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秋田・湯沢七夕絵どうろうまつり|旅先の夏祭りでやさしい気持ちになれた話

東北の七夕まつりってなんでこんなに魅力的なんだろう。

青森のねぶたや、津軽のねぷた祭り、そして秋田の竿燈まつりも、すべて七夕行事のとうろう流しが由来らしい。

青森のねぶたは七夕行事 『牛頭天王』 作:竹浪 比呂央(ねぶたの家ワ・ラッセ)

七夕まつりが東北の地でここまで大型化している理由も気になるところだけど、七夕まつりは神社(氏神さま)の祭りとちがって、だれでも参加できるところがいいなあと思う。

特にこの夏の秋田への旅は、とにかくお祭りざんまいだった。

ちょうどわたしが秋田県を訪れたのが8月5・6・7日で、旧暦の七夕だったということもあって、とにかくどこへ行ってもお祭りだった。しかもコロナがあけて4年ぶりの通常開催ってことで、みんなの愛と熱意がすごいことに!

日本人には、いや人間にはどうしたって「祭り」が必要なのだ!

そんなふうにあらためて思った2023年、夏。

七夕絵どうろうまつり

さて、今回は秋田・湯沢の「七夕絵どうろうまつり」について。

みやびな風情のある秋田・湯沢の「七夕絵どうろうまつり」

行く先々でお祭り

わたしが夏に秋田に行った理由は、羽後町西馬音内の「藍と端縫いまつり」が目的だった。羽後町に行く途中に立ち寄った秋田市では「竿燈祭り」に遭遇し、羽後町行きのバスが出る中継地点駅の秋田・湯沢駅では思いがけず「秋田・湯沢七夕絵どうろう祭り」を見ることができた。(ちなみに秋田の「湯沢」は新潟県の越後湯沢駅とは別の駅)

この夏は、こんなふうに行く先々の中継地点にそれぞれの祭りがあって、「ひとり秋田の祭りスタンプラリー」みたいになってた。

秋田・湯沢七夕絵どうろうまつりとは

秋田・湯沢市の七夕絵どうろうまつりは、浮世絵風の美人画の描かれた大型の「絵どうろう」を楽しむお祭り。

美人画の描かれた絵どうろう

毎年8月5日から7日の3日間に行われる七夕絵どうろうまつりは、湯沢市の夏の風物詩。徳川治世の時代から約300年の歴史をもつ伝統の祭りで、夕刻にいっせいに光を灯す大小百数十基もの絵どうろうは圧巻です。

秋田県湯沢市公式観光サイト「湯沢たび」より

どうろうに描かれるのは、日本画風の美人画。どことなく京都っぽい、みやびな雰囲気が漂っている。これには由来があるそう。

京都っぽい

七夕絵どうろうまつりは、秋田藩佐竹南家七代目義安(よしやす)公に、京都の公卿鷹司(たかつかさ)家から「おこし入れ」された奥様が、京都への郷愁やるかたない想いを五色の短冊に託し、青竹に飾り付けたのが始まりといわれています。
祭りの様式は時代とともに進化し、明治期には家々の軒先に灯籠が飾られたり、大正期、昭和期には湯沢地区の全町で大型の絵どうろうを吊り下げたりするなど、その美しさを競うようになりました。

秋田県湯沢市公式観光サイト「湯沢たび」より

京都からお輿こし入れされた奥様にちなんだお祭りだったとは。だからどことなく京風な雰囲気が漂っているんだね。

どうやら古くから秋田と関西(上方)には、密接な関係があったようで。

東北と関西(上方)をつないでいた北前船

江戸時代中期から明治にかけて、北前船という商船が上方(大阪や京都)から秋田・津軽、さらに北海道に向けて日本海側を運行していたという。北前船は商船であるため、ものを売り買いしながら各地を結んでいたそうだ。

この船により、上方(大阪や京都)の文化も秋田に流入した。じつは端縫い衣装の材料となる絹の着物やハギレも、この北前船から入ってきていたものだという。

かつて秋田県を流れる雄物川は物流に使われていて、上方からの物資は秋田の港から雄物川の河川交通によって内陸部の湯沢や、鵜巣などの川港に運ばれていた。

雄物川

市の立った羽後町の西馬音内地域には、川港の鵜巣から運ばれた。藩政時代後期、雄物川は経済の大動脈になっていた。

小坂太郎『図説 横手・湯沢の歴史』郷土出版社、2006年

だから絵どうろうの画風も、どことなく京都っぽいのか。

奥が抹茶、手前がニッキ

それよりこの画風の絵どうろうを見ていたら、生八ツ橋が食べたくなるのはわたしだけ…? あの餡の入ってない、皮だけの生八ツ橋。おいしいよね。これは手前がニッキで奥が抹茶味だな、きっと。

せっかくなので

羽後町で着付け体験をした帰りに、せっかくなので湯沢の七夕絵どうろう祭りに立ち寄ってみた。

日が落ちる時間帯にはまだ少し早かったけれど、久しぶりの通常開催ということで、まちは早くもたくさんの人でにぎわっている。

家族連れ、甚平を着た子どもたち、浴衣でめかしこんだ女の子たち。そしてそんな女の子たちが気になるのか、変なテンションになっている男の子グループ。ほほえましいなあ。中学生くらいのお祭りの、グループは男女分かれてるのにお互い気になってどうしようもないあの感じ。ふふふ。

通常開催が4年ぶりってことは、小学校高学年の子が高校生になるくらいだから、そりゃあ浮かれもするよね。浮かれたらいいのさ、お祭りなんだから。と、通りすがりのおばちゃんは思う。

屋台もたくさん出ている。ビール、焼き鳥、唐揚げ。沿道のあちこちにテーブルが出て、みんな早くも盛り上がっている。

いいなあ、こういうの。まだ明るいうちからビールとか飲んじゃったりして。

コロナをきっかけに、お酒は好きだけどあえて飲まない「ソバーキュリアス」になったわたしも、きょうくらいは飲んでみようかな、という気持ちになってくる。旅だしね。じぶんルールでは、旅のときは飲んでいいことになっているのだ。(何しろじぶんルールだからね)

メイン通りから少し脇道に入って、大きな屋台からは少し離れたところで、ビールをいただくことにした。

通り沿いの喫茶店や飲食店が歩道にテーブルを出していて、テーブルにはメニューがおいてあった。メニューのお店の特設テントでビールを頼み、テーブルにつく。

あたりはまだ明るくて、家族連れや、はしゃぐ子どもたちを追いかける若いお母さんたちやでとても賑やか。楽しそうな人たちを目を細めて眺めながら、ゆっくりとビールをいただくことに。

子どもが小さかったら、こういうの楽しいよね。大変だけど。

花柄の浴衣にピンクのふわふわ兵児帯、戦隊ヒーローの甚平。かわいかったなあ。うちはもう大きくなっちゃって、ちょっとつまんない。

「あの頃」の子どもたちやじぶんを重ねて、街ゆく人を眺めてみたり。

でも、今のわたしは。

今のわたしは、自由だ。


さみしいような、自由なような、ふわふわしたこの感じ。ああ、この感じが、旅そのものなんだ。旅が、わたしに戻ってきたような気がする。

おかえり、旅。

乾杯!

やさしくありたい

テーブルでビールを飲みながら日記を書いていると、空いていたとなりのテーブル席に家族連れがやってきた。小さい男の子と、お母さん、お父さん。ちょっと人目を気にして、どこかこそこそした様子なのは、たぶんそのテーブルのお店でオーダーをしていないのに座っているからなんだろう。

出店で焼きそばを買って、お腹が空いている子どもに食べさせたいけれど、適当な場所が見つからなかったんだろうな。「ここは持ち込みで座っちゃいけないのはわかってるんだけど、子どもに食べさせる少しの間だけちょっと貸してください!」という切実な雰囲気がお母さんの背中から伝わってくる。わかるわあ。子どもとお祭りっていろいろ大変なんだよね。

テーブルにはイスが二脚しかなくて、お母さんは立ちっぱなしで食べていた。誰かが座るテーブルを探していたり、注意されたら、すぐに立ち去ろうと考えていたのかもしれない。わたしはなんだか気の毒になって、あわてて声をかける。

「どうぞこのイス、使ってください。わたし、ひとりなんで」

「ありがとうございます!」

お母さんも、お父さんも、すごく感謝してくれた。こうすることで、その家族連れは少なくともわたしの目は気にしなくてもよくなったはずだ。それになんとなく「連れ」っぽい感じも出せたかもしれない。

いいんだよ、焼きそばゆっくりお食べ。わたしは男の子の背中に無言で語りかける。

名物「横手やきそば」

わたしは目を細めて男の子の小さい甚平の背中を眺めた。かわいいなあ。息子もこんなんだったなあ。

それにしても息子の子育ては必死だった。子どもと出かけるのってまあまあ大変で。でも、何が大変なのかを説明するのは、ものすごく難しい。3秒先の予測さえ不可能な不条理ワールド、とでも言っておこうか。

「ねえねえ何してんの?」

日記を書いていると、となりの席に座ったさっきの男の子がわたしの顔を覗き込んでいた。うわ、いつのまに! でた、予測不可能!

なんて答えようかと迷っていたら、お母さんが気をつかってくれた。

「おねえさんお勉強してるんだから、邪魔しないのよ」

おねえさん。

いや、こちらの方こそ気を使っていただいちゃってすみません。


「ほんとにありがとうございました! 助かりました」

お父さんとお母さんはペコペコ頭を下げて、男の子の手を引いて、まつりのなかに行ってしまった。男の子の甚平の、青い色の残像だけを残して。子どものしっとりと汗ばんだ髪の毛の匂いが、疲れて眠ってしまったときのなまあたたかい重みの記憶が、一瞬だけ蘇ってきたような気もしたけど、それをたしかめる前に、なつかしい気持ちもまた、まつりのなかに消えてしまった。

ちょっと切ないのも、夏まつりなんだなあ。

子育てはそれはそれは大変だったから、こうして自由になったいま、もうあの頃に戻りたいとは思わないけれど、いちばん大変だったころがやっぱりいちばんかわいくて、しあわせだったのかもしれない。

わたしはせめて、寛容でやさしくありたいなって思う。


あたりはすっかり薄暗くなり、久しぶりに飲んだビールでふわふわしながら、まつりの夜を歩く。

知らないまちの、知らないお祭り。

絵どうろうなんて、ほかでは見たことがなかったし、きっとこの街だけのもの。でもどこか、とてもなつかしい気がする。

駅前近くの建物の屋上に、提灯でライトアップされたまつりの席が設けられていて、それを見た瞬間、じぶんが子どもの頃の記憶がふわっと蘇ってきた。

こんな光景を、前に見たことがあったような気がする。わたしは子どもで、知らないまちの少し大きなおまつりに行って、迷子になりそうになって、父に肩車をしてもらって、たぬきのぬいぐるみを買ってもらったような…。でもそれはもしかすると、あとから両親から聞いてじぶんの思い出としてすりかわっている記憶なのかもしれない。

でも何か底のほうに、じぶんだけの感覚の記憶が残っていて、それがいまふうっと蘇ってきたような気がしたんだけど。つかめそうで、つかめない。つかんだら消えてなくなりそうなかすかな感覚。


新しくてまぶしい、LEDライトの湯沢の駅に戻ると、その感覚はもうすっかり消えてしまった。夢から覚めたみたいに。

ふわふわしたまま宿泊先の横手駅のホテルに戻って、ひとり屋台で買ってきた横手やきそばをモソモソ食べた。

横手焼きそば


おまつりのひとり焼きそばは、自由で、やっぱりちょっとさみしい。

でもこのさみしさもまた、旅の醍醐味。



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お祭りレポート

ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!