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【映画感想】『ワンスアポンアタイムインアメリカ』「曖昧」を味わう※ネタバレあり

「ギャング映画の代表作」とも称される映画であり、2人の男の少年期から老年期における、友情と裏切りを約4時間という長時間に渡り、重厚に描いた作品である。

言葉による説明はしない

この映画は登場人物たちの少年期、青年期、老年期の三つの時代を交差させて描いているが、誰が、いつ、どんな状況なのかを明確に説明するような描写がほとんど無かった。

見てる側は細かな演出などから、集中力と想像力を使い、状況を把握する必要がある。少々疲れるが、そこは監督のこだわりなのだろう。

例えば、冒頭でヌードルスがニューヨークから逃亡し、35年後に再び戻ってくるシーン。ここにビートルズの『イエスタデイ』が流れることで、物語が禁酒法下の1920~30年くらいから1960年代くらいに移り変わったことが予想できた。時代の移り変わりを当時の代表曲で示唆する演出はなかなか洒落ている。(もちろんデニーロの老けメイクでも時が経ったことは推測できるが)

三つの時代を描く映画だが、「○○年後」、「○○年前」みたいな字幕は一切なかった。その他にも複数人で会話しているシーンでは、ある人物が無言であっても、その人の顔がアップになるなど、言葉やナレーションに頼らず、情景を淡々と映すシーンが非常に多かった。

この映画がこれだけ長時間なのは、上記のように丁寧に時間を掛けて情景を映しているからだろう。しかし、言葉による説明が少ないが故に、解釈に困った場面が二つあった。

二つの謎

一つ目は、マックスがどうなったか。

汚職事件で追及を受けていたマックス(ベイリー)は、どうせ裏社会の人間によって消されるなら、親友だったヌードルスの手で殺されることを望んだ。しかし、それを拒み、立ち去るヌードルス。ヌードルスを追いかけてきたマックスの前をゴミ収集車が抜き去ると、マックスの姿は消えていた。それを見て困惑するヌードルス。しかし、ゴミ収集車の中には遺体らしきものはない。

誰もがマックスが自ら飛び込んだことを想像するだろうが、だったら何故、そういったシーンをはっきり演出せずにあえて曖昧にしたのか?

そしてもう一つがラストシーンのヌードルスの笑みだ。

ラストは物語の時系列上、ヌードルスがマックスの銀行強盗を密告し、マックスと仲違いした後である。そしてこの映画の始まりの直前だと思われる。

この時の状況はヌードルスにとってあんなに笑顔になれるような状況ではない。最後のヌードルスの笑みで様々な可能性を考えたし、ネットにも様々な解釈が記載されていた。

ストーリーの明確さは重要でない

誰でも映画を見たら、その内容の詳細だったり、結末をきちんと腹に落として理解したいと思うはずである。

しかし、意外と内容に小さな矛盾があったり、結末を見ている人の想像に任せて終わる映画が多くあるのも事実だ。

こうした類の映画が存在する理由として、私は監督が「どういった映像を観客に見せたいか?」という視点で映画作りをしているためだと思う。つまり物語の中身は脚本家や原作者がこだわるものであり、あくまでも監督はその映像化が本職なのだ。

よって、物語を完璧に理解したいという観客の思いと、物語をどのような映像で見せるかを重視する監督との間に相違が生まれてしまうというのが私の考えだ。

この映画を監督した、セルジオレオーネ監督も「どういった映像を撮るか」にこだわるタイプの監督なのかもしれない。セリフは短めに、字幕やナレーションでの説明もしない。「首尾一貫したストーリーが描けているか?」よりもむしろ、「どういった映像が撮れているか?」を重視した結果、上記の二つのような解釈するのに難しいシーンが生まれたのではないか。

最後に

ヌードルスがマックスの殺しの依頼を断った理由を私なり考察してみた。理由は二つの可能性があると思う。

一つはマックスとの友情を取った結果、様々なものを失う羽目になったヌードルスなりの復讐。そして、もう一つはヌードルスが語ったように、彼は友情を重要視する男であり、友人を殺すことはできないという理由。

もちろん他の理由も考えられるが、ここではしかし、それらを追求することは重要でないのかもしれない。むしろあえて曖昧にし、様々に解釈できるようにしたことが、この映画が長く愛される所以となったと感じる。

ちなみに最後のヌードルスの笑みは、大した理由は無いというのが私の考えだ。そして、そんなことより、この映画の醍醐味は監督が作り出した映像を楽しむことだと思う。

個人的には最近、多様に解釈できる映画や、結末が曖昧な映画を許容できるようになった。昔は物語の過程を十分に楽しんでいても、少しの矛盾点あれば、それがとても気になっていた。しかし、そんな「粗探し」はミステリーやサスペンスだけに限るようになった。そうなると当然、楽しめる映画の幅も広がってきたのも事実である。(こればっかりは正しい映画の見方云々でなく、見る人の性格にもよるのだが)

『ワンスアポンアタイムインアメリカ』も昔だったら、好きになれなかったかもしれない。

ちなみに・・・

劇中で流れていたエンニオモリコーネの音楽も映画の雰囲気を壮麗な雰囲気にしていた。ちなみにモリコーネさんはこの記事を執筆の2週間前の2020/7/5に91歳で亡くなりました。この映画以外にも『アンタッチャブル』や『ニューシネマパラダイス』にも携わった有名な作曲家です。

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