AI の話はしないと言っておきながら少し触れてしまうことになるけど、未来の音楽もしくは未来にも残る音楽としては、今現在でも名曲として受け継がれている音楽のようにアレンジが変われど、変わらない部分、要するにメロディや歌詞という主軸がメインストリームに流れていて、ボタン1つで色々なアレンジで聴くことができるようになるんじゃないかな。それはあらかじめクリエイターが作成した波形データであったとしても AI が自動生成する即席のアレンジであったとしても。

定期的に聴きたくなる音楽として、AtaTak レーベルの -Δt(マイナスデルタT)がある。これはいわゆる Leftfield 系とでも言いましょうか、ノイズ部分に意味が大きく依存している作品。アレンジできない音楽とも言える。アレンジできない音楽だからこそ、オリジナルの音源が骨董品のように貴重なものになるのは今も未来も変わらないと思える。


坪口さんの音楽は、上記の両側面を有していると感じており、メロディだけ残ってもダメで音色だけ残ってもダメ。果たしてその様な唯一無二の音楽が他にもあるだろうか。さーて、僕達は「21 世紀初期の音楽」の歴史にこれからも色を添えて行こうではないか。

武茶

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