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物を大切にする

人が、人のために物を作る。どんな物であれ、素材は厳選され、機能性、クオリティを求め、価格を考え、遊び心もエッセンスに、その上に「技術」と「情熱」が、時には「愛情」までも注がれて「物」は作られている。「物を大切にする」のは、昔も今もこれからも、普遍的な当然あるべき態度である。

食事の時「いただきます」「ごちそうさま」は、日本人なら、ほぼ全員が習慣的に言うはずである。

「いただきます」
は、天と地と全ての恵みに「感謝」する、という自然な心の現れからの言葉で、有り難く「いただきます」と言うのである。
更に言えば、この食物(命)を、ここで今自分の口に入れ、動物、植物達に、「あなたの命を犠牲にして」「私が生きさせていただきます」という、厳かな感謝の気持ちの現れでもあるのだ。

「ごちそうさま」
は漢字で「御馳走様」と書くが、命を繋ぐ食材が、自由にならなかった昔の人は、遠い所まで時間をかけて走り回り、動物や魚、植物を取りに行った。そうして走り回って取って来てくれた人のおかげで、自分は食べる事ができ、生きる事ができた、とても有難い、という感謝の気持ちの現れが「ごちそうさま」なのである。

貴重な命を自分が頂く、そしてどれだけ長い時間と、どれだけ沢山の人の苦労があったのかを、否が応でも想像させる言葉、それが日本人が自然に、習慣的に手を合わせながら言っている「いただきます」と「ごちそうさま」なのである。

私の知る限り、海外でこれに当たるぴったりな言葉はない。強いて言うなら、
「いただきます」
中国語では「開動」 英語なら「Let'sEat」
「さあ食べよう」という事。
また敬虔なクリスチャンなら、神への感謝の祈り、そして「Amen」。

「ごちそうさま」
中国語では「吃饱了」  英語で「Im Full」
「腹一杯で満足です」「Thank You」くらいの意味である。
敬虔なクリスチャンも、食べた後にお祈りはしない。

自分は日本人だからかもしれないが、どれも日本の言葉の深さ、美しさには遥かに及ばないように思う。

オリンピックを機に、世界の人々に「オモテナシ」の心と共に、日本人の心
「いただきます」と「ごちそうさま」も是非とも宣伝した方がいいと思う。
他国から見れば、日本語は複雑怪奇な言語であるが、思いやりに満ちた、心のこもった美しい言葉に溢れている。一国の首相や大臣が正しい日本語すら話せない今こそ、日本人自身が、皆で心を込めて、丁寧に日本語を勉強し直す、いい機会かもしれない。

私が思うに、物を使う時も、食事の時と同じように、
「使わせていただきます」と手を合わせないまでも、口に出して言うべきだと思う。
どれだけの人の苦労の上に、この物、この商品がここにあるのかを想像してみるべきだし、まして、処分する時には「ありがとうございました」と感謝の心を口に出して言うべきではないだろうか?

私の会社は、生活用品や玩具、雑貨、キャラクター商品、バッグや医療用品、建築資材など、多種多様な商材を扱っているが、我々のようなモノづくりの仕事に関わっていると、その「物」の向こうに、様々な「苦労と苦悩」「困難と凄さ」そして、それぞれの現場に、「それぞれのドラマ」がある事をすぐに想像してしまう。

ちなみに我が家でたまに見かける風景がある。
息子は時々ゴミ箱に向かって挨拶をしている。玩具を捨てる時、壊れた炊飯器を捨てる時、「捨てちゃうのごめんね、今までありがとう」とそう言っているのである。炊飯器の時などは、「記念撮影してから、お墓を作ろう」とまで言うのだ。「炊飯器君」は10年間、毎日毎日ご飯を炊いてくれて、そのお陰で僕は大きくなったんだと。至極当然で「自然な感謝の心の現れ」ではないだろうか?

牛乳や卵のパック、ペットボトル等のリサイクルは当然しているが、生活用品や、文具等不要の物を捨てる時は大変である。息子のチェックが入り、なんで捨てちゃうの?まだ使えるのに!と救出されてしまうからである。断捨離など、とても叶わない事である。燃えないゴミは、市の指定ゴミ袋が透明なので、中身が丸見えで即発見救出されてしまうので、彼が寝静まってから、こっそり捨てに行かなければならない。

私は大学時代、オーケストラの傍ら「エコロジーを考える会」という怪しいサークルにも所属していた。なぜ怪しいと表現したかと言うと、今では「エコ」と言えば普遍的に肯定的な言葉として広く人口に膾炙しているが、当時は、「エコロジー」という言葉は一般的にまだ浸透しておらず、何か怪しい新興宗教のような響きがあった。しかも私の研究対象は「ガボロジー」(ゴミ学)であった。言葉の響きからして怪しい(笑)。

当時少なかった文献を読み漁り、日本の現状、自治体によって全く違うゴミの概念や分類、ゴミが出る社会経済構造、ゴミ処理のグレーゾーン等を分析したりしていた。将来の為とか、就職活動に役立つからとか、そういう事では全くなく、ただ世の中の無駄と環境に興味があり、ただやりたいからやっていた。

ゴミ集積所を自分の足で見て回り、焼却場に自分で連絡して見学にも行った。その時は莫大な量のゴミを見て、ゴミ捨て場が本当に宝の山に見えた。なんと勿体ない、どうして捨ててしまうのか?家具、家電、調度品やレコード、ステレオ、洋服、使えるものばかりが「ゴミ」として捨てられていた。エコロジー、ゴミ分別、再利用などが、少し脚光を浴び始めて来ていた頃だが、何か違うような気がしていた。

また「エコロジーを考える会」では、大学の空き地を皆で耕して畑にしたり、近隣の農園、養鶏場に作業の手伝いに行ったりもした。収穫時には、学食で集めた割り箸を燃やして焚き火をし、自分で洗った割り箸を使って鍋を食べ、皆でBBQなどをして交流を深めた。当時バブル期の、景気の良いキラキラした時代だと言うのに、物好きと言うか何というか、学内でも皆からちょっと変な感じの人達だと思われていた。確かに今思えば、見た目からして変わったメンバーが多かった。しかしサークル内では、意見を闘わせながらも、それぞれを認め合い、情報を共有し、妙に心地よいところがある仲間たちであった。

どこから聞きつけてきたのか、変わった事をしている学生達がいると、当時、「週刊プレイボーイ」という雑誌の記者が、我らのクラブに取材にきて、当時数ページに渡って、写真入りで大きく掲載してくれた。
有名な雑誌に載ったのに、入部志願者は一人も増えなかったが、他大学との交流が深まる効果はあった。その記事は、今でも大切に取ってある。

また今は亡き祖母が、私がまだ小学生の頃、鼻をかんだり、口を拭ったりするのに、ティッシュペーパーや鼻紙を使わず、「端切れの布」を使っていた。若い時に裁縫の先生をしていた祖母は、布生地はとても貴重で、なかなか勿体無くて捨てられないと言っていた。端切れを手頃なサイズに切って取っておき、必要な時にそれを使うのだ。汚れたら洗ってまた使っていた。当時私は、「なんとなく汚い」、と感じたが、物を大切にするはっきりした祖母の態度と、目に見える明らかな行動を見て、子供ながらに「おばあちゃんカッコいい」と思ったものだ。祖母の遺品の「裁ちバサミと竹定規」は今だに捨てられない。60cm竹定規は、中国事務所で今でもたまに使っている。

物を大切にするという事は、自然な感謝の心、作った人の苦労を想像し、ひいては人への思いやりを促し、人をも大切にする事にも繋がって行く。「物を大切にする人は、人も大切にする」ものではないだろうか。  

つづく


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