ADHD

私はADHDだったのだ。 
ずーっと。
片づけが苦手で一つの鞄や靴を使い倒すまで使う人だったし、今もそうである。
これがADHDという発達障害が示す特徴的事柄なのだ。

私はみなみ先生という伴侶を喪い、生活に支障をきたすようになったが、鬱だとはわかっていた。それより前に心療内科に担当医がいたからだ。

そして引っ越しの時にあまりにも片付かないので、友人の山本夜羽音に手伝ってもらうことになり、私の部屋を見て「この散らかり方、鬱だけじゃなくADHDもあるんじゃない?」と指摘された。

彼もADHDと診断されている、とその時知った。
それで私は引っ越した先からでも、今の担当医が曜日で勤務先が違うことから、別の病院に転院して通えるよう整えていたので、そちらの病院の神経科で同じ担当医にADHDの疑いはないだろうか?と訊いた。

すると担当医は問診後に、生活に支障を来しているかどうかを確かめて、要治療と診断したのであろう、アトモキセチン(ストラテラ)というバカ高い薬価の薬を処方したのである。

薬価というのは想定される処方数から割り出された、製薬会社に利益をもたらす価格であるから、高い薬とは処方数の少なさを意味する。

ADHDの診断が下りる人は少ない、といえるが、最初に受診したのが今から遡ること13年前、9年の間を置いて以来ずーっとかかり続けている主治医は、むしろ私とマンガや文学、政治の話をするのが楽しいのではないか?と思われるくらいだし、私の父をエピソードから「相当ですね」と呆れ顔でいうほど、私に詳しい。
が、問題が生じてると、こちらから言わなければ余計な対処はしない。
それが医者だと私も知っているから、腹も立たない、と了解しあっている仲なのである。

会話や対処すべき問題の優先順位を容易に変更できる多動性は、それを持たない人からは奇異に映る。

家の鍵やスマホをあちこちに置き、ないないと探す人でもある私は、この気質がマンガ家になるには向いているなと思うほどに、マンガ家は一様にやるのだという。生活が問題ないならそれでいいが、自覚はしといた方がいい。

私は兄と妹が私を「アイツ変だよね」と合意が取れていたのを昨年初めて知った。
それはカウンセリングを受けてはどうか?と勧めた兄から聞き、それで受け始めたカウンセリングで、私の父に対する愛情の持ち方が家庭内暴力によるもの、と指摘されたように、無自覚に記憶を改変してしまう。

この記憶は改変されるもの、という知識は私は持っていたが、この記憶の改変は夢によって起るという実感は先日初めて体験はした。が、何が変わったのかは直後に思い出せなくなっていた。

おそらく父とのいい思い出は、フェイクの可能性がある。過去の逸話が共通なもの、そうでないものがあるからには、可能性があるのだ。

予め知識がある、ということは身を助く。私はそんな混乱を二週間ほどで受け入れて、家庭内暴力はよくないという人になったのだ。
つまりこども庁だろうがこども家庭庁だろうが、看板はどうでもいいから仕事しやがれ、という人に。

もちろん父との間に横たわる問題は、エディプスコンプレックスにも関わるので、一生ものである。なんら解決はしていない。
が、会話さえしなければよい、と私なりの対処法が生きるだけの、今生の別れは済ませてあるのだ。
それを言葉通りに口にしたのに、理解しない父の方が悪いのだ。
私をまだ支配下に置こうとする父は、生活に支障をきたしている私の生活に、月9万円也を余裕で出せる裕福な人で、現金が減らないからボクを生前分与という税金対策に使う人なのだ。

自覚がない人というのは、そういうことをお前のためにしてやっているから、感謝しなさいと、目の前で頭を下げさせようとして平然としているのである。

自覚は大事、というのはそういうことからもいえる。

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