見出し画像

努力が報われると思わないほうがいい

「努力は報われる」誰もが聞いたことある言葉。でもこれは大いに誤解を招いていると思う。

正確には、「努力は報われることもあれば、報われないこともある」である。

この考えを、自分の実体験も交えながら綴りたいと思う。

1,幼少期の体験

僕は先天性内反足という病気をもって生まれ、幼少期はギプスをつけて過ごしていた。小学校に上がる頃には歩行は問題なくできるまで回復したが、走ると直ぐ倒れてしまう様なレベルであった。

主治医から、「運動するなら足に負担が少ないプールがおすすめ」とアドバイスを受け通い始めるも、足首が曲がらないことから、ある一定のレベルから上へ進級ができず努力も空しく1度目の挫折。

小4の時に弟のきっかけでサッカーを始めるも、もちろん他の人と比べるまでもなく下手くそ。プールと同じ挫折を味わいたくないという思いから、足への負担もお構いなしに猛練習。結果、地元の選抜チームに選ばれ、中学では県内強豪のクラブチームへ入ることができた。

しかし、レベルの高いチームでのハードトレーニングに体がついてこず、内反足からくる腰への負担にオスグッド・シュラッター病が追い打ちをかけ相次ぎ負傷。プロを目指していたものの、思うような結果が残せず2度目の挫折。

2,気持ちがあっても体がついてこない

プールでの経験も、サッカーの経験も、未だに強烈な記憶が残っているほど努力した自負がある。当時、内反足というハンデがあるから周りを見返したいといった感情は全くなく、とにかくやるからには結果を出したい、上手くなりたいという一心だった。

両親は、僕がスポーツを継続できるよう足の状態をこまめに診せるために、当時住んでいた岐阜から主治医のいる静岡まで、定期的に連れて行ってくれた。

主治医からよく、「あまりよくばったら駄目だよ。普通に運動できるだけでも感謝しなきゃ」と言われていたのも鮮明に覚えている。

そんな言葉にも耳を貸さず、当時の僕は「上手くなりたい」「プロになりたい」一心でがむしゃらにトレーニングをしていた。でも、トレーニングすればするほど、故障を繰り返し、メンタルバランスが保てず最後には心が折れてしまった。

3,努力量=結果にはならない

上記の経験から学んだことは、努力は報われないということだ。

マルコム・グラッドウェル氏のベストセラー本である『Outliers』に載っている、「ある分野でスキルを磨いて一流として成功するためには、1万時間の練習・努力・学習が必要である」という言葉はあまりにも有名だ。

1万時間は、1日9時間を毎日休まず行ったとして約3年程度の時間だ。僕からすれば、1万時間なんて余裕で費やしている。にも関わらず、求めた結果にはたどり着かなかった。

一方、僕には弟が2人いるのだが、ひいき目に見たとしても僕の練習量には遠く及ばないにも関わらず、彼らの方が僕よりも優れた実績を残している。

要は、費やした時間や努力した量が、イコール結果に結びつくわけではないのである。

4,努力する方向が一番重要

僕の場合、そもそも運動カテゴリーでの努力量をカバーできるほどの身体(器)をもち合わせていなかったため、結果を出せなかったと考えている。この努力量を、仮に身体に負担がかからない、音楽や美術に注いでいたら結果は変わっていたかもしれない。

運動をするまでは引き籠ってプラモデルばかり作っていたので、手先を使うことに注力していたら世界が変わっていた可能性は大いにある。

(もちろん、運動を選んだ後悔はしてない。今のメンタリティーがあるのも、今でも運動習慣があるのも、間違いなく当時の経験のおかげだと認識している。)

ここではあくまでも「結果を出す」にフォーカスした話をしたい。

元日本代表の岡田武史氏(現在はJ3に所属しているFC今治の代表取締役を務めている)の有名な言葉。

結果は、「努力する方向」「努力の質」「努力の量」の3つが伴わないと出すことができない。

ここで言う「努力の方向」とは「何で努力するか」である。

いくら、努力に時間を費やし、質を向上させたとしても、そもそも「何」が間違っていたら結果は伴わないということだ。

式に置き換えて計算してみる。

[努力の方向]×[努力の質]×[努力の量]=結果

<努力の質と量を5とする>
■方向=全く向いてない=0の場合、結果は0
■方向=向いてなくはない=1の場合、結果は25
■方向=そこそこ向いている=3の場合、結果は75
■方向=かなり向いている=5の場合、結果は125

質と量が同数であれば、結果は「努力の方向」つまり、「何で努力するか」に大きく依存することになる。

逆に言うと、質と量が少なくても、努力の方向が合っていれば大いにカバーできるともいえる。

5,仕事も同じ

仕事も全くもって同じ。結果を残したければ「何で努力するか」を徹底的に追及した方が良い。

「何で努力するか」を言い換えれば、「何に向いているか」「何が得意か」である。

ここで、「全く向いてないこと=0」の選択をしてしまうと、どれだけもがき苦しんでも結果がついてこない。
例えると、超人見知りの人がトップセールスを目指す感じだろう。先天的な超社交的な人と競ったら結果は言うまでもないだろう。

もちろん、超人見知りの人でもトップセールスを目指したければ目指せばいい。それは本人の自由。ただ、同じ量と質の努力をするのであれば、「もっと自分の得意な領域で戦った方が結果は最大化するよ」と伝えたいのだ。

とはいえ、自分が「何に向いている」「何が得意」なのかをみつけるのも難しのは事実。最初から自分の向き不向きを理解している人はほぼいない。ここに関しては、手探りで実際に動きながら見つける他方法が無い。

そういう僕自身も、今の仕事が向いているかどうかは目指す結果がまだまだ先にあるので当分答えが出ない。今は向いていると信じて努力を続けている最中だ。

みんなの努力が報われるよう、努力するにふさわしい「方向」をぜひ見つけてほしいと思う。

この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?