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中国は頭から、日本はお尻から!〜情熱中国大陸〜

『中国人と日本人の思考・行動の違い』この内容について書かれた本は星の数ほどあるが、私は別に「日本は優れている、中国は劣っている」「中国は凄い、日本はダメだ」というような、論争をしたい訳ではない。実際日々中国と関わっている方は、自分の過去の経験に照らして読んで頂ければ、納得出来る事も多いと思う。両方からの視点で比較しながら、2つ身近な具体的お話をしようと思う。

車の運転

私のいる広東省(深圳·東莞·広州エリア)では、ここ数年、“クラクション”の音が激減している。皆赤信号もキチンと停車するし、横断歩道に歩行者がある時には、何と車が停まって譲るようになった。知らない人は笑うかもしれないが、驚くべき交通マナーの向上は、紛れも無い事実である。(実は、物凄い数の監視カメラが、各交差点、信号機には配備されており、ナンバープレート、運転者の顔まで全て高性能カメラで撮影されており、違反者は間違いなく罰金をくらう、というのが実情であるが)

クラクションを鳴らすのは、邪魔をされたり、ぶつかって来られたら嫌だから、怖いから先にバンバン鳴らす、のであるが、とにかく鳴らしておく。あまり後先の危険を想像したり、相手が怒るかな、などというデリケートな事は考えない。少しは考えるかもしれないが、だからといって「自分の行動にブレーキはかけない。」

日本では状況予測をし、危険を先回りで回避したり、お互いの譲り合いで、「自分の行動にブレーキをかけ」、スムーズに行くと知っているので、あまりクラクションを鳴らす必要がない。逆にクラクションに対する免疫?がない分、中国で聞くようなクラクションは、日本では大喧嘩のゴングになりうる。

私も中国の運転免許証は持っているが、昔、高速道路で事故を起こし、命拾いして以来、運転は避けている。拾った命は大切にしなければならない。(笑)

また駐車の仕方の比較から見られる日中の差も、非常に分かりやすい。

中国では駐車する時、ほぼ皆頭から先に突っ込む。日本はお尻から。
先に少し面倒でも、後でスムーズに安全に出られるように、と言うのが日本人の一般的考え方と習慣である。中国の人は、まず突っ込む。まずは入る。出る時の事は出る時考える、と言うのが基本的考え方である。最近は少し変わって来ているが、概ねそういう感じだ。

石橋を、叩いて叩いて叩き壊してしまうか、叩く所が無くなってから、渡るか渡らないかをよーく考えて、結局渡らないのが日本である。起こるかどうかも分からない問題は特に考えないし、叩いて危険が潜んでいないか調べたりなどせずに、パッと見大丈夫ならさっと渡ってしまうのが中国である。

良い事、便利な事、やりたい事であっても、あらゆる面から考察し、時間をかけて検討した結果、危険性が少しでも存在するのであれば、安全第一を理由に「諦めてしまう」か、また違う方法を良く良く考える日本と、やりたい事は、とにかく「すぐにパッとやってしまい」、後で起こる問題は、その場その場で、「問題が発生してから」ブルドーザーのように荒っぽく潰して解決して行く、という中国。非常に対称的である。


ハッとする建築物

中国に来て、人や車の多さ、それと「建物」を見た時、それにまず圧倒される。思わず「凄い」と言う言葉が出る。ご存知の通り日本の建築物はとても繊細な作りをしている。外から見えない所でさえ、誰にも文句をつけられないような細かい綺麗な仕事をしている。中国はと言うと「雑でいい加減」のイメージが強い(実際そうである)のに、なぜ凄い!と一瞬で思ってしまうのか?

それは、日本では見たこともないスケール感と豪華さ、驚きがまず目に飛び込んでくるからではないか?

確かによく見ると雑で、いろんな所が後付けされているのにも気がつく。しかし、バカでかい丸い建物や、幾何学的形の建物、ゴールドライタンみたいなビル、無数の個性的なビルディング、高いタワーがライトアップされてそびえ立つその様は、その細部の雑さなどは吹き飛ばしてしまうに余りある、圧倒的なパワーがある。

そして常にトレンドや変わったデザインをいち早く取り入れる柔軟性、遊び心に満ちた、度肝を抜く発想と驚きが、そこにはある。「何故わざわざここを空洞にしなきゃならないんだ?強度落ちるだろ?」「こっち側が角ばってんのに、あそこにわざわざあんな難しい半球体をくっつける意味がどこにあるんだ?」、等と思ってしまう自分は、何て田舎くさい時代遅れの石頭なんだろうと反省してしまう。(Lol)

また惜しげもないスクラップアンドビルド、日本ではありえない壊し方と作り方、、、これまた日本人の想像を遥かに超えている。日本人はすぐに「危ない、無茶だ」等と思って決めつけてしまう。

そこはもはや、街全部が、建築物の実験場と言えそうな勢いである。世界各国の建築物を研究しまくり、デザイナー、アーティストとのコラボも活発に行い、ハイテクのLED電飾も惜しげもなく、「これでもかー」と言わんばかりだ。物凄いお金をかけて、命がけで遊んでいるように私には見える。ついこの前まで、簡単な鉄筋も入っていないブロック積み上げハウスが殆どだったのに。

一方日本の建築物は、地震や災害が多い為に、強度や安全性を充分考慮した、厳しくて細かい基準をクリアした上で建てられている。外側のみならず、内装、排水、電気、ガスなど、内側にも膨大な規制があり、その制約の中で作られているので、やりたい事がやりたいように出来ない部分がある。

阪神淡路大震災、東日本大震災の後、その基準は益々厳しさを増している。周辺住民の同意なども大きなハードルであるし、中国とは全く条件や環境が異なる。

中国の建物は、日本で足枷になっている部分は考慮熟考する必要は無く、やりたい事を好き勝手にできているように見える。しかも最近ではハイセンスなデザインや挑戦に加え、日本の感覚に近い、「繊細さ」を取り入れ始めているし、快適さを求める飽くなき挑戦は、日本の専売特許「きめ細かさ」「安全性」さえも凌駕してしまう日がもうすぐ来るのではないか、という恐ろしささえ感じる。

無難な物を、無難に使い、無難な建物を作る傾向にある日本の風潮は、改革が必要ではないだろうか?もちろん言うまでもないが「安全は全てに優先する」し、法律は遵守されればならない。ニーズもないのに、必要とされてもいないのにド派手なビルを作れと言っているわけではない。

手抜き工事や虚偽の設計図などは言語道断であるが、実際そのような事件が日本で頻発しているのは何と残念で情けない事だろうか。「見えない所も絶対に手を抜かない」のが日本の美徳であり強みではなかっただろうか?

建築に関わる仕事をしているならば、自分のアラは見ないくせに人のアラを探し、「非建設的」な批判をしている暇があったら、どんどん中国の良いところも学び取るべきである。予算も、顧客ニーズも、工期も、熱い情熱とアイデア、そして技術があれば、ある程度の問題は解決出来るはずであるし、夢のある建物、生活を創造していけるはずである。それが人々の生活を、生き生きとしたものに変える手助けとなり、街と共に人と共に成長していけるとすれば、こんな素敵な事はない。頑張れ日本の建築屋さん!

つづく

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