見出し画像

#エンジニアでよかった 挫折とそこから学んだこと。そして、これから。

大手メーカーで働く40代のサラリーマン。エンジニア歴15年、人生を楽しんでいます。

今回はエンジニアとしての挫折経験、そこから学んだこと、そして、これからについてお話します。

エンジニアとしての挫折

私は会社に入社してから約10年間、ソフトウェア開発のエンジニアとして、大規模なコンピュータシステムの開発に携わってきました。システム開発の要件定義、設計、システム構築、テスト、出荷後の据付やユーザ教育、その後の保守対応まで、上流から下流までの業務を一通り経験。リーダーとしてメンバーを束ね、それなりに成果を上げることができていました。

自分でいうものなんですが「オレ、イケてるわぁ」とちょっと調子に乗ってたときでした。

しかし、10年目を過ぎた頃、大きな壁にぶち当たります。

職場の上司が交代、新しい上司のもとで新製品の開発を任されました。この開発では、電気回路設計や機械設計など、それまで経験したことのない業務を一人で進めるように命じられました。

「え?右も左もわからない業務を一人でかぁ・・・」最初は困惑したものの「これは成長のチャンスだ!」と意気込み仕事に取り掛かりました。

しかし、この開発では自分が積み上げてきたシステム設計の経験は全く通用しませんでした。経験がない分野で成果を上げることは、想像以上に困難なものでした。それでも上司の期待に応えようと、寝る時間、休日の時間を削って働きました。

しかし、何をやってもうまくいきません。

気持ちだけが空回して失敗ばかり。失敗が失敗を呼び、考えられないような凡ミスを連発。パソコンの画面に向かっていてもただただ混乱、時間だけが過ぎていきました。

そして、上司から「いつまでかかってるんだ!」「ところで、お前はいったい何ができるんだ?」と同僚達の目の前で厳しい叱責を毎日のように受けまたした。そして、遂にはあからさまに無視されるようになり、同僚の何人かは私から距離を置くようになりました。

私は職場でどんどん孤立、身体に変調を覚えるようになり、数ヶ月前まで調子にのっていた私の威勢は風船のようにしぼんでいきました。

結局、新製品の開発は大失敗に終わり、私は部署で干されることになります。それまで携わっていた仕事は、前触れもなくどんどん取り上げられました。忙しそうにしている同僚達の中で、私だけやることがない。誰からも頼りにされない。居場所のない職場は地獄でした。

「もう、限界だ・・・」

立ち上がる力はもう残っていない。
そんな自分に対して、明確に限界を悟りました。

挫折です。

そこから学んだこと

息苦しい職場、なんとか午前の時間を乗り切った、そんなときできした。仕事でも交流のあった隣の部署の課長さんが「たけさん、お昼ごはん、一緒にどうですか?」と、笑顔で私をランチに誘ってくれたのです。

私に向けられた久々の笑顔。
「あっ、はいっ。」私は半ば反射的に応えました。

その課長さんは、私のおかれている状況を全て理解されていました。ランチをしながら「たけさん、頑張ってますよ。仕事よりも、たけさんの人生のほうが大切です。一旦、立ち止まってみてはどうですか?」と、優しい言葉をかけてくれたのです。

私は「こんな自分を見てくれている人がいたんだ・・・」と言葉に詰まり、社員食堂で涙が溢れました。

そこで、私は一旦立ち止まることにしました。

職場で干されたことは好都合だと自分に言い聞かせ、自分と向き合う時間をとりました。

自分の強みは何か?弱みは何か?過去の仕事でうまくいった原因は何か?失敗した原因は何か?そして、自分はこれからどうしたいのか?何ページも渡りノートに書き殴りました。正解のない問題に対峙し、吐きそうになりながら自分と向き合いました。

そして、「自分にはエンジニアとしての専門知識と一般教養がそもそも足りていない。学び直しが必要なんじゃないか?」そう思うようになりました。

そのあとはギアが切り替わったように、システム設計の専門書とビジネス書をサルのように読み漁りました。書店で目についた本は片っ端から、薦められた本は薦められるがまま、とにかく量、量をインプットしていきました。

そんな中、あることに気付いたのです。
「あれっ?おんなじこと、書いてある?」

システム設計の専門書とビジネス書、ジャンルの異なる書籍に同じことが書かれていると気付いたのです。

それは、システムも人生も「変化の早いものに振り回されてはいけない」というものでした。

システム設計では、目の前の流行りのテクノロジーに振り回されてはいけない。仮にそのテクノロジーを使ったシステムがうまくいったとしても、そのテクノロジーが古くなれば、また、システムの存在価値から考え直さないといけない。

人生設計では、目の前の職場での評価に振り回されてはいけない。仮にその職場や上司の評価を得ることができたとしても、職場や上司が変われば、また、自分の存在価値から考え直さないといけない。

そして、システムも人生も「変化に振り回されないための”強さ”が必要」であることもわかりました。

大失敗したあのとき、私にはその”強さ”が身に付いていませんでした。職場での評価ばかり気にして、「うまくこなすのがカッコいい」という勘違いをしていました。そして、変化に対応しきれずに疲弊してしまった。

2度とこんなことを繰り返さないためにも、変化に振り回されない”強さ”を身につけるにはどうすればいいのか?

その答にたどり着くのに、それほど時間はかかりませんでした。

そう、私はエンジニア。変化に対応するための”強さ”は、ちゃんと設計すれば身に付くことを学んでいました。システム設計と同じように人生設計すればいいのだと、エンジニアとして直感しました。

「システム設計と人生設計は同じ!」

このことに気付き、キャリアのリビルドを決断しました。

まず、行ったのは部署異動。「自分がやりたいことができる」「自分の強みを活かせる」そして「多くの人が求めていることができる」そんな可能性が高そうな部署を探し、異動願いを出しました。周りには「好ましくない異動」と捉えた人も一定数いました。でも、そんなの関係ねぇ。僕は僕の人生を生きるんだ!

そして、この決断は私の人生を変えました。

異動してから1年後、システム設計の技術力を認められ、社内の様々な開発プロジェクトのリーダーから「たけさんにも参画してほしい。」と次々と声が掛かるようになりました。

システム開発歴10年という経歴は非IT系のメーカーでは珍しく、機器のIoT化の波も私を後押ししてくれました。数年前に職場で干されていた私が、気が付けば売れっ子になっていたのです。

その結果、1度も受賞したことがなかった社内表彰を3年間で4度受賞。目に見える形で変化が起こりました。

「システム設計と人生設計は同じ」
この気付きは確信に変わりました。

そして、これから。

私はエンジニアでよかった。挫折を味わい、谷底に突き落とされたとき、「システム設計と人生設計は同じ」という気付きがなければ、私は1人の社会人として死んでいたかもしれません。

そして、今、エンジニアとして働くなかで、ある課題を感じています。
それは、システム開発の現場はどこか疲弊気味で元気がない。産業は米中勢にやられっぱなし。人口先細りの状況で、この国はどうなってしまうんだろうという危機感です。

この課題を解決するために「エンジニアがもっと活き活きと働く世界を創ることはできないだろうか?」そう思うようになりました。

過去の自分がそうだったように、開発の現場で疲弊するエンジニアを1人でも救いたい。そして、1人でも多くの方が「エンジニアでよかった」と思える世界を作りたい。

それが自分の使命のように思えてきたのです。

「そうだ。『システム設計と人生設計は同じ』という気付きを、多くの人に知ってもらう。」そんな思いで、noteをはじめました。

「システム設計と人生設計は同じ。」

この気付きは、私が人生の谷底で見つけてきた宝物です。そして、その宝物を多くの人に届けることこそ、私の使命であり、私を救ってくれた課長さんへの恩返しでもあると感じています。

感謝の気持ちを忘れず、前に進んで行きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?