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♯41 人生と音楽

人生の節々に音楽を聴いていた。
その音楽に心から癒されていた。
そんな、音楽と私の人生史をまとめてみた。

<幼少期~中学時代>
小学校の元カレの影響でBUMP OF CHICKEN銀杏BOYZにハマる。
天体観測はもちろんのこと、ガラスのブルースやアルエ。ギルドなども好んで聞いていた。繊細なガラス作品の様な歌詞と巧な表現に、すっかりファンになっていた。
特に、「続・くだらない唄」(BUMP OF CHICKEN)は明るい穏やかな音調に対して、歌詞の内容が苦悩と希望を描いた内容であるのだが、当時の私自身の環境下において、父は目が見えず遠くに住み、家族が家を出て行った時と重なり、葛藤を抱えていたのかもしれない。
Zoku Kudaranaiuta (youtube.com)

また、「ホリディ」(BUMP OF CHICKEN)も私的にヒットした曲であった。家族関係がボロボロで、隣の芝生は青く見える時期もあったりして、自己肯定感がすこぶる低い時期であった。上手くいかない自分を、失敗もあってこその人生だからと、生きることに背中を押してくれた曲であった。
Holiday (youtube.com)

BUMP OF CHICKENのアルバム「orbital period」では、飴玉の唄ひとりごとがとにかくいいのである。
そんな「ひとりごと」の歌詞が特に大好きである。

ねぇ 君の為に生きたって 僕の為になっちゃうんだ
本当さ 僕が笑いたくて君を笑せてるだけなんだ ごめんね
Hitorigoto (youtube.com)

家族に笑っていてほしくて、どうやったらその笑顔を戻せるのかをずっと考えていた。そこで気が付いたのは、家族の幸せを考えて生きていることは、実は私が幸せになりたいからであって。私が笑顔でいたいから、家族に笑顔になってほしいと考えていたということであった。
答えのない答えを探す日々に、家族を通して自分自身の葛藤に悩み続けていた時期であった。

<高校時代>
まだまだBUMP OF CHICKEN愛は絶えずに続く。
この時期になるとアルバムの「COSMONAUT」がリリースされて、すり減るほど聞いていた。
そして、特に「66号線」
ボーカルの藤君が友人に贈った曲であるらしいのだが、冒頭は緩やかなメロディーとともに、「聞かなきゃいけない話が まったく頭に入らないのは 愛されたくて必死だから」という歌詞から始まる。
自己肯定感が微妙に緩やかに上がっている時期にリリースされ、彼氏が出来た。まぁとにかくその彼が大好きで、愛されたくて必死で、相手の言葉を上手くキャッチ出来ていなかった。
そんな自分を分かっているのに、感情が先走ってうまくできなくて。この66号線を聴くたびに、そんな当時の自分を思い出す。
Route 66 (youtube.com)

また、THE BLUE HEARTSも良く聞いていた。
リンダリンダはもちろん、情熱の薔薇、ラブレターなども好きな一曲であった。泥臭い世界の中に見える美しさを表現する甲本ヒロトが大好きで、綺麗に生きれない私は、どこかその歌詞の言葉に救われていた。

<大学時代前期>
ここで、友人の死をきっかけに銀杏BOYZの「漂流教室」を聴き始める。
そして、この友人こそが、私に小学生時代の元カレであり、私にバンプと銀杏BOYZの良さを教えてくれた人である。
死とはあまりにも突然で、今もまだ正直なところ、嘘ではないかと疑っていたりする。そんな彼はギターを弾いて、いつも笑っていて。想い出の中の彼は、漂流教室の歌詞そのものなのである。
Hyouryuu Kyoushitsu (youtube.com)

また銀杏BOYZは、甘酸っぱいもどかしさ溢れる青春時代を、上手く歌詞に落とし込むところがすごいのである。なんとも表現し難いその感情。峯田だからこそできる世界観であると、聴くたびに感動をする。

<大学時代後期>
家族が亡くなる。理由も分からずに、いきなりこの世界から姿を消した。
ただただ悲しくて、その日は金木犀の香りが漂う10月の秋の出来事であった。
この時期には、フジファブリックの「赤黄色の金木犀」を聞いていた。
フジファブリック (Fujifabric) - 赤黄色の金木犀(Akakiiro No Kinmokusei) (youtube.com)

まるで、この時に為に書かれたような歌詞であった気がしていて、「有難う」も「ごめんなさい」もちゃんと伝えられなかったことを、とにかく悔やむ日々であった。
悔やむのに、亡くなった直後は居なくなった実感がいつまでも湧かなくて、「期待外れな程感傷的にはなり切れず」と歌詞の通りであった。火葬の際に、体が亡くなることが怖くて、その時に(あぁ、居なくなってしまったんだ)と実感したのを今でも覚えている。

<社会人~独立>
家族の死と自分自身の入院を機に、もう一時人生をやり直してみようと決意する。
そこで、「歓びの明日に」SUPER BEAVERを聴き始める。
SUPER BEAVER 「歓びの明日に」 MV (youtube.com)

家族を亡くして自分の環境は変わったのに、周りは何一つ変わっていないように見えて。自分だけドーナッツの穴の中にいる様な空虚な感覚が、不思議だった。しかし、実際は毎秒毎秒誰かが亡くなっているわけで、私は自分の悲しみに浸って身を守ることに必死で、誰かの悲しみには気が付けていないことにハッとした。すべてが無駄に見えていた日々であったが、無駄なことなんて何一つもなかった。
それと同時に、「人が本当に亡くなる時は、肉体が消えることではなくて、すべての人の記憶から消えてしまう時」という言葉をかけてもらった。
だったら、悲しい記憶で終わらせないで、「有難う」の気持ちを花束の様にして、私の記憶の中にいる家族に贈り続けようとそう思えた。


悲しい時は悲しいと口にするし、
嬉しい時は嬉しいと口にするし、
人生は奏でる様に今を生きればよいと思う。

振り返ると、いつもがむしゃらに生きていた。
今だって、そうである。
時にはそのがむしゃらを笑う人がいるが、それはそれでよい。生きているって、真剣なことであるから。

そして、奏でて生きる様に、音楽とも生きている気がする。
人生の一瞬一瞬を音楽と共に過ごして、想いとリズムを刻んできたわけなのである。

とまぁ、そんなわけで。
皆さんはそんな想い出の曲はありますか?

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